剣と戦争とは? わかりやすく解説

剣と戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 10:15 UTC 版)

「剣」の記事における「剣と戦争」の解説

剣による戦闘白兵戦)では、相手も剣を備えて攻撃用いるため、これを防ぐ防具としての側面があり、この戦闘で手を守る機能備える剣も多い。剣は個人個人が戦う上では、基本的な装備1つとなる。しかし、刀剣類のうちでも両手剣扱い腕力技術を必要とした。白兵戦のうちでも携帯性に優れた刀剣は主に他の武器補助として使い相手対し距離を置いて対処できる弓矢などが使えずなどの長柄武器壊れた際の護身用敵味方入り乱れる長柄武器使いづらい乱戦などを捨てて護身用利用された。しかし、世界的に見てあまり一般的ではなかったとされるものの刀剣主武器とする兵科はあった。 前近代戦争においてや弓を主武器とする場合も、刀剣帯び乱戦になってそれを抜いて戦うことはよくある光景であった古代においては古王国中王国時代エジプト人とギリシア人は剣を完全な補助武器みなしていたが、ローマ人ケルト人は剣を武器として重要視していた。新王国時代になってからエジプト人は剣と兜と鎧を重視するようになったサブウェポンとしても、ギリシア人は斧や棍棒といった武器蛮族視しているのみならずその後ヨーロッパファランクスなどの中心とした密集隊形の中ではそれらの武器使いづらかったことから剣の方が主流であったローマ人も斧や棍棒蛮族視しており、ローマ密集隊形では長剣といった長い武器乱戦使いづらかったがために小振りな剣であるグラディウス主力武器であった白兵戦を好む中世騎士戦いにおいては乱戦になることがほとんどであり、その場合の武器ランスではなく、剣や斧、メイスなどであった。 こと中世から近世戦争で、一般から招集される民兵補助的武器のものであり、歩兵はまず基本的な戦闘単位として考え、これらの補助として剣を装備していた。ただ人類の歴史で、有史以降いずれの国家でも戦争対す備えとして平時より生産保有が行われたことから、弓や斧に比べ扱い易い剣にも一定の信頼性保たれていたことがうかがえる日本では打刀原型初見12世紀初頭から見られ当時短く刺刀(さすが)」とも呼ばれていた。南北朝時代長大刀剣流行する従い刺刀大型化打刀脇差になったとされる南北朝時代あたりまでは短刀同じく平造り主流であったが、それ以降太刀と同じ鎬造りとなる。刃渡り室町時代前半までは約40cmから50cmであり、室町時代後半からは60cm以上の長寸のものが現れだした。それと同時に打刀短め打刀脇差)の同時携帯身分階層問わず流行し帯刀身分不問成人男子象徴になっていった。 ただし、戦国時代代表される乱世の頃の剣と、後世平時での護身用の剣との間には明確な隔たり存在する前者切れ味よりも耐久性求められ、ここに前述鈍器としての剣や、あるいは腰に吊って日常的に持ち歩くことを前提としないことから肉厚重量のある剣が利用され、また装飾など意匠性を求められることも少なかった後世の剣は対人でも一人ないし数人傷付けひるませたり撃退することができれば用を成したのとは異なる。こういった変化は、日本刀でも戦国時代のものと後世のそれとで明確な差異見られるまた、西欧でもショートソードのような歩兵装備としての剣や扱い技能を必要とするツーハンデッドソード双手剣)などが戦争使われた。大半歩兵用の剣は扱いすいものであったが、両手剣使用には腕力技術要した。しかし、火器発達と共に戦場での活躍少なくなってゆき、次第装飾的象徴的な用途で扱うのみになっていった。同時に実用的な剣術多く指南書残しながらも人々記憶から消えていった。