耐震化・建替・移転問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 14:49 UTC 版)
「さいたま市役所」の記事における「耐震化・建替・移転問題」の解説
本庁舎の耐震化 1976年(昭和51年)に浦和市役所庁舎として現庁舎が建築されてから40年ほどが経過し、2012年(平成24年)に実施した耐震診断によってランク2と診断されたことから、2016年(平成28年)12月から2019年(平成31年)2月にかけて約50億円をかけ耐震工事を行った。耐震化後は税法上の耐用年数から20年程度(2040年ごろまで)現在の庁舎を使用する方針としていた(この際建築物としての耐用年数は耐震化で50 - 60年程度(2070年~2080年ごろまで)伸びるとされている)。しかし耐震工事の後になり市役所を移転するかどうかで旧市別の20年来の議論が再燃した。 旧3市合併協議での議論 合併協議当初、旧浦和、大宮、与野3市の市議会で1997年に決議された「合併促進決議」では、「浦和を『行政の中心』、大宮を『経済の中心』、与野を『情報発信(文化)の中心』とする」ことが明記された。旧3市合併時に旧大宮市は当初から市名への「大宮市」採用を主張した。合併推進協議会(任意合併協議会)が設置した新市名検討委員会では、まず「旧市名等を新市名に使用しないこと」という方針が決定された。旧大宮市の要求によって行われた市名公募を元に同検討委員会が答申を行い、その中の候補から旧浦和市、旧与野市は「さいたま市」を推したが、旧大宮市の出席者は同委員会が使用禁止した旧市名であり、かつ同候補にない「大宮市」をなおも推した。大宮側は市名を「さいたま市」にすることに同意する交換条件として、新市の市役所を「さいたま新都心周辺」へ移転することを主張。これには旧3市で最大の人口を有し「行政の中心」と位置づけられる浦和側の猛反発を受け、大宮側が主張した「将来の市役所の位置はさいたま新都心周辺とする」という文面は採択されなかった。 合併協議会(法定合併協議会)にて2000年に調印された合併協定書には、市役所の位置に関して下記の文章で記されている。 新市の事務所(市役所)の位置は、当分の間、現在の浦和市役所の位置とする。また、大宮市及び与野市の市役所庁舎については、現庁舎の活用方法について検討するものとする。 将来の新市の事務所の位置については、さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、新市成立後、新市は、交通の事情、他の官公署との関係など、市民の利便性を考慮し、将来の新市の事務所の位置について検討するものとする。 将来の新市の事務所の位置については、市民参加による審議会の設置など、その協議方法を含め、新市成立後、速やかに検討を開始するものとする。また、併せて、新市成立後、速やかに庁舎建設基金を創設するものとする。 しかし、日本語の「踏まえる」に「考慮に入れる」から「前提とする」まで幅広い解釈が可能であるゆえ、協定書の文面はもとより玉虫色の解釈が可能なものとされていた。旧浦和側は「当面市役所は現浦和市役所を使用するが、将来については現在地での建替えの他に協議で出た一つの意見を考慮すべき参考意見として記載した」と解釈。一方、旧大宮側は「将来の市役所をさいたま新都心周辺に置くことを、決定事項として明記した」と解釈している。特に、合併の市域や新市名での対立で苦杯を舐めており残る市役所問題で妥協する姿勢を見せられなくなった旧大宮側は、20年にわたり「市役所のさいたま新都心移転は合併協定書に明記されており、市役所が移転されないのは浦和が約束を破り反対しているから」と主張を発信して旧大宮地区の反浦和感情を扇動、多くのメディアもその二次引用を続けた。なお、合併後の2008年度に設けられた「さいたま市庁舎整備検討委員会」(2011年度まで7回開催)の議事録によれば、まず委員長によって「市役所の新設する位置に関しては、合併時点で前提はなく白紙から検討する」ことが確認されていた。 2001年にさいたま市が発足後は、 2002年度に「新市庁舎庁内検討会議」(2008年度まで21回開催)を設置したが、将来の市役所の位置についての議論は進展がなかった。