初期のワイン生産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 05:35 UTC 版)
「アルゼンチンワイン」の記事における「初期のワイン生産」の解説
Clip アルゼンチンにマルベック種を持ち込んだサルミエント州知事 アメリカ大陸でのブドウ栽培はスペイン人の到着とともに始まり、かなり遅れてポルトガル人もブドウ栽培を開始した。セビリアの契約業者は、新大陸にむけて出航する各船舶に一定数のブドウの苗を積み込むとする命令を受け取っている。 1541年には大西洋と接するラプラタ川沿いにブドウの苗が植えられたが、湿度の高い亜熱帯の気候に適応できず、ラプラタ川沿いではブドウの木は育たなかった。1542年にはペルーで栽培されていた苗から得られた乾燥種子がサルタ地方に植えられ、1556年にはフアン・セドロン神父が、チリのセントラル・ヴァレーからアルゼンチンにブドウの挿し木を持ち込み、サン・フアン地方やメンドーサ地方にアルゼンチン初のブドウ畑を設立した。チリでパイス種と、カリフォルニアではミッション(英語版)種と呼ばれるブドウは、この時期にアルゼンチンに持ち込まれたとブドウ栽培学者は考えている。この品種は続く300年間にアルゼンチンのワイン産業の根幹となったクリオーリャ・チカ(英語版)種の前身だった。 1557年にはイエズス会宣教師によって、サンティアゴ・デル・エステロ地方にアルゼンチン初の商業的なワイン生産を行うためのブドウ畑が設立された。1560年代初頭にはメンドーサ地方にも商業的なブドウ畑が設立され、1569年から1589年にはサン・フアン地方にも広がった。宣教師や入植者は複雑な灌漑水路やダムを建設し、アンデス山脈の溶融氷河からブドウ畑に水を運んだ。1739年の国勢調査によると、メンドーサ地方には120のブドウ畑があった。
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