フェルマ‐の‐さいしゅうていり【フェルマの最終定理】
フェルマーの最終定理
17世紀の数学者フェルマーは、古代ギリシャの数学者ディオファントスが記した「算術」という書物を研究していたが、その書物の欄外に様々な書き込みを残した。この書物にはピタゴラスの定理(三平方の定理)についての記述があったが、その欄外に、
2よりも大きなべき指数 n について、 an+bn=cn をみたす3つの整数 a, b, c を見出すことは不可能である。私はこれについてのまったくすばらしい証明を得たが、ここの余白は狭すぎて書き記すことができない。
フェルマーは他にも数多くの予想を残し、すべては決着がついたが、この予想だけは証明することも、反例をあげることもできなかったため、フェルマーの最終定理と呼ばれた。フェルマーの大定理または単にフェルマーの予想とも呼ばれることもある。
フェルマーの最終定理の n を2とすると、「a2 + b2 = c2」というピタゴラスの定理(三平方の定理)となる。これをみたす自然数 a, b, c は(3, 4, 5)、(5, 12, 13)、(7, 24, 25)のように無数に存在する。ちなみに、ピタゴラスの定理(三平方の定理)をみたす自然数 a, b, c はピタゴラス数と呼ばれる。
フェルマーの最終定理は、数学界最高の謎であり、数多くの数学者がその真偽を証明していったわけだが、350年もの間解決をみるに至らなかった。1994年になり、プリンストン大学のアンドリュー・ワイルズがついにフェルマーの最終定理の完全な証明に成功した。その証明は谷村豊・志村五郎の予想を経由するものであり、他にも日本人数学者の結果が寄与している。
フェルマーの最終定理と似たものに「オイラーの予想」というものがあり「x4 + y4 + z4 = w4」これを成立する自然数の解は存在しないとオイラーは言っていた。
フェルマーの最終定理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/03 23:20 UTC 版)


フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり、英: Fermat's Last Theorem)とは、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理である[注釈 1]。
フェルマーの大定理(フェルマーのだいていり)とも呼ばれる。ピエール・ド・フェルマーが「真に驚くべき証明を見つけた」と書き残したと伝えられ、長らく証明も反証もなされなかったことからフェルマー予想とも称されたが、フェルマーの死後330年経った1995年にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、ワイルズの定理またはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった[1]。
概要
17世紀、フランスの裁判官ピエール・ド・フェルマー(1607年 - 1665年)は、古代ギリシアの数学者ディオファントスの著作『算術』を読み、本文中の記述に関連した着想を得ると、それを余白に書き残しておくという習慣を持っていた。それらは数学的な定理あるいは予想であったが、限られた余白への書き込みであるため、また充分な余白がある場合にも、フェルマーはその証明をしばしば省略した(たとえば、フェルマーの小定理として知られる書き込みを実際に証明したのは、ゴットフリート・ライプニッツである)。
48か所に及ぶこれらの書き込みが知られるようになったのは、フェルマーの没後の1670年に彼の息子サミュエルによってフェルマーの書き込み入りの『算術』が刊行されてからである[注釈 2][注釈 3]。
第2巻第8問「平方数を2つの平方数の和に表せ[注釈 4]」の欄外余白に、フェルマーは
Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duos eiusdem nominis fas est dividere cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet.[4] | 立方数を2つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を2つの4乗数の和に分けることはできない。一般に、冪が2より大きいとき、その冪乗数を2つの冪乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。 |
とラテン語で書き残した。彼の残した他の書き込みは、全て真か偽かの決着がつけられた(証明された・反例が挙げられた)が、最後まで残ったこの予想だけは誰も証明することも反例を挙げることもできなかった。そのため「フェルマーの最終定理」[注釈 5]と呼ばれるようになった。内容自体は三平方の定理程度の知識があれば理解できるものであったため、プロ、アマチュアを問わず多くの者がその証明に挑んだ。見事に証明した者には賞金を与えるという話も出てきて、フェルマーの最終定理の存在が一般にも徐々に知られるようになっていった。
個別研究の時代