先述の合併促進決議を受けて、市の都市計画マスタープランに基づき、「大宮駅周辺・さいたま新都心駅周辺地区」「浦和駅周辺地区」それぞれが市の「都心地区」と定義されたが、旧大宮側の強い要求によって埼玉県の他旧3市が建設資金を拠出したさいたま新都心が大宮駅周辺と「大宮駅周辺・さいたま新都心駅周辺地区」として連続視された都市計画となったことで、旧3市の市境上に立地(最終的には主要部分は旧与野市域の中央区に境界変更となったが、旧大宮側はその見返りとして旧与野市域の行政区の区名から〈例え公募で多数でも〉与野の名を事実上外したとされている)するいわば「政治的緩衝地帯」であるとして、旧浦和側が同地周辺への市役所移転に同意する可能性が失われた状態となった。行政の中心と位置付けられる浦和駅周辺地区から市役所を移転した場合、県庁舎と市庁舎の距離が離れ、浦和に集積するメディアや政党の支部など多くの機関との連携の利便性が下がり都心機能が損なわれる懸念があり、加えて100年来の歴史的経緯から、市役所を移転すれば次に大宮側が県庁舎の移転を要求するのではないかという、浦和側の根強い不信感もある。現市長の清水勇人はさいたま市のシティーセールスの中に鉄道、漫画、盆栽といった大宮地区の事物を積極的に取り入れる一方で浦和地区で活躍した浦和画家については市立うらわ美術館の収蔵方針からも記載が消え、浦和画家の伝統との関連も指摘されるさいたま国際芸術祭も2回目以降開催地が大宮に移されるなど、現市政下で大宮地区の事物を重視するシティセールスが行われてきたことも浦和側の清水への不信につながっている。また合併後に、浦和駅の高架化(ホーム増設・駅ビル建設)事業が完了し、特急列車を含む停車本数が大幅に増加して利便性が向上した(さいたま新都心駅は全ての特急列車、宇都宮線・高崎線の全快速列車、湘南新宿ラインの普通列車を含む全列車が通過する)ことで、移転に反対する空気を醸成している。 市議会の構成変化と庁舎位置の論議 また、将来の市役所の位置についての議論が行われてこなかった現実的な理由としてさいたま市議会では最大多数を占めていた自民党さいたま市議会議員団(自民)が主に旧浦和市域の政治勢力を中心に政策決定されており、2009年に市長に就任した旧大宮市域を地盤として旧民進党系を支持基盤とする清水との間で、ねじれ議会を構成していたという事情も大きい。そのような中、清水自身は市役所移転に関してや、旧3市間で合意のないともされる合併協定書の文言の解釈に対するスタンスを明確にすることを避けていた。 しかし2017年に自民党内の議長ポストを巡る争い(旧浦和側から出ていた議長を市長選挙に出馬させ旧大宮側から議長を出そうとする旧大宮側の算段に対し旧浦和側の議長が旧浦和・保守側からの他候補との共倒れを危惧して市長選出馬を固辞し、議長交代を拒否した)を発端に、旧大宮側の大半と旧与野側の自民の市議が離反し、同党の党籍を持ったまま独立会派「自民党真政市議団」を発足、清水への支持に回り、旧民進党系に加えて自民真政と公明党が清水を支持する巨大な市長与党を形成するに至った。その結果、市内の人口比とは逆に旧大宮市域の利益を主張する勢力が議会の多数を占めるようになり、これ以降それまで動きのなかった市庁舎の移転論議が急速に進むようになった。議会では第二会派であった旧民進党系を母体とする清水としても、旧市間で対立の火種となる市役所問題に関して敢えて立場を示してこなかったこれまでの姿勢から反転し地盤である大宮地区の主張に沿って行動することで旧市間の分断を図る方が、第一会派であった自民党を分裂状態に固定することで自身の政治権力を盤石にする上で好都合でもあり、実際2021年の市長選挙では、自民党内での旧市間対立の再燃により自民党からも、また旧浦和地域からも候補者擁立が断念されている。 2012年度に地方自治法に基づく附属機関として設置した「さいたま市本庁舎整備審議会」(2017年度まで21回開催)では、旧大宮側で元さいたま市議で合併協議時に新市名に「大宮市」を推す運動や、採択されない場合の合併協議ボイコットなどを現さいたま市議の鶴崎敏康(見沼区選出。現・さいたま自民市議団長)らと主導した松本俊雄が中心となり「市役所移転は合併時の合意事項である」という持論を展開、市庁舎の位置については旧浦和市域の代表者の多くが欠席する1回の会議で議論が行われ、次の会で位置について採決がなされた。その結果、審議会からは2018年に「新庁舎の規模については約40,000 m2必要、建設地についてはさいたま新都心駅周辺(半径800 m圏内)が最も望ましい」との答申が出された(答申のため法的拘束力はなく、実際には条例の改正が必要となる)。