悲劇の誕生とは? わかりやすく解説

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悲劇の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/22 10:35 UTC 版)

悲劇の誕生
Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik
初版本のタイトルページ(1872年)
著者 フリードリヒ・ニーチェ
訳者 野中正夫、阿部次郎
イラスト レオポルト・ラウ「鎖を解かれたプロメテウス」
発行日 1872年1月2日
1878年(再版)
1886年(新版)
発行元 ライプツィヒのフリッチュ書店(E. W. Fritzsch)
再版-エルンスト・シュマイツナー書店(Ernst Schmeitzner)
ジャンル 哲学講義論文
ギリシアの悲劇」-バーゼル博物館 1870年1月18日講義
ソクラテスと悲劇」-バーゼル博物館 1870年2月1日講義、私家版『ソクラテスとギリシア悲劇』1871年
ディオニュソス的世界観」-1870年夏に執筆
ドイツ帝国
言語 ドイツ語
ウィキポータル 哲学
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悲劇の誕生』(ひげきのたんじょう、Die Geburt der Tragödie)は、フリードリヒ・ニーチェによる初期著作で、19世紀1872年)に書かれた。『音楽の精髄からの悲劇の誕生』(Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik)が初版の正式なタイトル[1]で、1886年の新版刊行時は『悲劇の誕生、あるいは、ギリシア精神とペシミズム』に改題された[1]

概要

背景

ニーチェが『悲劇の誕生』を執筆していた当時、彼の生地であるプロイセンはフランス(普仏戦争1870年~1871年)と戦争をしていた。バーゼル大学の教授だったニーチェは、看護兵を志願し従軍したが、赤痢ジフテリアにかかり、約二ヶ月で除隊した。

ニーチェは後年の著作『自己批評の試み』として当時を顧みているが、本著を

「この本の生みの親となった謎の好きな瞑想家は、どこかアルプスの一隅に腰を据えて、謎を解こうとひどく考え込んでいた。つまり、大いに頭を悩ませながらも、同時にしごくのんびり構えていたわけなのだ。」

と回想している。

ニーチェが本著で提起したギリシア美術の明朗さへの疑問は、メッツの城塞で、従軍した際も念頭を離れることはなかったという。

主な日本語訳

脚注

  1. ^ a b 秋山英夫「解説」(岩波 1966, pp. 251–265)
  2. ^ 他に同時期の古典文献学論考を収録
  3. ^ 第一巻(第Ⅰ期目)で、他は古典学関連論考(西尾幹二訳)

参考文献

関連項目




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