中世暗黒時代の間、剣は重要な武器であり、北欧では特にその傾向強かった暗黒時代アングロサクソン人フランク人にとって剣と鎖帷子高価富裕な者にしか手に入らない武装であり、一般兵士や斧、スクラマサクスという鉈などで代用していた。だが、ヴァイキングにとっては剣と鎖帷子広く普及していた。10~15世紀中世盛期後期ヨーロッパにおいては鎧の発達により、剣やではダメージ与えづらくなり、メイスなどの打撃武器需要高まっていった。それでも1012世紀鎖帷子主な防具とした時代ならば剣で斬れなくとも叩き付けることによりかなりの打撲傷を負わせられたが、13世紀以降板金鎧発達により、剣などの斬撃メイスなどの打撃も重装甲の敵にはほとんど通用しなくなりダガーなどによる刺突が有効となったが、軽装備の敵には打撃刺突が有効で、鎧なしの敵には斬撃打撃刺突有効だった。剣は武器として優れていたが、当時や特に鋼鉄希少価値持ってたがために中々手に入らない武器でもあった。中世鋳造技術低かったために、戦い参加すれば剣は簡単に折れてしまい、当時作られた剣で現代に完全な形で残っている物がほとんどないのは、使っているうちに折れてしまい、短剣として作り直されたからであり、ダガー呼ばれる先の尖った両刃短剣普及したのもこの頃である。騎士14世紀になるまでは短剣をあまり使用しなかったが、全身板金鎧普及に伴い、鎧の隙間から突き刺すために多用するようになった騎士メイスを非常によく使用したが、頑丈な甲冑着ている敵に衝撃中身ダメージ与えられるメイスは、なまくらな剣よりもよほど役にたった。剣は鎧にそれほど効果がないが、携帯性が高く身分象徴となるため、予備武器飾りとして馬上騎士携帯されていた。また、騎士にも多々使われたが、安価なファルシオンメッサーといった鉈は兵士には特に好まれていた。貫通力の高い細長い身を持った短槍アールシェピースや同じく貫通力の高いロングソード一種であるエストックも鎧の隙間を貫くために中世ではかなり一般的であった中世の剣は重く鈍器に近いものであったとよく言われるが、剣というよりも武器全般ができる限り軽量に作られていた。それは戦闘で重い武器態勢立て直しにくく、不利になり、疲れやすくなるので軽量武器好まれ多く作られた。しかし、それでも中世西欧直剣中世東欧北アフリカ東洋湾曲した曲剣よりは重く、敵を鎧もろとも叩き斬ったり、殴って衝撃与えて降伏させることができ、斧やメイスなどの打撃武器の方が効果的ではあったが、直剣もまた騎士騎兵好んで使用される武器一つではあった。それに対しイスラム教徒などが好んだ直剣よりも軽い曲剣は鎖帷子騎士より防備の軽い兵士など軽装備の敵を素早く攻撃するのに適していた。インドからアフリカは熱いため、鎧があまり発達しなかった面もあり、切れ味の鋭い曲刀が多い。中東では防具の重装化が速かったために古代から斧とメイスとウォーピックが好まれたが、中世の中東の兵は騎士の重い鎖帷子よりも軽い鎖帷子武装した軽騎兵重騎兵中心となっていた。中世騎士兵士にとって剣は主に補助武器として重要であった鎖帷子ならばジャストミートすれば剣で断ち切ることはでき、刃こぼれすれば今度殴り倒すこととなった時代が進むにつれ、剣が一般的なサブウェポンとなっていったが、冶金術の進歩により、長い剣身を長持ちさせることは難しいことではなくなり、同時に高価でもなくなっていき、万能ではないが、持ち運びしやすさ考えれば申し分のない武器となった。 剣は板金鎧時代には主に軽装弓兵斬りつけるのに用いられたが、全身装甲騎士に対して脇の下むき出しになっていたり、面頬上がっている場合には剣の切っ先も有効であった。はっきり増えたのはメイスハンマーといった打撃武器、そして力のこもった一撃与えるために両手振るえ長柄斧といった長柄武器であった。 しかし、鎖帷子の上コートオブプレート着込んだスタイル、およびプレートアーマー重装備には斬撃だけではなく打撃もほぼ通用せず、刺突有効だとする説もある。 