現実的には同駅周辺で住宅建設などの民間転用が決定していない40,000 m2の遊休地はなかったが、これを受けて2019年12月に、市当局より「さいたま市食肉中央卸売市場・と畜場ほか街区」「コクーン2・3街区(平面駐車場として使用している区画)」「さいたま新都心バスターミナルほか街区」の3カ所(いずれも大宮区内)を移転候補地とする答申が出され、市はこれを受理した。 これに対し、旧浦和側で自民の重鎮である青羽健仁(浦和区選出)は、答申が受理された後の2018年6月定例会において、「浦和は『行政・政治の中心』というプライドを持っている。市長がそれと違うことをすれば、市民の先頭に立って行動する」と述べ、市役所移転論議のプロセスで「合併協定書に定められた『幅広い市民の参加』を経ていない」などと批判した。青羽の指摘で、一旦は都市戦略本部長が「審議会のメンバーには市民公募によるメンバーが含まれている」と誤った答弁を行ったものの、実際の名簿にそうしたメンバーが含まれていないことをその場で青羽に指摘されて撤回し(公募自体実際に行われていない)、最終的に清水も「今後、市役所の移転先を決定し跡地利用に際しても、決定するまで『幅広い市民の意見』を聞く予定はない」ことを繰り返し答弁するなど混迷を深めた。続く予算委員会でも、旧浦和側の自民の市議が市庁舎移転に関する質問を清水に答弁することを求めたものの、清水はこれを無視する事実上の答弁拒否を行うなど対立が顕在化。清水や旧大宮側の市議としては、市長与党が力を持つこの機会に大宮側の積年の願望である市役所の移転を進めたいという姿勢を示し、この問題に関する住民投票の実施を求める旧浦和側(旧岩槻側も含む)の議員との対立が顕在化した。 2021年2月定例会での施政方針演説にて、清水は合併促進決議で「行政の中心」とされ、現行の都市計画マスタープランで「県及び市の行政施設の集積を生かす」と明記されている浦和駅周辺地区を突如「文教の拠点」と変更し、「合併協定書と本庁舎整備審議会の答申を尊重した」とした上で、「3市合併から30周年となる2031年を目途に、さいたま新都心バスターミナルほか街区へ市役所本庁舎の移転を目指す」と表明。移転後の庁舎の活用については、浦和区役所およびさいたま市消防局の機能を残した上で、現庁舎の上層階などに文化芸術や教育・先進研究、市民交流の拠点を設置することを想定するとしていたが、2021年10月にとりまとめ、同年12月に決定した「新庁舎整備等基本構想」では、現庁舎はほぼ解体撤去した上で浦和区役所およびさいたま市消防局浦和消防署と文化芸術や教育・先進研究、市民交流の拠点を設置する複合庁舎を整備する方向に変更した。更に、「現在地での市役所本庁舎の建替は考えていない」と記載されている。また、現在の市役所本庁舎の耐震補強に関しては、これまで「税法上2040年頃まで、建物の耐用年数として2070~2080年頃まで持つ」とされていた文言を「(庁舎の)耐震性・安全性を確保するためのもので、建物自体の耐用年数を延ばすものではない」と変更している。なお、この基本構想では審議会の答申のうち位置に関する「『さいたま新都心駅周辺(半径800m 圏内)』が最も望ましい」の文面のみを引用し、答申が面積に関する必要条件として提示した「新庁舎の規模については約40,000 m2必要」については引用を避けているが、現在の市役所本庁舎の敷地面積34,000~38,000 m2に対して、清水が移転を推進する「さいたま新都心バスターミナルほか街区」の敷地面積は15,000 m2であり、答申が示した40,000 m2の半分に満たない。そのため市の移転計画には現庁舎が保有している駐車場機能は盛り込まれておらず、市が示している市庁舎移転建設見込み費用にも駐車場の確保に要する費用は含まれていない。さらに、市当局は老朽化していく現在の市庁舎を使い続ける場合と移転した場合のコストを比較して移転が有利であると主張しているが、現在地での建て替えについてはコストの試算をしておらず、今後もあくまで答申で示された新都心周辺への移転が前提であるとして現在地建て替えとのコスト比較は行わない方針としている。 庁舎位置についての賛否 清水は市役所移転の根拠として「本市の未来を見据えて、合併協定書や審議会答申を踏まえて決定した」との答弁を繰り返し行っており、なぜ「『行政の中心』である浦和駅周辺ではなく新都心地区がふさわしいのか」という点に関して具体的な説明を避けている他、十数回にわたる審議会の内浦和地区の代表者が欠席した単回の審議で「位置」が審議された審議会答申の妥当性については「『永らくのご議論を経たもの』であり、議論すべきでない」と主張している。