n が具体的な値を取るいくつかの場合についてはさまざまな証明が与えられた。
n = 4:フェルマー

フェルマー自身の証明は、ディオファントスの『算術』に記された45番目の書き込みに含まれている[5]。フェルマーは以下の手法、法則、定理を使い証明した[6]。
- 指数法則に従って x4 + y4 = z4 を (x2)2 + (y2)2 = (z2)2 に変換し、ピタゴラス数の性質を利用する。
- x, y, z は互いに素であるとする。
- 定理「互いに素である2つの数の積が平方数であるならば、2つの数もそれぞれ平方数である。」
- x を偶数、z, y を奇数とする。
- 偶数と奇数の性質
- 無限降下法
フェルマーによる証明は後にレオンハルト・オイラーによって簡潔な形で直される[7]。
n = 4 の場合がフェルマーによって証明された後は、残りの証明は n が奇素数の場合のみを考えればよいことになる[8]。なぜなら、n が奇数の場合は、n = pq…r のように奇素数の積で表すことができて、奇素数 p のときに成り立てば、(xq…r)p + (yq…r)p = (zq…r)p より n = pq…r のときも成り立つことが示される。さらに、n が偶数の場合は、4で割った余りが0または2となるので、余りが0すなわち n = 4m の場合は (xm)4 + (ym)4 = (zm)4 より成り立ち、余りが2すなわち n = 4m+2 の場合は n = 2(2m+1) より n が奇数の因数 2m+1 を持つことになり 2m+1 を素因数分解したときの奇素数について成り立つからである。
n = 3:オイラー
レオンハルト・オイラーは1753年にクリスティアン・ゴールドバッハへ宛てた書簡の中で n = 3 の場合の証明法について言及し[9]、1760年に純初等的で完全な証明を得た[10]。さらに、1770年に刊行した著書『代数学』(Vollständige Anleitung zur Algebra)ではその証明とは異なり(複素数を用いる)エレガントながら不完全な証明を公開した。ただし、この2番目の証明は虚数のレベル、具体的には a+b√−3 の形の数まで因数分解を行ったもので、現代の言葉で言えば、整数環
プリンストン大学にいたイギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズは岩澤主予想 (Iwasawa main conjecture) を解決するなどして、元々数論の研究者として有名な人物であった。彼は10歳の時に触れたフェルマー予想に憧れて数学者となったが、数学者となってからは自身の生活も危惧して子供時代の夢は封印し、フェルマー予想のような孤立した骨董品ではなく主流数学の研究に勤しんでいた。ところが1986年、ケン・リベットがフライ・セール予想を解決したことにより、フェルマー予想に挑むことは、主流数学の一大予想に挑むことと同義になってしまった。かつての憧れだったものが、今や骨董品どころか解かずには済まされない中心課題の一つになったのである。ワイルズはこのことに強い衝撃を受け発奮、正にフェルマー予想の解決を目的として、他の研究を全て止めて谷山–志村予想に取り組むこととなった。ただしこの際、彼は人々の耳目を集め過ぎることを懸念して、表面的には未発表の研究成果を小出しにすることで偽装し、谷山–志村予想の研究を秘密裏に行うこととした。
ワイルズは、代数幾何学(特に楕円曲線と群スキーム)や数論(モジュラー形式やガロア表現、ヘッケ環、岩澤理論)の高度な道具立てを用いて証明を試みたが、類数公式の導出に当たり岩澤理論を用いる方向では行き詰まってしまった。そこでコリヴァギン=フラッハ法(ヴィクター・コリヴァギンとマティアス・フラッハの方法)に基づくよう方針転換し、最後のレビュー段階で自分のコリヴァギン=フラッハ法の運用に誤りがないか確認を依頼するためプリンストンの同僚ニック・カッツに「谷山-志村が証明できそうだ」と打ち明け、助けを得るまで、細部に至るまでの証明を完璧な秘密のうちにほぼすべて独力で成し遂げた(ここまでで7年が経過していた)。彼がケンブリッジ大学で1993年の6月21日から23日にかけて3つの講義からなるコースで証明を発表したとき、聴衆は証明に使われた数々の発想と構成に驚愕した。
ただし、その後の査読において、ワイルズの証明には1箇所致命的な誤りがあることが判明した。この修正は難航したが、ワイルズは彼の教え子リチャード・テイラーの助けを借りつつ、約1年後の1994年9月、障害を回避することに成功した。ワイルズはその瞬間を「研究を始めて以来、最も大事な一瞬」と語っている。1994年10月に新しい証明を発表。1995年のAnnals of Mathematics誌において出版し、その証明は、1995年2月13日に誤りがないことが確認され[23]、360年に渡る歴史に決着を付けた。
証明した論文
- Andrew Wiles (May 1995). “Modular elliptic curves and Fermat's Last Theorem(モジュラー楕円曲線とフェルマーの最終定理)” (PDF). Annals of Mathematics 141 (3): 443-551 .
