服部報公会
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1930年(昭和5年)、70歳の古希を迎えるに当たり、金太郎は私財300万円を投じて発明・研究・学術奨励を目的とする財団・服部報公会を設立した。これは、「自分がこれまで我が国の時計産業の発達に貢献し得たのは、ひとえに国家・社会の恩恵の賜物である」との信念からである。後にノーベル賞を受賞する湯川秀樹も、この会の援助を受けていた。
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