競馬 競馬の概要

競馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 04:03 UTC 版)

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競馬(平地競走

概説

競馬は主に競馬場と呼ばれる専用の競技場で開催される。一つ一つの競い合いを「競走 (race)」と呼び、一日の競馬開催でいくつかの競走が行われる。競走の種類は主に、平坦なコースを走る平地競走、障害物の飛越を伴う障害競走、繋駕車と呼ばれる車を曳いて走る繋駕速歩競走の3つからなり、他に繋駕車を曳かない速歩競走やそりを曳くばんえい競走などがある[1]。競走では一般には騎手が馬に騎乗して一定の距離を走り、正規に最も早く決勝線に到達した馬を勝者とする。決勝線への到達は、概ね馬の鼻の先が決勝線を通過したときをもって判定されるが、ばんえい競走に限っては馬が引っ張るソリの最後部が決勝線を通過したときをもって判定される。詳細については競馬の競走を参照せよ。

用いられる競走馬平地障害速歩競走ではサラブレッドサラブレッド系種アラブアングロアラブアラブ系種軽種馬もしくはクォーターホーススタンダードブレッド(アメリカントロッター)等の中間種が用いられ、ばんえい競走では重種馬が用いられる。

競馬の世界は優勝劣敗が大原則であり強い馬は強い馬同士、弱い馬は弱い馬同士での競走が基本である。だが、競走の出走メンバーのみを変更するには限界がある。そこで考え出された方法として強い馬には重い負担重量を、弱い馬には軽い負担重量となるように負担重量を変更することである程度幅のある競走を組むことができる。負担重量の決定方法としては馬齢戦、別定戦、定量戦、ハンデキャップ競走などもある。

特別競走の中でも特に賞金が高額で歴史と伝統・競走内容等を考慮し、重要な意義を持つ競走として重賞が行われる。さらに各重賞競走の役割と重要性を広く認識してもらい生産界の指標としての重賞競走の位置づけを明確にするため、グループ制(日本を含む一部の国ではグレード制)によってG1、G2、G3に分類される。G1は競走体系上もっとも重要な意義をもつ根幹競走、G2はG1に次ぐ主要な競走でG1の勝ち馬も比較的容易に出走できる内容をもった競走である。G3についてはG1、G2以外の競走である。

G1競走(およびそれに類する格付けの競走)の中でも、3歳馬に対して行われる伝統のある競走をクラシックと呼ぶ。2010年現在、世界各地でクラシックと呼ばれる競走が行われているが多くの国が最初に始められたイギリスのクラシックレースを模範としている。イギリスのクラシックは全5競走であるがうち2競走は牝馬限定戦であり牡馬が出走可能な2000ギニーダービーセントレジャーの3競走すべてに優勝した競走馬を三冠馬という。ただし生産上の意味合いが薄れ、また距離別の路線が体系化されたこともあって三冠の概念は形骸化している。なお、日本のクラシック競走はイギリスと同様に全5競走で、三歳牝馬路線の最終戦である秋華賞はクラシックには含まれていないが、三冠の概念は依然として重要視されている。

競馬の歴史

競馬の歴史に関する詳細については競馬の歴史を参照。

起源

ウマの速さを競わせること自体は有史以前、ウマが家畜化された頃から行われていたと考えられている。

競馬が初めて文献に現れるのは古代ギリシャのホメロスの『イリアス』第23歌における戦車競馬(戦車競走)である[2]。古代ギリシャの戦車競馬は騎手が二輪の車両(チャリオット)を馬2頭に引かせて競うもので古代オリンピックの種目にもなっていた[2]。これはのちに映画ベン・ハー』の戦車競馬のシーンで有名になった(ただし、映画では時代設定が古代ローマ帝国になっており馬も4頭になっている[2])。なお、現在行われている繋駕速歩競走はこの伝統を引き継いだものである。

一方、日本の平安時代の文献にも競馬(くらべうま)という表記があった。またユーラシア内陸部の遊牧民族の間では、現在でもモンゴル族などで行われているようなウマの競走が行われていた。紀元前12世紀ギリシャ競馬が最も古いとされている。