- Richard Taylor and Andrew Wiles (May 1995). “Ring-theoretic properties of certain Hecke algebras(ある種のヘッケ代数の環論的性質)” (PDF). Annals of Mathematics 141 (3): 553-572 .
エピソード
- 現在も未解決の問題の大多数は、問題自体が難解な用語を用いなければ表現できないものであるのに対し、本定理の言わんとするところは中学生程度の知識さえあれば理解できるため、数多くのアマチュア数学ファンがこれを解決しようと熱中し、数学を志す者も輩出された。最終的に解決に導いたワイルズ自身もそうした者の一人であった。
- フェルマーはこの定理の証明に関して「真に驚くべき証明を見つけた」と記述を残している。しかし、現在知られている証明は、分野ごとの壁が厚くなったことで、半ば独自に進化と発展を遂げた各数学分野の最新理論を巧妙に組み合わせ、駆使することで構成されている。いかに「数論の父」と呼ばれるフェルマーであっても、400年前に独自にこの証明を成し遂げたとは考え難いため、フェルマーが n = 4 の場合に用いた無限降下法による証明が全ての自然数に対して適用可能であるとの勘違いによるものとも考えられる。また、小山信也は科学雑誌「Newton」中でこう語っている。
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- 「その後フェルマーは,n = 3の場合を研究した形跡があります。完全な証明を得たのなら,個別のn について研究する必要がありません。完全な証明を見つけたというのは間違いだったと,フェルマー自身も気づいていたのではないでしょうか」[24]。
- 最終的な証明で重要な役割を果たした谷山–志村予想に関して、ワイルズとテイラーが証明したのは「半安定」と呼ばれる特殊な場合であり、一般的な場合に関しては証明を与えることはできなかったが、フェルマーの最終定理(の反例)からくるであろう反例の可能性を排除するにはこれで十分だった。ちなみに、後に谷山–志村予想に完全な証明を与えたのはワイルズの弟子であるブライアン・コンラッドとフレッド・ダイアモンドらであり、今では数論の1つの到達点とされて「モジュラー性定理」とよばれることもある。
- 1988年に当時西ドイツのマックス・プランク数学研究所にいた、宮岡洋一が証明できそうだというニュースが報道された。ただし実際には不備があり、完全な証明には至らなかった。
- 1908年、ドイツの富豪パウル・ヴォルフスケールは2007年9月13日までの期限付きでフェルマー予想の証明者に対して10万金マルクの懸賞金を設けた (Wolfskehl-Preis)。当然のことながらワイルズが受賞し、その賞金は約500万円程度であるが、第一次世界大戦後のハイパーインフレーションがなければ、十数億円であったといわれる。授賞式は1997年6月、ゲッティンゲン大学の大ホールにて、500人の数学者が列席する中、執り行われた。
- 解決以前に書かれたSFなどの文芸作品における「未来」において、未解決の問題として言及されていることがしばしばある[25]など、解決以前は「未解決問題」の代表的な存在であった。
- 解決以前において、サイコップのメンバーだったカール・セーガンは、「人類より高度な文明を持つ知的生命体と意思のみで交信できる」というチャネラーに対し、その知的生命体への質問として「フェルマーの最終定理」の解法を訊いてみるが、ことごとく無視された[注釈 7]。
- 2020年11月、望月新一らのグループがプレプリントを発表し、望月が提唱する宇宙際タイヒミュラー理論の応用により、フェルマーの最終定理の別証明を与えたと主張している[26](ABC定理を利用すれば、フェルマーの最終定理の証明は数行でできてしまう)。
フィクション
偽の反例