旧大宮側で移転を主張する市長与党であるさいたま自民の市議団長である鶴崎は、「旧大宮の人たちの市長に対する信頼感は増した」と評し移転後の現庁舎の跡地活用についても先に議論すべきだと主張する一方、旧浦和側で市長与党である民主改革の土井裕之(南区選出)は、「市庁舎移転は、浦和のまちづくりのあり方も踏まえて考えるべきである」として、「もろ手を挙げて賛成とは言えない」と話している。旧浦和側で移転反対を主張する共産の松村敏夫(緑区選出)は、移転に220億円に上る予算を要することや、移転先となる地区が旧三菱マテリアル総合研究所の跡地であり、予定地が同社の廃棄物保管施設に隣接していることによる安全性の懸念から反対を表明している。 なお、平成の大合併で誕生した他の自治体の例と比べ特異な点として、現在の市庁舎は「さいたま市役所の位置に関する条例」では「仮庁舎」ではなく正式な「本庁舎」と定めており、合併協定書で「場所について検討する」とされている「将来の本庁舎」は、根拠となる条例の条文に明記はされていない。庁舎の位置を変更する場合は、地方自治法第4条の規定により、議会において記名投票で出席議員の3分の2以上の議員の賛成(同意)を必要とする特別多数議決が求められており、反対(不同意)が上回れば移転することはできない。 埼玉大学社会調査研究センターが2018年に実施した意識調査では、「本庁舎整備審議会の答申を前提とした上で、市庁舎を移転すべきか」との問いに対し、「さいたま新都心周辺地区に移転すべき」と答えたのは36%で、地域別では旧浦和の住民が16%、旧大宮が55%、旧与野は43%、旧岩槻は32%であった。また、「浦和区から移転すべきではない」と答えたのは全体の34%で、旧浦和の住民は58%、旧大宮が13%、旧与野は19%、旧岩槻は25%となっており、この時点で地域によって温度差が表れていた。 また、2021年5月23日投開票のさいたま市長選挙に際して産経新聞社などが実施した出口調査では、4選を果たした清水が掲げる市庁舎移転構想に対して、42.6%が「移転しなくて良い」と回答し、「移転すべきだ」の28.1%を大きく上回った。選挙中の自身の公約広報パンフレットでは市役所移転については一切触れていなかった清水に投票した人に限っても「移転しなくて良い」が37.9%を占め、「移転すべきだ」は30.7%に留まった。行政区別に見ると、「移転しなくて良い」が多かったのは浦和区 (68.9%) や桜区 (63.8%) で、旧浦和市域の緑区(55.0%)や南区(51.0%)でも過半数が「移転しなくて良い」を選択した。「移転すべきだ」が多かったのは中央区 (50.0%) や大宮区 (47.0%) であり、一方現庁舎にも移転候補地にも隣接しない岩槻区では「移転しなくて良い」(36.4%)が「移転すべきだ」(17.2%)の2倍を上回った。。 これらの背景を受けて、市長選後初の市議会となった2021年6月定例会では、自民や共産のみならず、市長与党であるさいたま自民や民主改革に所属する旧浦和側の議員からも市庁舎移転に関する質問が出されているが、清水は市役所本庁舎の移転を市の方針として一方的に市民に周知、説明することを主張しており、2021年9月定例会では、市長与党の民主改革から改めて市役所移転反対の質問が出たり、旧浦和側で共産の鳥海敏行(浦和区選出)の市役所移転に関する質問に対し市長が回答を避けて副市長が答弁した事で、その姿勢が問われるなど浦和地域との対立が深まっている。2021年以降清水は議会での移転の議決を経ない中で移転後の跡地活用に関するワークショップを開催するなど移転を前提とした浦和の街づくり計画を推進しており、先述の通り出席議員の3分の2以上の議員の賛成を要する特別多数議決となるが故に議会で否決されるリスクがある市役所移転の条例改正案の提出を敢えて避け、計画や建設にかかる予算審議のみで新市役所を建設し既成事実化しようとしていると旧浦和側の議員から非難を受けている。 さらに2021年12月定例会では、旧浦和側でさいたま自民(当時)の帆足和之(浦和区選出)が、自身の支持者約50人を傍聴席に陪席させて登壇し、議場で怒号も飛び交う中、「素案をまとめる前の段階で、住民に意見・要望のヒアリングもせず、市役所移転をさも決定事項のように周知していることに関して印象操作を行っている。