国語国字問題
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国語国字問題(こくごこくじもんだい)とは、日常で使用する言語・文字をいかに改良し、いかに定めるべきであるかについての問題である[1]。本項では、国語としての日本語の表記法である漢字仮名交じり文とそれを構成する漢字、仮名遣いの在り方、改変に関わる近現代の言語政策(公的決定)など、表記をめぐって議論となる事柄について、第二次世界大戦後の「国語改革」以降のものを中心に取り上げる。
注釈
- ^ この建白書の存在をめぐっては、否定的にみる見解や指摘が示され、その再検討を試みたものに阿久澤佳之 (2009)がある。
- ^ ただし正確には「ローマ字推進と簡易英語を通じた日本語への近代的語彙の導入を指したもの」であったことが、後の研究により明らかになった[5]。
- ^ 例えば字音仮名遣では「かうちやう」となる「校長」は、これに従うと「こーちょー」と表記する。
- ^ 例えば時枝誠記 (1949)などにおいて、「言語の実践に関する議論であるならば、それは他の言語現象と共に、それ自体が国語学の対象とならなければならない」「国語における音声や文字や文法が国語学の対象となるのと同じように、国語の主体的意識の問題として考察の対象となる」と述べている[23]。
出典
- ^ a b c 加藤彰彦 (1961), p. 561.
- ^ 山東功 (2017), p. 61.
- ^ 国語国字問題講座 カナモジカイ
- ^ 加藤彰彦 (1961), pp. 586.
- ^ 臼井裕之 (2007), p. 60.
- ^ 臼井裕之 (2007), pp. 61–69.
- ^ 加藤彰彦 (1961), pp. 563–567.
- ^ 山東功 (2017), pp. 62–64.
- ^ a b 加藤彰彦 (1961), p. 569.
- ^ 加藤彰彦 (1961), p. 570.
- ^ “人名用漢字の新字旧字:「鉄」と「鐵」”. 三省堂国語辞典. 2019年5月8日閲覧。
- ^ 安田敏朗 (2016), pp. 369–374.
- ^ a b 加藤彰彦 (1961), pp. 571–572.
- ^ a b 加藤彰彦 (1961), p. 571.
- ^ けん引免許試験 警視庁公式サイト、2020年12月19日閲覧。
- ^ “人名用漢字の新字旧字:「曽」と「曾」”. Sanseido Word-Wise Web. 2014年10月9日閲覧。
- ^ “各期国語審議会の記録 | 第22期 | 表外漢字字体表 | 前文 | 表外漢字の字体問題に関する基本的な認識 | 従来の漢字施策と表外漢字の字体問題”. 文化庁. 2021年7月19日閲覧。
- ^ “各期国語審議会の記録 | 第22期 | 表外漢字字体表 | はじめに”. 文化庁. 2021年7月19日閲覧。
- ^ 交ぜ書き、漢字制限…新聞の用語原則はどう決まったか 毎日ことば
- ^ まん延・ひっ迫…気になる交ぜ書き 難読漢字ダメですか:朝日新聞デジタル
- ^ 矢玉四郎「まぜがきをなくそう」「子ども教の信者は目をさましましょう」
- ^ コラム 漢字の現在 第221回 新潟の「潟」の略字の今 三省堂W WORD-WISE WEB 辞書ウェブ編集部によることばの壺、2020年12月19日閲覧。
- ^ a b 加藤彰彦 (1961), p. 562.
- ^ 加藤彰彦 (1961), p. 585.
漢字制限
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東京市の視学であり昆虫学者であった岡崎常太郎は、1930年に『テンネンショク シャシン コンチュー 700シュ』という、カタカナ書きの図鑑をあらわした人物である。彼は、1935年ごろ、服部報公会の援助を得て、漢字制限のための研究をおこなった。 まず、東京市の尋常小学校6年生848名、高等小学校1年生631名に、尋常小学校6年間で学ぶ1,356字の漢字の書きとりテストを受けさせた。その結果、彼は、義務教育で児童に身につけさせられる字数はおおむね600字であると結論した。 つぎに、1935年の60日分の新聞の政治面および社会面に用いられた漢字の異なり字数およびそれぞれの漢字の出現度数を調べた。その結果、彼は、出現度数の大きい500字の漢字が、漢字の出現度数のおおむね4分の3をしめることをみいだした。 そして、義務教育で児童に身につけさせられる字数はおおむね600字であること、出現度数の大きい500の漢字が、漢字の出現度数のおおむね4分の3をしめること、ライノタイプを使用するためには漢字を500種類に制限することが適当であること、を理由として、漢字の種類を500に制限することを提案し、その500字を選んだ。 彼は以上の研究成果を『漢字制限の基本的研究』(松邑三松堂、1938年)に発表した。この本そのものが、岡崎が選んだ500種類以外の漢字を使わずに書かれている。 松坂忠則は1927年にカナモジカイの本部員となった。彼は岡崎の研究の助手をつとめた。松坂は、漢字を岡崎が選んだ500種類に制限して、『火の赤十字』という小説をあらわした。彼は、野戦病院部隊に所属して中国にいるとき、みずからの経験をもとにこの小説を書いた。この小説は文藝春秋社の『話』1939年10月号にのせられ、第10回直木賞の候補作品となった。
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