10~15世紀
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1000年頃 — アブー・サフル・アル=クーヒー (クーヒー)が2次以上の方程式を解く。 1000年頃 — アブー=マフムード・ホジャンディー(英語版)がフェルマーの最終定理の特別な場合について初めて言及する。 1000年頃 — 正弦定理がムスリムの数学者により発見されたが、アブー=マフムード・ホジャンディー、アブー・ナスル・マンスール(英語版)、アブル・ワファーの内誰が最初に発見したかについては明らかではない。 1000年頃 — ローマ教皇シルウェステル2世がアラビア数字による記数法を使用したアバカスをヨーロッパに紹介する。 1000年 — カラジーが数学的帰納法による人類初の証明を含む書籍を著す。彼はこれを二項定理やパスカルの三角形、立方数の和の証明に使用した。彼は「微分積分学の理論を導入した初の数学者となった」。 1000年頃 — イブン・ターヒル・アッ=バグダーディー(英語版)が友愛数に関するサービト・イブン・クッラの様々な定理を研究し、10進法の記数法発展に大きく貢献する。 1020年 — アブル・ワファーが三角関数の加法定理として有名な以下の公式(sin (α + β) = sin α cos β + sin β cos α)を定式化する。彼はまた放物線の求積法や放物面の体積についても考察した。 1021年 — イブン・アル・ハイサムがアルハゼンの定理を幾何学的に定式化、解を与える。 1030年 — アリー・イブン・アフマド・ナサウィー(英語版)が10進法や60進法による記数法について扱った著書を書き上げる。彼の著書ではほぼ現代と同様の手法で平方根と立方根(57,342の平方根、3, 652, 296の立方根)の求め方を説明している。 1070年 — ウマル・ハイヤームが「Treatise on Demonstration of Problems of Algebra」の作成を始め、3次方程式の分類を行う。 1100年頃 — ウマル・ハイヤームが幾何学的解法に基づき、円錐曲線を用いて3次方程式の完全な分類を与えた。彼は3次方程式の一般的な幾何学的解法を初めて発見し、解析幾何学や非ユークリッド幾何学の発展の基礎を作った。彼は10進法による記数法を用いた関数の根も得た。 12世紀 — インド数字がアラブの数学者により洗練化され、現代のアラビア数字による記数法(現代の世界で一般的に使用されている数記法)が整備される。 12世紀 — アラビア数字による数記法がアラブ地域を通じてヨーロッパへと到達する。 12世紀 — バースカラ2世がリーラーヴァティ(算術)を著す。この書籍では定義、算術用語、利子計算、算術級数と幾何級数、平面幾何学、立体幾何学、日時計の影、不定方程式の解法、組合せといった内容を扱っている。 12世紀 — バースカラ2世がビージャガニタ (代数学)を著す。これは正の数が2つの2乗根を持つことについて触れた世界初の書籍である。 12世紀 — バースカラ2世が微分法を考案し、さらにロルの定理、ペル方程式、ピタゴラスの定理の証明を発見、さらに0で割った数は無限であることを証明する。また、円周率Πを10進法5桁まで求め、地球の公転周期を10進法で9桁まで求めている。 1130年 — アル=サマワール(英語版)が代数の定義を与える。「算術家が既知の数を使用して問題を解く様に、代数はあらゆる算術法を用い未知数を駆使して問題を解く学問である。」 1135年 — シャラフ・アッディーン・アル・トゥースィー(英語版)がイブン・アル・ハイサムに続いて代数学の幾何学への適用を行い、3次方程式の解法を記す。これは方程式を用いて曲線を研究する目的で別の代数への本質的な貢献をしており、代数幾何学の創始となった。 1202年 — レオナルド・フィボナッチが自著算盤の書においてアラビア数字の使用法を実演してみせる。 1247年 — 南宋の数学者秦九韶が数書九章を出版する。 1260年 — カマール・アッディーン・アル=ファーリスィー(英語版)がサービト・イブン・クッラの定理に関する新たな証明を与え、因数分解や組合せ数学に関する重要な新たな方法を導入した。彼はまた、友愛数である17296と18416の組を与え、サービト・イブン・クッラとともにピエール・ド・フェルマーの業績に貢献を残した。 1250年頃 — ナスィールッディーン・トゥースィーが非ユークリッド幾何学の定義整備を試みる。 1303年 — 朱世傑が四元玉鑑(中国語版)を出版する。この書籍では三角形における二項係数を求める古典的方法を取り扱っている。 14世紀 — インドの数学者マーダヴァ(サンガマグラーマのマーダヴァ、ケーララ学派の創始者)が解析学の父と考えられている。彼は円周率や正弦関数、余弦関数に対する冪級数に関して業績を残し、他のケーララ学派の数学者とともに微分積分学の重要な概念を生み出した。 14世紀 — ケーララ学派の数学者パラメーシュヴァラ(英語版)がテイラー級数展開に相当する正弦関数の級数展開を発見し、微分法の平均値の定理について述べた、また、彼は四角形の外接円の半径を与えた世界初の数学者となった。 1400年 — マーダヴァが逆正接関数の級数展開、及び逆正接関数と正弦関数の無限級数を発見し、円の円周を計算する多くの方法を発明する。これらを用いて、円周率Πの値を11桁まで求める。 1400年頃 — アル=カーシーが代数的数だけでなく、円周率Πのような実数をも近似する10進小数の開発に貢献する。10進小数に対する彼の貢献は非常に大きいため、長年に渡り彼は10進小数の発明者と考えられていた。10進小数の発明者ではなかったものの、アル=カーシーは数世紀後にパオロ・ルフィニとウィリアム・ジョージ・ホーナーにより与えられる事となる冪根を計算する方法の特別な場合について、計算するためのアルゴリズムを与えた。また、彼は算術やアラビア数字を用いた記数法において、小数点を初めて導入した。彼の作品の中には「計算の鍵、数学における発見、小数点」や「0の効用」がある。「0の効用」の内容は序章に続いて、「数の算術」、「分数の算術」、「星の運行」、「面積」、「未知数の解法」の5つの分野にわかれている。彼は、「正弦関数と弦」や「1次の正弦の値を求める方法」と言った著作も残した。 15世紀 — イブン・アル=バンナ(英語版)とアル=カラサーディー(英語版)が代数学、さらには数学に対し一般的な数学記号を導入した。 15世紀 — ケーララ学派の数学者ニーラカンタ・ソーマヤージ(英語版)が「アールヤバティーヤ注解」を著す。この中には無限級数展開、代数学の問題、球面幾何学に関する業績が含まれている。 1424年 — アル=カーシーが円に内接、外接する多角形を用いて円周率Πを小数第16位まで求める。 1427年 — アル=カーシーが「計算法の鍵」を完成させる。この書籍は10進小数について深い考察を含んでおり、複数の幾何学の問題を含む様々な問題の解法に対する演算的、代数学的方法を示している。 1478年 — トレヴィーゾ・アリスメティクが書かれる。(作者不詳) 1494年 — ルカ・パチョーリが「スムマ(Summa de arithmetica, geometria, proportioni et proportionalità)」を著す。この書籍では、不明な数にco(cosa)を当てた原始的な記号代数が導入されている。
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