市民をだますのが都市戦略本部の戦略なのか」と非難している。また、「行政機関に関連して事業を行う事業所も多い浦和区において、移転による経済的影響の試算も一切なされていないことや、素案ができた後になって自治連合会から反対の要望書が出ており、市民への周知が事前になされているとは言えない」こと、さらには「条例改定の特別議決に向けて、議員ポストを利用した議員の買収工作が進められている」ことを指摘し、「議員・会派同士の対立を強め、浦和と大宮の対立を再燃させるものである」と指摘している。その中で清水は答弁書を右に左にめくりつつ話しかけた答弁を中断して退席する様子が議事録で記録されている。この定例会では、旧大宮側で共産の神田義行(北区選出)も、「(パブリックコメントの募集を見ると、)もう決まったことに対して市民に説明するという内容で、市民の意見を聞いていないことに関して市はどう考えているのか」と質問し、清水は従前通り「パブリックコメントを行っている」などと言った答弁を行っている。一方、旧大宮側で反体制派であり市役所の大宮移転を強く主張してきた無所属(無所属・無党派)の吉田一郎(北区選出)は、市役所移転の基本計画の中に「(移転後の)現庁舎跡地を市の予算で利活用せず民間に売却してしまうよう明記すべきだ」、「3分の2以上の賛成を要する移転の特別議決が否決されたとしても、市役所の住所地に置かなければいけない機能の法律上の規定はないから、多数決で市役所建設の予算審議が通れば、新庁舎を移転予定地に建設して事実上市役所を移転した上で、市役所の法定所在地である浦和区の現在地には、倉庫の1つでも置けば良い」と主張している。 この定例会では「市役所移転を白紙撤回し住民投票を行う請願」の審議が行われたが、島崎豊議長(当時。さいたま自民、桜区選出)を除く59名の議員の内39名が反対(ないし賛成する会派の意向に反し退席)、20名が賛成(ないし反対する会派の意向に反し退席)しており、請願は多数決で否決されたものの、特別議決(3分の2以上)が求められる議案の可決に必要な議員数(さいたま市議会の場合は41名以上)が得られていないことも露呈した。そのような中で、2022年2月定例会で清水は当初予算案での市役所移転関連予算の上程や議会冒頭での移転特別議決の提出を見送った一方で、民主改革の西山幸代(大宮区選出)の代表質問に対し、「将来のさいたま市立美術館の建設場所として移転した市民会館おおみやの跡地が候補地の1つである」と答弁したが、これに対して鶴崎は、「浦和画家の伝統がある中で美術館を大宮に作るというのは、鉄道博物館を浦和や岩槻に作るようなもので、おかしいのではないか」と批判を受けるに至っている。 2021年2月に庁舎移転の意向を発表、5月の市長選挙後となる6月に移転関連の費用を計上した補正予算案を提出した清水のスケジュールに関しては、「市長選挙での市役所移転問題の争点化を避けるために意図的に遅らせた」との見方があるほか、その後のコロナ禍でタウンミーティングなども遅れる中、移転のスケジュールを変更せずに進めようとしていることに関しては、「2023年4月に予定されている次期市議選挙で必然的に争点化され、移転に有利な議会会派構成が崩れるのを恐れ、市議選挙から遠い時期に現在の会派構成で特別議決を得ようとしているのではないか」との見方もある。また、2021年11月には浦和区自治連合会から移転再考を求める要望書も提出され、各自治会への説明だけでも数か月を要する上、市長与党の会派からも旧浦和側選出の議員を中心に移転に反対する議員が出始めているために、根拠となる条例の改正議案の特別議決に関しても、「3分の2が得られるかどうかは流動化する」可能性が指摘されている。 2022年3月10日には、浦和区自治会連合会から提出されていた市役所本庁舎の移転再検討を求める請願の審議が市議会総合政策委員会において行われ、下記の「市庁舎移転計画に関して浦和区自治会連合会の意向を最大限尊重することを求める決議」(以下、文面抜粋)を議会に提出することで全会一致し、その代わりに請願を取り下げることとしており、移転再検討を求める請願を取り下げる一方で、事実上都市計画マスタープランなど上位計画と市役所移転との矛盾に対する説明を要求し、市当局が拒否してきた現地建て替えを含む比較検討並び移転建て替えに方針決定した理由の明確な説明などを求める内容となっている。