初期のヴァイキングとは? わかりやすく解説

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初期のヴァイキング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:41 UTC 版)

ヴァイキング」の記事における「初期のヴァイキング」の解説

西暦700年代末頃からヴァイキング集団ブリテン諸島フリースラントへの略奪始めたが、この頃には季節の終わりには故郷へ戻っていた。 本格的なヴァイキング時代が始まるのは、793年北部イングランドリンデスファーン修道院襲撃からとされる以後795年にはヘブリディーズ諸島アイオナ修道院略奪し北海沿岸襲撃していくようになった。だが、9世紀半ばからは西ヨーロッパ越冬地設営して、さらなる略奪作戦のための基地とするようになったいくつかの場合、これらの越冬地永続的な定住地となっていった。 中世初期文献資料は、ヴァイキング敵意を持つ西欧人の記した記録伝承記が多い。中世西欧人にとってノルマン人ヴァイキング)とペスト黒死病)は二大脅威だったのである793年ノルマン人思われる一団によって、ブリテン島東岸リンディスファーン修道院襲撃された。このことは「アングロ・サクソン年代記」に記されており、西ヨーロッパ記録記され最初ヴァイキングの襲撃みなされている。 ヴァイキングは、9世紀フェロー諸島次いでアイスランド発見した。そしてアイスランドからグリーンランドアメリカ大陸ニューファンドランド島推測される)へ進出した。彼らはまた、ヨーロッパ沿岸や川を通って渡り歩く優れた商人であったことから、グリーンランド北端にして南はロシア内陸河川航行してイスタンブール進出していった。 ヴァイキング海岸線伝い現在のフランスオランダにあたる地をしばしば攻撃したデーン人は、834年フランク王国襲撃843年にはロワール川河口に近いナント襲った10世紀に入るとパリヴァイキングにより包囲されロワール川流域荒廃した10世紀初めヴァイキング一首ロロ西フランク襲撃しない見返りとして、シャルル3世によってキリスト教への改宗領土防衛条件に、フランス北西部セーヌ川流域領土封じられた。これがノルマンディー公国始まりである(なお、ロロの子孫で西フランクフランス)王の臣下でもあったウィリアム1世がのちにイングランド侵攻しノルマン朝開いている。これが1066年ノルマン・コンクエストである)。 ヴァイキング西欧へ侵入当初略奪目的少なくなかったものの、9世紀以降は、ロロの例にみられるごとく定住化傾向顕著になる。これは、ヴァイキング故郷であるデンマーク一帯統一権力形勢動きが起こることと連関があり、故国で志をえない有力者部下とともに移住するケースとみられる

※この「初期のヴァイキング」の解説は、「ヴァイキング」の解説の一部です。
「初期のヴァイキング」を含む「ヴァイキング」の記事については、「ヴァイキング」の概要を参照ください。

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