日本における檀君研究史とは? わかりやすく解説

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日本における檀君研究史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 03:52 UTC 版)

檀君朝鮮」の記事における「日本における檀君研究史」の解説

1667年徳川光圀の命で刊行された『東国通鑑』の和刻版の序文林鵞峰は、檀君朝鮮の祖としながらも、素戔烏尊三韓の一祖として、日本朝鮮同一視する。これによって江戸時代には、檀君素戔烏尊という主張多くみられる落合直澄は、「五十猛神檀君トハ同神ニシテ素盞鳴神御子ナル」と述べており、檀君素盞嗚神息子である五十猛神主張している。1667年刊行された和刻版『東国通鑑』に、林鵞峰書いた序文鴻荒世に在りて檀君其の国を開く…我が国史を言えば、これ則ち韓郷の島新羅の国また是れ素戔烏尊経歴する所なり。尊の雄偉赫・朱蒙温祚企て及ぶ可きに非るときは、則ち推め三韓のこれ一祖と為せんもまた、しいたりとか為せざらんか」とあることから、落合直澄の「檀君=素盞鳴神の息子五十猛神」という主張は、林鵞峰の「素盞鳴神三韓の一祖」から導き出したとみられる落合直澄は、江戸時代史書日本春秋』において、朝鮮では「伊檀君曽(いたきそ)」が檀君指し檀君別称が「新羅明神」「日韓神」としていることを根拠に、檀君を「太祈(たき)」と称し五十猛神別称が「伊太祈曽」「韓神保利」であることから、檀君五十猛神同一神であると主張した林泰輔は、「其説荒唐ニシテ、遽ニ信ズベカラズ…或人曰ク…五十猛神一名韓神ト云ヒタレバ、事實大略符號セリ、亦牽強ニ近シ」と述べており、朝鮮興った最初国家箕子朝鮮であり、朝鮮の歴史は、朝鮮亡命した箕子始まり衛満漢四郡中国人国家、続く新羅高句麗百済高麗李氏朝鮮と列記している。また朝鮮政体が、帝や崩や陛下使用しないことで中国に対して王国ノ礼」をとり、年号中国のものを踏襲しており、朝鮮は「真の独立国とはいえないと指摘檀君を「荒唐無稽な説」「にわかに信ずるべきではない」とし、落合直澄主張する五十猛神檀君」を「道理合わないことを無理にこじつけているのに近い」と否定した吉田東伍は、『日韓古史断』(1893年)において、「朝鮮古史全く欠け後人強説して錯乱甚し」「韓史開国最古を談し、檀君首に出て平壌都邑す、是れ帝堯戊辰の歳なり…決して信すへからす…後世至り其の草昧を談して之を神にしたるのみ」と記し檀君を「決して信すへからす」と断じ、 「紀元前三世紀」にあたる「本邦記事」において、「二尊初め国土平定せらる」「天祖照臨せらる」「素戔嗚尊韓郷に行かせらる」「天日槍辰国より来帰す」と記している。 白鳥庫吉は、「(『魏書』)事蹟をして一層妄誕ならしめ爾も其の妄誕なる丈に還てその本色を露呈せる古記存するをや。そは『三国遺事』巻一載せた檀君伝説とす」「初の古記仏説付会して益々事実妄誕ならしめたる者と解する人もあらん…深く此伝説の性質考ふるに妖怪妄誕極めたる『遺事』の記事が還てその本色を顕すものにて彼の省略従へるは史家事実真しやか書き伝へんが為めに故ざと怪し部分削除せし者なり。蓋し檀君事蹟元来仏説根拠せる架空の仙譚なればなり」「朝鮮古伝説の中にて、最も妄誕極めたるは檀君伝説とす。檀君の事は漢史に見えず、さるを『三国遺事』巻一には、『魏書』に乃往二千載、有檀君王倹、立都阿斯達、開国朝鮮、與高同時。とある由を知るせるは如何にや」と述べている。白鳥庫吉は、仏教思想詳細に分析し、 「檀君事跡元来仏説根拠せる架空の仙譚」「檀君の事は全く仏説牛頭旃檀根底せる仮作譚なり」「檀君伝説愈々仏説仮作譚と定まる」「檀君伝説当時思想を彰表する歴史上格好記念物」「朝鮮古伝説の中にて、最も妄誕極めたるは檀君伝説とす」と結論付けている。 