この決議案が、2022年2月定例会最終日の3月11日に提出され、吉田を除く全議員の賛成で議決されたことで、同定例会への位置条例の改正案の提出は見送られた。 市庁舎移転計画については、令和3年2月に、市長から「合併30周年を目途に、さいたま新都心バスターミナルほか街区への移転を目指す」ことが表明され、同年12月には(中略)新庁舎整備等基本方針が策定されたところである。(中略) しかしながら、同年12月17日に、浦和区自治会連合会から「さいたま市庁舎移転計画の再検討を求める請願」が提出されたことからも、特に現庁舎地の近隣住民の十分な理解を得られているとは言い難い状況である。(中略) よって、市長においては、市庁舎移転計画については、浦和区自治会連合会の意向を尊重し、理解を深めながら進めていく必要があることから、以下の事項について、同連合会および周辺住民に対して丁寧な説明を継続的に行い、合意形成を図ることを強く求める。 市の様々な計画や構想との整合性及び移転建て替えに方針決定した理由並びに基本構想の内容を丁寧かつ明確に説明すること。 将来的にも県都として風格ある魅力的なまちとなるために、浦和全体の発展を考慮した「まちづくりビジョン」を策定するとともに、「アクションプラン」において、より具体化を図ること。 現庁舎地の利活用検討するに当たり、現地建て替えを含む課題の整理を行い公表するとともに、防災拠点機能を含む施設の具体的な方向性について、浦和区自治会連合会を始めとする周辺団体および住民の意見などを聴取の上、精力的に検討すること。 まちづくりの体制については、浦和を含む都心の部局横断的な組織を創設し、アフターコロナを見据えた柔軟な計画体制を構築するとともに、市民参加の工夫を施し、将来にわたり魅力的なまちづくりを進めること。 これらの経緯を受けて、2022年4月8日(オンライン)と10日、12日に市が市役所周辺住民を対象とした説明会を行ったところ、これまで以上の内容の説明がないことや質問時間が30分しか設けられていなかったこと、合併促進決議における旧市の役割分担に関しても「そういうご議論もあったが」として遵守を否定、「跡地利用が決まるのが30年後である」、「議会で移転が否決されたとしても再度提出する」などの答弁で紛糾。追加で質問、説明の機会を求める要求に対し、清水は「スケジュールが分からない」と答弁して終了し、市が説明会で行ったアンケートでは市役所移転に対して賛成16対反対58という結果であった。しかし、最終説明会後の翌4月13日には市議会に対し、「4月内に特別議決を行う条例の改正案を市長提出議案として上程し、総合政策委員会に付託して審議される」と言うことを決定し、4月28日に条例の改正案を主な議案とする2022年4月臨時会を招集して、議案が審議されることとなった。 附帯決議と移転案の可決 臨時会当日の4月28日、午前10時に議会が開会されると、まず総合政策委員会に付託された後に本会議が開かれる方針であったが、旧大宮・与野市域の議員を中心としつつも2021年市長選対策の関連で旧浦和市域の議員も参画しているさいたま自民は採決態度を巡って議論が膠着し、総合政策委員会の開会が大幅に遅れ夜間にずれ込んだ。審議は深夜に及んだ末に、「将来的に、さいたま市役所の住所については、さいたま新都心にふさわしい住居表示の実施を検討すること」という付帯決議を加えることで総合政策委員会で原案可決した。これは住所が大宮区になることに反発する浦和側の議員を賛成に回すために設けられた決議とされ、委員12名のうち委員長(旧与野側〈中央区〉選出)を含む4名が賛成、3名が反対、5名が退席で可決された。なお、これまで移転に反対を唱えていた自民の市議は、委員会で一切発言をしないまま賛成票を投じた。続く本会議も引き続き深夜に開会され、記名投票(議長も表決に加わる)による採決の結果、賛成48名、反対9名、退席3名で出席議員の3分の2以上の議員の賛成を以って、市役所庁舎の移転が可決された。だが、市長与党のさいたま自民から1名、これまで移転反対を唱えてきた野党でありながら、当日になり議案に賛成した自民から2名(いずれも旧浦和市域選出の議員)が退席し、移転反対を主張してさいたま自民から離脱して無所属となった帆足は信念を貫き反対し、野党系の無所属(無所属・無党派)は、吉田が賛成、川村準(南区選出)は反対と態度が二分した。
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