宇和島藩 仙台藩との関係

宇和島藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 05:34 UTC 版)

仙台藩との関係

『仙台市史 通史5 近世3』によると、3代藩主宗贇が仙台藩主家から直接でなく陪臣石川家を経ての養子縁組だったほか、4代藩主村年が仙台藩に伺いを立てながら藩政を行いかえって仙台藩から低く見られるようになったため、寛延元年(1748年)に5代藩主村候が「同苗別家」を主張する本末争いが起こった。堀田正亮の仲裁で、仙台藩以外で「家本」と「家分れ」という関係を公称することが許可されることで決着したが、仙台藩では相変わらず末家扱い[注釈 1]の上、仙台藩公式記録『治家記録』に「陽に親しく交わり給うといへども、陰には互いに睦まじからず」と記すレベルに関係は冷却化した。

伊予吉田藩との関係

秀宗は遺言により五男・宗純に3万石を分知したが、それによって宇和島藩は実質的に7万石となり、準国主大名から城主大名に転落してしまうため、この分知の正統性をめぐり長期にわたって係争が続いた[注釈 2]

最終的に、宇和島藩は元禄9年(1696年)、3代藩主伊達宗贇の時に新田開発を理由に7万石から10万石への領地石高修正を幕府によって認められ、そのかわりに伊予吉田藩の正式独立が認められ、決着した。10万石への石高修正は認められたが、宇和島藩の実高は7万石であったため、さらに新田開発や産業振興に努めたものの、藩財政は疲弊した。一方、伊予吉田藩もこの独立を機に宇和島藩と友好関係を結び、実質上宇和島支藩的な存在に変わっていく。

経済

宇和島藩は成立当初から財政が苦しかった。豊臣時代に戸田・藤堂と替わり、さらに徳川時代に富田・幕領と目まぐるしく交代したためであり、そのため領地は著しく疲弊していた[27]。このため、仙台藩から3万両とも6万両ともいわれる借財をしたが、その返済[27]、さらに吉田分知による3万石の喪失とその後の高直しによる10万石の石高復帰とそれによる幕府普請の負担増大などがあり、宇和島藩の財政は火の車であった。歴代藩主による藩政改革も打ち続く天災などで効果が見込めず、幕末になると宗紀・宗城・宗徳3代のトロイカ体制のためにさらに財政支出は増大し、幕末には藩財政は領民からの献金で遣り繰りする始末であった。

宗城は財政難打開のため、安政3年(1856年)に宇和島に物産方役所を設置し、特産品の開発製造販売に取り組み、朝鮮人参の栽培、寒天の製造、藩内の産物研究に取り組んだ[63]。蒸気船に興味を示す宗城は、これからは石炭が重要になることも見据え、福岡藩から技師を招いて石炭の埋蔵調査も行っている[63]。物産方は蝋・茶・銅・肥料・海藻など多くの品目を扱ったが、いずれも藩を潤すほどの実は上げられなかった[64]

社会

軍事

宇和島藩には砲術に6つの流派があったが、宗城は最新の砲術を導入し、これを威遠流として一元化した[65]。また宗城は、古来より軽卒の武器であった鉄砲を下級・上級を問わずに習熟するように命じ、弓組を鉄砲組に改編した[65]。宗城は何度も軍事訓練を繰り返し、大砲の試射を自らも行うほど熱心だった[65]。また軍隊を洋式化し、銃隊をイギリス式、砲隊をオランダ式にした[66]。宗城は造船技術にも熱心に興味を示し、細工師の嘉蔵(前原巧山)を用いて長崎に留学させるなどしている[66]

無礼討ち

宇和島藩では安政2年(1855年)と明治4年(1871年)の2回にわたり無礼討ちが起こっている。前者は藩命による直々の無礼討ちであるが[67]、後者は日本最後の無礼討ちと伝わっている[68]

安政2年の件では、宍戸甲太郎という武士が差料を奪われそうになり、何とか守ったが鞘を奪われたために面目を失い、藩の助けを得て元助・幸兵衛という犯人を討った。宍戸の腕はかなり未熟で、何度も斬りつけてようやく討ち果たしたといわれ、「見事と申すほどにはこれなく」とある[67]。明治4年の件では、宗紀の側近須藤頼明が百姓丑松を斬ったとされるもので、佐伯橋で須藤と丑松が出くわした際、酔っていた丑松が須藤の通路をふさぐ悪戯をした。このため須藤は注意したが、丑松は相手が若侍と面罵したため、野次馬が集まる前で丑松を一刀の下に斬り捨てた[68]。ちなみに、無礼討ち禁止令は明治4年(1871年)8月17日に出されているため、日本最後の無礼討ちとも伝わっている[68]