また、片手剣バックラーコンビは、中世で最も一般的な武装だったという説もある。戦場では多く一般兵が剣とバックラー装備していたし、平時でも若者が剣とバックラー装備して歩き回り血の気の多いグループ喧嘩斬り合う事はよくある光景だった。このため、剣とバックラー(に代表される武術)は、しばしば施政者から治安悪化原因と見なされ、武術教え道場教室法律厳しく統制されたほどである。 1415世紀には剣術人々の生活にごく普通に溶け込んでいた。 16世紀前半歩兵騎兵火器多く使われるようになって部分的な鎧をまだ使用しており、とても重く高価銃弾にも耐えられる鎧を用意できたのはほとんどが騎兵であった。またこの時期歩兵にとっての主な脅威火縄銃ではなく矛と刀剣類であった16世紀後半になると主な脅威は剣などよりも銃になるが、近世になって騎兵にとっては剣は相変わらず重要な武器であったレイピアどちらかといえば決闘多く利用されたが、戦場でも利用された。16~17世紀火器発達により防備軽装化し動作機敏なレイピアのような軽量刀剣求められた。 16世紀には刀剣も弓もパイク初期火器からその地位脅かされており、16世紀後半にはクロスボウ戦場から姿をほぼ消す。 17世紀以降パイク銃器による密集方陣騎兵突撃をしても効果得られなくなったことや短銃と剣を武器とする騎兵コストパフォーマンス良さにより、ヨーロッパでポーランドハンガリーといった東欧除いて騎兵を使うことが減り、主に銃器刀剣類、そして斧や打撃武器使用するようになっていった。短銃騎兵射撃歩兵戦列突破口開け、そこに槍騎兵突っ込む形で活躍していたにも関わらずである。短銃騎兵射撃歩兵戦列崩した後に抜剣突撃する光景ヨーロッパ中の戦場見られるようになり、恐れられた。近世末期には斬るのにも刺すのにも効果が高いサーベル台頭し18世紀騎兵主力武器となり、拳銃登場して以降長らく人々の腰に吊られていた。18世紀では騎兵にとって刀剣攻撃防御に最も効果的な武器であり、騎兵銃器防御用の補助的な武器であった。しかし、ナポレオン戦争において再び騎兵復活し胸甲騎兵カラビニエ各種親衛隊騎兵などの重騎兵にはほとんどの場合敗北したものの、軽騎兵竜騎兵などの中騎兵の場合には多く場合勝利し歩兵銃剣よりも長い騎兵方陣をも突き崩す場合があり、槍騎兵恐ろしい威力発揮したナポレオン戦争刀剣大規模に活躍した史上最後戦争である。ナポレオン戦争終わりごろ、騎兵全ての大国軍隊にとって不可欠な兵科であり、その状況19世紀通して変わらなかったが、特に19世紀半ばから後半火器発達にともない戦場における騎兵重要性減少していった。それでも騎兵刀剣第一次世界大戦までは重要な働きをしており、騎兵流行第一次世界大戦まで続いた北米平原インディアンも馬が渡米してから、を使うようになった世界的に見て一般的ではなかったと言われるが、中には刀剣主力武器とした兵科重視した兵科もある。 弥生時代後期古墳時代後期日本歩兵は盾と日本刀前身である大刀主力武器とした。 南北朝時代から室町時代戦国時代除く)にかけては、太刀大太刀長巻といった日本刀騎射技術失った武士達(打物騎兵)の薙刀・鉞・棒・金砕棒と並ぶ主力武器として利用された。平安時代には騎射戦が武士の主戦法であり、平安時代終わりから鎌倉時代にかけては騎射戦が主流ありつつも太刀薙刀などの刀剣使用目立ち始め戦闘最終的に短刀を使う組打ちになる事が多くなり、南北朝時代には騎射戦が全く廃れた訳ではないものの武士乗馬下馬関わらず主に刀剣で戦うようになり、弓兵歩兵武器となり、室町時代南北朝時代起こった戦法変化受け継ぎつつ、戦国時代以降長柄、弓、鉄砲といった長射程武器足軽部隊使わせつつ、打刀武装した武士敵陣切り崩す戦法確立し武士下馬して戦う事が増えたが、場合により乗馬しても戦った中国南部および東南部では、山岳植物繁茂している地域湖沼や河が多く刀剣戦闘用としても、伐採用や船上での工具としても重要視された。 