那珂通世は、「三国史記ニ次ギタル朝鮮古史ハ、三国遺事ナリ書中記事ハ、怪詭神異ノ談ノミケレドモ東国通鑑ニハ往々之ニ拠レルアリ朝鮮ノ世ニ至リテハ、吉昌君権近東国史略達城君徐居正等ノ東国通鑑某氏ノ東史宝鑑ノ類アレドモ、三国時代ノ事ハ、皆三国史記節錄シタルニ過ギザレバ、異聞ヲ広ムル所、殆ト無シ」「(『東国通鑑』)発端ニ記シタル檀君伝記ノミハ、漢史ニ本ヅキタルニ非ズシテ、全ク朝鮮人ノ作リタル者ナリ」「(『三国遺事』檀君ノ名ヲ王倹トシタルハ、平壤旧名ナル王険ノ険ノ字ヲ人扁ニ易ヘタルナリ。此伝説ハ、仏法東流ノ後、僧徒捏造ニ出デタル妄誕ニシテ朝鮮古伝ニ非ザル事ハ、一見シテカナリ…(『東国通鑑』)全ク僧徒妄説歴史上事実ト為シテ、之ヲ節録シ、唯其ノ在位年数ハ、権近東国史略ニ拠リテ、千四十八年トセリ。其ノ条下史臣ノ案ヲ記シテ、『前輩以謂、其曰千四十八年者、乃伝世歴年之数、非檀君之寿也、此説有理』ト云ヒタレドモ、『載籍無徴』ト云ヘル時代ノ事ニシテ、証トスベキモアルニアラズ。且後世僧徒妄説ニ就キテ、強テ理解ヲ下サント欲スルハ、甚謂レナキ事ナリ」「檀君伝記ノミハ漢史ニ本ヅキタルニ非ズシテ全ク朝鮮人ノ作リタル者ナリ」「此ノ伝説ハ、仏法東流ノ後、僧徒捏造ニ出デタル妄誕ニシテ朝鮮古伝ニ非ザル事ハ、一見ニシテカナリ」として、檀君批判した坪井九馬三は、「本書記事妄説多しとて朝鮮に於ても本に於てもとかく世の史家より擯斥せらるゝ例なれと本書坊主臭き誠に己を得さる事情に出るなり即本書多く集めた新羅伝説は其実質に於て既に坊主臭く撰述者は無垢坊主固より臭く撰述年代無比仏教熱に浮かされたる時にて其臭きこと言ふ待たす新羅文化仏教の伝来萌し智証王の世初始て有史時期入り王の子法與王の時仏教弘揚に連れて文化興り法與王に続きて立ちたる姪真與王の六年に始て国史修めしめ…然れとも仏教紹隆国家勢力を糜して遂に邦家為に覆り後高麗続き起りしも積弊伏在する根抵を察するに能わす旧に依り『弘揚仏法維持馴致邦家之怗泰』せんとせること実に忠宣王の言の如しを以て新羅古伝説は仏教伝説の換骨脱体となり新羅文学概ね僧徒の手成り新羅文学大勢大略上に述へたるか如し技芸に於ても亦然るに似たりされは新羅古伝説は之を極言すれは猶ほこおるたあるのこときかこおるたあるのものたる奇臭を放ち汚穢太甚しく棄てんにも処なきに苦む始末なれと精しく之を分溜する時は貴重な薬品有益な燃料を得へし新羅古伝説も之に類し一読近き難きやに見ゆれと能く分溜せは純粋な古伝収めて新羅古代人情風俗察すへく以て新羅史の基礎を置く材料に充へからん然れとも余は未た新羅古伝説を分溜したるに非す唯理論としてかくいふのみ白鳥庫吉氏は曾て分溜着手せられたることあり其檀君考、朝鮮古伝説考、朝鮮古代諸国名称考、朝鮮古代地名考、朝鮮古代王号考、朝鮮古代官名考等皆氏の分溜成蹟を報すものなり世の朝鮮古伝分溜に志ある士は就て精読給ふへし」と述べており、新羅古伝説にまとう坊主臭は、コールタールのようなものか、あるいはコールタールそのもの異臭放ち汚れ甚だしいが、貴重な薬品有益な燃料得て分別蒸留をおこなえば純粋な古伝抽出されるとする。 三浦周行は、檀君神話成立過程において「民族自決」的意志働いた指摘しており、「朝鮮北方支那移民の間に発生した箕子伝説採用して事大心を表現させつゝも、尚ほその間自ら抑へ難き独立自尊心の閃きと共に宗主国対す軽き反抗心を起して之を満たさんが為に、こゝに檀君伝説生れ経路認めることが出来る。檀君を以て殊更に唐尭と同じ時代神人とし、又自ら朝鮮号したとする中にも見え透いた作為包みきれぬ誇りとが窺はれる」と述べている。 高橋亨は、「檀君を以て或は帝釈の孫となし、或は朱蒙となし、或は夫婁の父となすは、何れも後世添加せる粉飾にして、本伝説の原形は単に北朝鮮最初の君長に檀君なる者あり、妙香山降りて神徳を以て民を治めたりと云ふに過ぎざるなり。果して然らば檀君北朝鮮伝説の祖王なれども南朝鮮とは何らの関係なし。南朝鮮人宜し新羅始祖赫居世を以て祖王となして崇拝し祠祭すべきものなり檀君教に於て檀君を以て朝鮮民族始祖と立つるは、尚史上証拠発見する能はざる所に属するなり」と述べており、「伝説益々発展するに従て益々小説的色彩濃厚となったのは、「後世添加せる粉飾」であり、檀君帝釈天の孫にするという発想は、仏教伝来後の脚色であって檀君伝説発生した考えられている古朝鮮においてはありえないとする。 