注釈

  1. ^ ただし、この二重基準は仙台・宇和島の両伊達氏固有のものではなく、薩摩藩・佐土原藩間などにも存在した。(本家末家論争の項も参照のこと)
  2. ^ この争いのため寛文印知の石高表に、全大名のうち宇和島藩と伊予吉田藩だけ記されない異例の事態になっている。

出典

  1. ^ a b 宇神 2011, p. 11.
  2. ^ a b c 宇神 2011, p. 12.
  3. ^ a b c d 宇神 2011, p. 13.
  4. ^ a b c 宇神 2011, p. 14.
  5. ^ a b 宇神 2011, p. 15.
  6. ^ 宇神 2011, p. 16.
  7. ^ a b 宇神 2011, p. 17.
  8. ^ a b 宇神 2011, p. 20.
  9. ^ a b c 宇神 2011, p. 21.
  10. ^ 宇神 2011, p. 23.
  11. ^ a b 宇神 2011, p. 24.
  12. ^ a b 宇神 2011, p. 25.
  13. ^ a b c 宇神 2011, p. 26.
  14. ^ 宇神 2011, p. 27.
  15. ^ a b 宇神 2011, p. 1.
  16. ^ a b c d e 宇神 2011, p. 31.
  17. ^ 宇神 2011, p. 29.
  18. ^ a b c 宇神 2011, p. 32.
  19. ^ a b c d 宇神 2011, p. 33.
  20. ^ 宇神 2011, p. 47.
  21. ^ a b c d 宇神 2011, p. 35.
  22. ^ a b 宇神 2011, p. 34.
  23. ^ a b 宇神 2011, p. 36.
  24. ^ 宇神 2011, p. 42.
  25. ^ a b 宇神 2011, p. 49.
  26. ^ a b 宇神 2011, p. 50.
  27. ^ a b c d e f 宇神 2011, p. 54.
  28. ^ a b c 宇神 2011, p. 55.
  29. ^ a b c 宇神 2011, p. 58.
  30. ^ a b 宇神 2011, p. 59.
  31. ^ 宇神 2011, p. 61.
  32. ^ a b 宇神 2011, p. 62.
  33. ^ a b 宇神 2011, p. 72.
  34. ^ 宇神 2011, p. 73.
  35. ^ 宇神 2011, p. 74.
  36. ^ 宇神 2011, p. 79.
  37. ^ 宇神 2011, p. 80.
  38. ^ a b 宇神 2011, p. 81.
  39. ^ a b 宇神 2011, p. 82.
  40. ^ a b c 宇神 2011, p. 83.
  41. ^ a b 宇神 2011, p. 84.
  42. ^ a b 宇神 2011, p. 104.
  43. ^ a b 宇神 2011, p. 106.
  44. ^ 宇神 2011, p. 105.
  45. ^ a b 宇神 2011, p. 109.
  46. ^ 宇神 2011, p. 110.
  47. ^ 宇神 2011, p. 119.
  48. ^ a b 宇神 2011, p. 120.
  49. ^ 宇神 2011, p. 121.
  50. ^ 宇神 2011, p. 123.
  51. ^ 宇神 2011, p. 130.
  52. ^ 宇神 2011, p. 133.
  53. ^ 宇神 2011, p. 134.
  54. ^ 宇神 2011, p. 136.
  55. ^ 宇神 2011, p. 139.
  56. ^ 宇神 2011, p. 140.
  57. ^ 宇神 2011, p. 135.
  58. ^ a b c d 宇神 2011, p. 149.
  59. ^ 宇神 2011, p. 200.
  60. ^ a b c 宇神 2011, p. 201.
  61. ^ a b c 宇神 2011, p. 202.
  62. ^ a b c d 宇神 2011, p. 203.
  63. ^ a b 宇神 2011, p. 163.
  64. ^ 宇神 2011, p. 164.
  65. ^ a b c 宇神 2011, p. 158.
  66. ^ a b 宇神 2011, p. 159.
  67. ^ a b 宇神 2011, p. 98.
  68. ^ a b c 宇神 2011, p. 99.


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