悲劇の誕生
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悲劇の誕生 Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik |
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初版本のタイトルページ(1872年)
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著者 | フリードリヒ・ニーチェ | |
訳者 | 野中正夫、阿部次郎 | |
イラスト | レオポルト・ラウ「鎖を解かれたプロメテウス」 | |
発行日 | 1872年1月2日 1878年(再版) 1886年(新版) |
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発行元 | ライプツィヒのフリッチュ書店(E. W. Fritzsch) 再版-エルンスト・シュマイツナー書店(Ernst Schmeitzner) |
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ジャンル | 哲学講義論文 「ギリシアの悲劇」-バーゼル博物館 1870年1月18日講義 「ソクラテスと悲劇」-バーゼル博物館 1870年2月1日講義、私家版『ソクラテスとギリシア悲劇』1871年 「ディオニュソス的世界観」-1870年夏に執筆 |
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国 | ![]() |
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言語 | ドイツ語 | |
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『悲劇の誕生』(ひげきのたんじょう、Die Geburt der Tragödie)は、フリードリヒ・ニーチェによる初期著作で、19世紀(1872年)に書かれた。『音楽の精髄からの悲劇の誕生』(Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik)が初版の正式なタイトル[1]で、1886年の新版刊行時は『悲劇の誕生、あるいは、ギリシア精神とペシミズム』に改題された[1]。
概要
- 造形芸術をギリシア神話の神アポロン、音楽芸術をディオニュソスに象徴させ、悲劇(および劇文学)を両者の性質をあわせ持った最高の芸術(文学)形態であるとした。
- アポロンに理性を象徴させ、ディオニュソスに情動を象徴させた。
- ディオニュソス的根底にルター、カント、バッハ、ベートーベン、ドイツ精神がつながるとした。
- ギリシア悲劇の三大悲劇詩人(ソフォクレス、アイスキュロス、エウリピデス)を論じ、エウリピデスが悲劇(存在意義)を終わらせ、ソクラテス的な主知主義へと導いた存在であると述べている。
- ニーチェは、本著でリヒャルト・ワーグナーの楽劇に悲劇の再生を見ている。
背景
ニーチェが『悲劇の誕生』を執筆していた当時、彼の生地であるプロイセンはフランス(普仏戦争1870年~1871年)と戦争をしていた。バーゼル大学の教授だったニーチェは、看護兵を志願し従軍したが、赤痢とジフテリアにかかり、約二ヶ月で除隊した。
ニーチェは後年の著作『自己批評の試み』として当時を顧みているが、本著を
「この本の生みの親となった謎の好きな瞑想家は、どこかアルプスの一隅に腰を据えて、謎を解こうとひどく考え込んでいた。つまり、大いに頭を悩ませながらも、同時にしごくのんびり構えていたわけなのだ。」
と回想している。
ニーチェが本著で提起したギリシア美術の明朗さへの疑問は、メッツの城塞で、従軍した際も念頭を離れることはなかったという。
主な日本語訳
- 『悲劇の誕生』 秋山英夫訳、岩波文庫、1966年、改版2010年。最も重版
- 『悲劇の誕生』 西尾幹二訳、中公クラシックス、2004年。電子書籍も刊
- 『ニーチェ全集2 悲劇の誕生』[2] 塩屋竹男訳、ちくま学芸文庫、1993年
- 元版『ニーチェ全集2』理想社、初版1966年
- 『悲劇の誕生 あるいはギリシア精神と悲観論』浅井真男訳、白水Uブックス、2025年。新編解説:納富信留
脚注
参考文献
- ニーチェ 著、秋山英夫 訳『悲劇の誕生』岩波文庫、1966年6月。ISBN 978-4003363911。
- ニーチェ 著、西尾幹二 訳『悲劇の誕生』中公クラシックス、2004年1月。 ISBN 978-4121600622。
関連項目
- 悲劇の誕生のページへのリンク