1998年のアニメ『ザ・シンプソンズ』シーズン10第2話「発明は反省のパパ」にて、ホーマー・シンプソンが次の反例であるように見える等式を書く場面がある[27]; (注:もちろんこれは指数nが4の倍数である時点で、フェルマー自身が証明したように解ではありえない)。
- ABC予想 - 予想が正しかった場合、n が 6 以上の場合についての証明を与える、とよく誤解される。正しくは「質が2以上であるabc-tripleは存在しない」というABC予想に関連するまた別の予想からの帰結である。
- オイラー予想 - フェルマーの最終定理を発展させた数学的予想。反例が示され、否定的に証明されている。
- 佐藤・テイト予想
- 数学上の未解決問題
- フェルマー=カタラン予想
外部リンク
- Weisstein, Eric W. "Fermat's Last Theorem". mathworld.wolfram.com (英語).
フェルマーの最終定理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 17:06 UTC 版)
素数 p に対して、 x p + y p = z p {\displaystyle x^{p}+y^{p}=z^{p}} の左辺を、 Q ( ζ p ) {\displaystyle \textstyle \mathbb {Q} (\zeta _{p})} 上で分解すると、 ( x + y ) ( x + ζ p y ) ⋯ ( x + ζ p p − 1 y ) = z p {\displaystyle (x+y)(x+\zeta _{p}y)\cdots (x+\zeta _{p}^{p-1}y)=z^{p}} となる。ラメ (G. Lamé)、コーシー (A. Cauchy)らは、上記左辺を考察し、フェルマーの最終定理が成立することを証明したと発表した。しかし、クンマー (E. E. Kummer)は、彼らの証明は、左辺の分解が一意的であることが前提になっており、 p = 23 {\displaystyle p=23} のとき、それが成立しないことを示した。そのため、 p = 23 {\displaystyle p=23} (円分体の性質にある様に、23 以上の全ての素数) の場合、別の方法をとる必要がある。 クンマーは、素元の分解が一意でなくとも、ある性質をもつ素数である場合、彼らの証明のアイデアを生かしながら、フェルマーの最終定理が成立することを証明した。 クンマーにより考察された素数は、以下の性質を持ち、正則素数と呼ばれる。 素数 p は、円分体 Q ( ζ p ) {\displaystyle \textstyle \mathbb {Q} (\zeta _{p})} の類数を割り切らない。 正則素数に対しては、以下の補題が成立し、クンマーは、この補題を用いて、ベキが正則素数の場合のフェルマーの最終定理を証明した。 クンマーの補題 素数 p が正則素数であれば、円分体 Q ( ζ p ) {\displaystyle \textstyle \mathbb {Q} (\zeta _{p})} の単数 ε を、 ε ≡ a ( mod ( 1 − ζ p ) p ) {\displaystyle \textstyle \varepsilon \equiv a\ (\operatorname {mod} \ (1-\zeta _{p})^{p})} となる有理整数 a が存在するようにとると、 Q ( ζ p ) {\displaystyle \textstyle \mathbb {Q} (\zeta _{p})} の単数 ε 0 {\displaystyle \textstyle \varepsilon _{0}} が存在して、 ε = ε 0 p {\displaystyle \textstyle \varepsilon =\varepsilon _{0}^{p}} と表される。 正則素数についての詳細は、正則素数 を、フェルマーの最終定理については、フェルマーの最終定理を参照のこと。
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