中国春秋戦国時代に主兵科戦車から歩兵に変わると双手剣という両手剣用い兵士発生したまた、その時以降中国多く時代剣と盾もしくは刀と盾の武術長柄武器飛び道具制するうえで重要な役割果たした戦国時代剣と盾兵士漢代の刀と盾の兵士三国時代の呉の精鋭である丹陽青巾兵が、刀と盾で戦っている。魏晋南北朝時代の刀と盾の兵士草原では金属製品貴重なので初期モンゴル族刀剣類をあまり使用せず比較的よく使っていたが、などの長兵器を使う事が比較少なく、弓と短兵器を多用したという説がある。剣、斧、刀、錘、棒、鎌といった短兵器を多用したモンゴル軍は弓を主に扱う軽騎兵主力だが、重騎兵突き以外に日本刀似た大型の刀をメインウェポンとする事もあった。サブウェポンは剣、斧、刀、錘、棒、鎌である。 明軍歩兵騎兵中には倭刀日本刀もしくは日本刀様式中国刀)を鳥銃火縄銃)など他の武具併用して主力武器とする兵科もいた。騎兵接近してくれば鳥銃装備した歩兵長刀呼ばれる野太刀タイプ倭刀馬の足薙ぎ払ったまた、盾を持って戦う兵士弓矢を使う兵士騎兵腰刀という通常の大きさ倭刀装備していた。 清代には大刀という薙刀状の武器短兵器の刀のほかに両手用い朴刀という刀や各種長刀野太刀状の武器であり、ものによっては片手でも扱える)が存在した大刀短兵器の刀も朴刀長刀それぞれ種類多く(もっとも、宋代以降長柄武器刀剣類打撃武器多様化していったが、)刀は清代において最も重視される白兵武器であった古代エジプト新王国のナフトゥ・アアという急襲部隊投擲隊列乱した敵にコピシュという鉈や両手持ち斧で接近戦挑んだ海の民一派であるシェルデン人(サルデーニャの民)は歴史上最初剣と盾による戦い専門とした部族であった共和政初期から帝政中期までのローマ軍では投槍ピルムとやや短めの剣グラディウス大盾スクトゥム主力である歩兵主力武器とした。 ケルト人歩兵騎兵戦車兵がいたが、弓兵投石兵以外にも槍兵と盾を主力武器とし、剣をサブウェポンとして携帯する兵士)や剣士剣と盾主力武器とする兵士)、「ガエサタエ」と呼ばれる投げ槍武器とする若い戦士たちの傭兵集団がいた。 カルタゴ軍傭兵として雇われケルト人イベリア人はソリフェレウムという投げ槍投擲した後にファルカタという刀剣と盾で攻撃した古代ゲルマン人は時期によって重視する武器異なり紀元前7世紀には青銅鉄製の剣、独自の鉄製と斧を使い紀元前5世紀初頭には剣の重要性に短い片刃ナイフ取って代わり多く戦士と盾の類を装備し投げ槍使われたが、東のゲルマン領では斧の方が多く使われ紀元前5世紀後半にはゲルマン人は剣をほとんど使っておらず、多く戦士地域色ある様々な類の、盾、短剣装備紀元前3世紀2世紀には武器にははっきりした変化がないが、総じて武器軽く利用少ない、不足の社会であり、1世紀になるとゲルマン人戦士10人に1人剣士であり、2世紀にはローマゲルマン装備多く地域併用され始めローマグラディウス型の剣、斧、特に投げ斧使われるようになり、3世紀には剣士の数はおそらく戦士4人に1人くらいの割合であり、ローマスパタ型の剣(ローマ騎兵用いた長い剣)が他の剣と共にますますゲルマン人の手に渡るようになり、そのほかに盾、逆棘付き投げ槍短剣使われ4世紀には盾が使われ様子がほとんどなく、この時期には投げ斧、ときに剣が使われた。 ダキア人にとって投げ槍広く普及しており、そのほかに独特な型の戦斧、剣、弓で戦ったが、最もローマ軍苦しめたのは鎌状の両手剣ファルクスであったパルティア人はカタフラクト重装騎兵弓騎兵といった多種多様な騎兵がおり、や弓を好むが、馬上にあって恐るべき剣の使い手であり、矢の消耗させた後の騎兵突撃のために矢筒に剣を入れている。