『悲劇の誕生』とは? わかりやすく解説

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『悲劇の誕生』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:10 UTC 版)

フリードリヒ・ニーチェ」の記事における「『悲劇の誕生』」の解説

初期の著作には、『音楽精神からの悲劇の誕生』(なお、1886年新版以降は『悲劇の誕生、あるいはギリシア精神ペシミズム』と改題されている)がある。これは、哲学ではなく古典文献学の本である。 ニーチェしてみれば明朗快活古典ギリシア時代という当時常識覆しアポロン的ディオニュソス的という斬新な概念導入して当時世界観説いた野心であった。しかし、このような独断的な内容は、厳密に古典文献精読するという当時古典文献学の手からすれば暴挙に近いものだった。そのため、周囲からは学問的厳密さを欠く著作として受け取られヴァーグナー友人ローデ除いて学界からは完全に黙殺された。 また、師匠リッチュルも、単にヴァーグナー音楽賛美するために古典文献学利用した思い、「才気失った酔っ払い」の書と酷評したため、リッチュルとの関係が悪化した。この書の評判響いて発表した1872年冬学期ニーチェ講義聞くものは、わずかに2名であった古典文献学専攻学生皆無)。満を持してこの本を出版したニーチェは、大きなショック受けた古典文献学者の中でほぼ唯一ニーチェ考え積極的に受容したのがイギリスケンブリッジ儀礼学派の祖ジェーン・エレン・ハリソンであったハリソン1903年著書『Prolegomena to the Study of Greek Religion』において、ディオニュソスオルフェウス教密儀によって古代ギリシア人オリンポスの神々への信仰が「宗教」と呼べるものに転換していったと主張した。 そして、ニーチェは、自身著作が受け容れられないのは、現代のキリスト教価値観囚われたままで古典読解するという当時古典文献学方法にあると考え、やがて激し古典文献学批判行なう。そして、『悲劇の誕生』で説いたような、悲劇精神から遊離し、生というものを見ず俗物的日常性埋没し、単に教養することに自己満足して、その教養自身生にまったく活用しようとしない当時ドイツ蔓延していた風潮を、「教養俗物」(Bildungsphilister)と名づけ、それに対す辛辣な批判を後の『反時代的考察』展開していくことになる。

※この「『悲劇の誕生』」の解説は、「フリードリヒ・ニーチェ」の解説の一部です。
「『悲劇の誕生』」を含む「フリードリヒ・ニーチェ」の記事については、「フリードリヒ・ニーチェ」の概要を参照ください。

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