近代競馬の歴史

近代競馬の基礎を築いたのは英国とされている[2]

正式のルールに基づき専用の競技用施設(競馬場)において行われる競馬(近代競馬)は16世紀イングランドに始まったとされ17世紀にはフランスアイルランド19世紀にはドイツイタリアでも行われるようになった。また17世紀以降は、ヨーロッパ諸国の植民地であった国々を中心に、アメリカアジアアフリカオセアニアなどの地域においても近代競馬が行われるようになった。

イギリスではリチャード2世アランデル伯爵(のちのカンタベリー大司教、1353年-1414年)と所有の馬を用いてしばしば一騎打ちのレースを行っていた[2]1540年にはチェスター郊外のルーディーに初の常設の競馬場(チェスター競馬場)が完成[2]。1666年には亡命先から帰還したチャールズ2世が競馬のレースに王室杯を贈呈している[2]。競馬発祥の地イギリスでは、王侯貴族や有力者によって近代競馬が形創られた過程に鑑みて「スポーツ・オブ・キングス (Sport of Kings)」と形容する場面もある[3]

競馬において用いられる競走馬については17世紀後半から18世紀にかけてアラブ種やトルコ馬、バルブ馬などがイギリスへ輸入されて品種改良が行われ、やがてサラブレッドと呼ばれる品種が誕生した。サラブレッドについては1791年ジェネラルスタッドブックと呼ばれる血統書が作成され、以後その生産において血統が重視されるようになった。

競走の施行形態については18世紀後半頃まではヒートレースマッチレースが主体であったが、これらの方式は競馬が産業としての要素を持ち始めた頃から衰退し、多数の馬による一発勝負のステークス方式へと主流が移行した。競走の賞金も馬主同士の出資によるものから始まったが、現在ではスポンサーの出資と馬券の売上金の一部、および補助金や積立金から賄われている。

日本の競馬

岩倉具視「招魂社を建設する事」[4]

日本で初めての西洋式の競馬の開催は、江戸幕府の開港の翌年の1860年に、横浜・元町で行われたとされている。1866年には横浜の根岸に、初めての本格的な競馬場が造られた。

また岩倉具視の著述記録によれば、黒船来航時の殉国者と伏見戦争戊辰戦争)の殉国者を併せて慰霊するため、1869年に招魂社靖国神社の前身)が設立され、1870年からその境内に作られた競馬場で年3回の神事として競馬が催されるようになった[5]

1879年には、のちに日本赤十字社大日本武徳会の総裁となった陸軍軍人小松宮彰仁親王を社長とする「共同競馬会社」が設立された。その後に明治天皇から賞品が下賜されるようになったのが、天皇賞のルーツであるといわれている。


  1. ^ 軽種馬以外の登録を管轄する日本馬事協会では2003年度以降に生産されるばんえい競馬向けの馬については純系種同士の馬による配合馬のみ一代限りで「半血(輓系)種」とし、それ以外については「日本輓系種」として登録されている。

注釈

  1. ^ 2005年1月以前は、20歳以上でも学生であれば購入できなかった。
  2. ^ 同着のため配当が下がったが、8→6→14の3連単の最終オッズは596659.8倍(5966万5980円)であった。

出典

  1. ^ 櫻井他2004、80頁。
  2. ^ a b c d e f g 下楠昌哉 編 『イギリス文化入門』、2010年、250-251頁。 
  3. ^ 競馬コラム - 競馬小史英国”. JRA. 2015年2月13日閲覧。
  4. ^ 『岩倉公実記』、1906年。国立国会図書館 NDLJP:781064/251
  5. ^ Nikkei Style『靖国神社は昔、競馬場!』、2011年12月16日。アーカイブ
  6. ^ スポニチ AI競馬予想 -- SIVA --”. siva-ai.com. 2020年5月23日閲覧。
  7. ^ PETA's Investigation Inside Japanese Horse Slaughterhouse - PETA(2010年8月24日閲覧・英語)
  8. ^ 米国馬屠殺防止法案が下院を通過したが問題は残る - 競馬国際交流協会・海外競馬速報


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