悲劇の誕生とは? わかりやすく解説

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悲劇の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 13:42 UTC 版)

悲劇の誕生
Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik
初版本のタイトルページ(1872年)
著者 フリードリヒ・ニーチェ
訳者 野中正夫、阿部次郎
イラスト レオポルト・ラウ「鎖を解かれたプロメテウス」
発行日 1872年1月2日
1878年(再版)
1886年(新版)
発行元 ライプツィヒのフリッチュ書店(E. W. Fritzsch)
再版-エルンスト・シュマイツナー書店(Ernst Schmeitzner)
ジャンル 哲学講義論文
ギリシアの悲劇」-バーゼル博物館 1870年1月18日講義
ソクラテスと悲劇」-バーゼル博物館 1970年2月1日講義、私家版『ソクラテスとギリシア悲劇1971年
ディオニュソス的世界観」-1870年夏に執筆
ドイツ帝国
言語 ドイツ語
ウィキポータル 哲学
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悲劇の誕生』(ひげきのたんじょう、Die Geburt der Tragödie)は、フリードリヒ・ニーチェによって19世紀1872年)に書かれた著作。『音楽の精髄からの悲劇の誕生』(Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik)が初版での正式なタイトル[1]。その後の1886年の新版時には『悲劇の誕生、あるいは、ギリシア精神とペシミズム』と改題された[1]

概要

背景

ニーチェが『悲劇の誕生』を執筆していた当時、彼の生地であるプロイセンはフランス(普仏戦争1870年~1871年)と戦争をしていた。バーゼル大学の教授だったニーチェは、看護兵を志願し、従軍。しかし、赤痢ジフテリアにかかり二ヶ月ほどで除隊した。

ニーチェはこの本の中で『自己批評の試み』として当時を顧みているが、その中で

「この本の生みの親となった謎の好きな瞑想家は、どこかアルプスの一隅に腰を据えて、謎を解こうとひどく考え込んでいた。つまり、大いに頭を悩ませながらも、同時にしごくのんびり構えていたわけなのだ。」

と述べている。

ニーチェのギリシア芸術の明朗さへの疑問は、彼がメッツの城塞で兵として再起した際も念頭を離れることはなかったという。

主な日本語訳

脚注

  1. ^ a b 秋山英夫「解説」(岩波 1966, pp. 251–265)

参考文献

関連項目




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