メイス戦斧用いたヴァイキング好んだ武器には斧やのほかに剣もある。初期のヴァイキング軍団は剣や高価な武具を持つ少数エリート戦士粗末なや斧を持つ貧し農民からなる考えられていたが、2008年サーレマー島の町サルメ8世紀ヴァイキングの骨と剣が発掘されたが、剣の数は人骨の数よりも多かった中世ヨーロッパ騎士やメンアットアームズは馬上ではランス主な武器としたが、落馬した際や下馬した際は剣や斧やメイスと盾で武装し、高い戦闘力発揮した中世後期になり、防具発達してからは、下馬した際に両手剣両手斧、リーチ長いポールアックスやポールハンマー(長柄ウォーハンマー)といった両手持ち威力の高い武器武装した中でもポールアックスとポールハンマーが最も好まれた。 中世ヨーロッパ中世中東歩兵中には盾とだけではなく、盾と剣や手斧などの短い武器武装した兵士もいた。 スイス傭兵ランツクネヒトの倍給兵の中には両手剣武装するものもいて、敵のパイクハルバードなどの長柄武器叩き斬ったり、それを持った兵を直接斬りつけ時には味方槍兵突進してきた重装騎兵側面から攻め、馬から叩き落としたスコットランドハイランド地方ローランド地方では盾と剣やレイモアという両手剣使われた。ハイランダークレイモア両手でもって圧倒的な破壊力敵陣切り込んだクレイモアは敵の騎馬の足を叩き斬って派手に落馬させるのにも使われた。 アイルランド傭兵ギャロウグラスは両手剣やスパーテアックスといった威力の高い武器好んだ近世スペインにはロデレロというレイピアラウンドシールド主力武器とする歩兵がいた。パイク使われるようになってロデレロ維持され、その仕事敵味方パイク同士突き合う中でパイクの下をくぐって敵に近づき刺すことであったスペイン軍交戦したフランス軍ロデレロ大い憎み罵ったほかに、南米征服にも導入された。銃兵と騎兵鉄製の剣を装備したロデレロ鉄製長槍武装したパイク兵で構成されスペイン軍南米軍隊蹂躙された。 17世紀からナポレオン時代終結にかけての東欧を除くヨーロッパ騎兵刀剣、特にサーベル主な武器とした。特にナポレオン時代フランス胸甲騎兵その時代の最強騎兵として恐れられた。 レイターという騎兵武装は重装甲騎兵よりも遙かに軽量であり、彼等は足の速い馬に騎乗し刀剣短銃用いた。その運動性によってしばしばフランス軍ジャンダルム討ち破った彼等近代騎兵の一形式であったと言える。 アルゴレットはルイ十二世によって創設したと言われる散開隊形で戦う軽騎兵兵団でその主な武器刀剣と戦鎚、弩弓であるが、後年になると歯輪式アルケブス銃を手にするようになった近世胸甲騎兵は、ドイツ人レイターによく似ている別の形式騎兵である。槍騎兵適した軍馬調達ができず、加えて騎兵攻撃には開けた地形硬い地面が必要であり、ネーデルラントでの戦に騎兵適していないとされ、軍から排除された。胸甲騎兵軽量化された甲冑短銃斬るにも刺すにも適した刀剣とで武装した騎兵戦力だった。スペイン軍槍騎兵隊の突撃に対しては、まず短銃発射し、それから敵の側面より刀剣襲い掛かり、この戦法おおむね成功した彼等は非常に有用な戦力であり、数々勝利大い貢献した。この形式騎兵たちは僅かな改善施されながらヨーロッパのほとんどの軍でこれ以降現代まで運用されているが、現代では刀剣武器として一番の地位にあるとされ、短銃は副兵装となっている 近世オスマン軍騎兵は高い評判獲得しており、彼等軽騎兵であり、主にサーベルシミター頼みとした。弓矢の技はサーベル同じくらい巧みであった騎兵は時々、使われたが、乱戦適していない為にあまり好まれなかった。

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