服部家の系譜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/21 06:22 UTC 版)
父方の家系である天野屋の初代・服部甚吉連久(つれひさ)は、美濃郡上の出身で、先祖は服部伊賀守宗純。天正年中、前田利家の越前府中時代に御用商人として召抱えられる。後に利長に従い、越中守山から富山に移った際に天野屋三郎右衛門を名乗った。三郎左衛門は二代目正知であり、後に天野屋伝兵衛を家督の名にする。 正知には12子があり、柳沢吉保に仕え、荻生徂徠の高弟として江戸時代の文壇を引っ張ってきた服部南郭は彼の外孫に当たる。正徳元年(1711年)第4代の伝兵衛正武の時、藩主の宿である御本陣に指定され、天保4年(1833年)には「服部」姓が苗字御免になり、高岡由緒町人筆頭として260年以上も高岡の町年寄、町役人を断続的ながらも勤めた。
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