小田省吾は、「この伝説を読む時は、何人と雖も其の内容が仏教に関係のあるものであることは、直ちに知ることが出来るであらう…李栗谷は『檀君の首出文献稽うる無し』…星湖は『その説、皆信ずべからず其の桓雄桓因等、荒誕棄つるべし』…安鼎福は『按ずるに東方古記等の書言ふ所の檀君の事皆荒誕不経、…其の称する所の桓因帝釈法華経出づ其の他称する所は皆是れ僧談』と謂ひ、…韓致大淵朝鮮語版)…尹廷琦等、李朝学者は各時代通じて其の仏説に依つて捏造せられた取るに足らざることを言はないものはない位である。内地学者中でも那珂博士如き白鳥博士如き大家が、いづれも仏説より出でたるもので、取るに足らざることを論ぜられて居る…今日猶ほこの伝説が朝鮮人間に比較強き信仰を以て知識階級の間にも唱導せられて居るのは何故であるか」「李朝高麗人民心を得る政策としても、高麗人信じ来たる檀君尊崇して棄てなかつたことは、これ亦然るべきこと存ずのである併しながら韓国併合結果、内鮮一家をなしたる今日に於て此の檀君崇拝如何に取扱ふべきかは更に一箇別問題となるのであつて、之は行政方面とも関係のあることであるから本篇に於ては陳述見合はすことゝする」「なほ朝鮮では、箕子衛満朝鮮前に、今から四千年前、即ち支那でいへば堯と同じ時代に、檀君といふ神人が、始めて半島に国を建てて朝鮮といひ、平壌に都したといふ伝説もある。これを檀君朝鮮称するこの伝説は、今から六百五十年程前、高麗の僧一然の撰つた三国遺事記録されてあるが、正史には見えて居らぬ」として、李氏朝鮮儒学者である李栗谷星湖、安鼎福、韓致大淵朝鮮語版)、尹廷琦による檀君否定朝鮮社会における社会通念とらえた稲葉岩吉は、「崔六堂君の近業係る東亜日報所載檀君論は、…わたくしの先年認めた檀君関した一節もその引合出されている。わたくしとしては、あの当時の考へを今も訂正する要は感じてゐないけれども、何程補足して置きたい思ふ。(安鼎福編纂した『三国遺事』によれば朱蒙即ち高句麗始祖東明王は、檀君の子であるといふことになるのである三国史記にも何にもあたらない。…しかしこれは新羅系の全盛時代では受入れらるゝ性質記事ではないと思ふ新羅は、…凡て天降姓であつた。檀君の子孫であるとの説話を伝へてゐないのみならず高句麗即ち扶余系とは、全く別種選民だといふ信念たかまつてゐるからである。…新羅系の天降姓と檀君説話調和することは、かなり艱難なければならぬが、それにもまして問題視すべきは、これまでの内の巨室名門のすべては、その祖先支那本部名族託してゐる。今の鮮姓中に一として漢姓以外のものを見出さぬのも、その思想の影響であらう。檀君説話構成されても、民族のおのおのの族譜とこれらとの調和は、さらに至難といはざるを得ない日本にては土姓と客姓との別ありしこと、鮮内と同一であつたが、土姓は客姓を従属たらしめた。朝鮮は、これに反してゐる。新羅ですら、支那古代少昊金天氏説をかついでゐるではないか」「附庸伝説箕子伝説)より解放されて、独立した民族信仰の中心伝説檀君伝説)に驀進しつつある鮮人今日は、慶賀すべきである違いないけれども、伝説は、どこまでも伝説であって歴史では無いということに、理解無ければならない伝説には、信仰が多半加味されいるから民族将来指示し、その生活を律するには、不足はないとしても、それだけでは、民族成立由来をすら知ることが出来がたいのみならず日本国家の一員であるという理解すら持つことが、不可能になる」「いかにしても、三国 - 高句麗・百済・新羅各々が、特色づけていた開国物語を、檀君伝説の下に並べることは出来ない」「(朝鮮史編修会の)修史当面政治都合のよい様に曲筆さるゝに決つてゐやう。従来日本学者の史筆を見るに、政権国家のためといつたら、随分思ひきつて曲筆してゐるから、今回もお多分に漏れまい。つまり簡抜されて委員となつた人々政権爪牙となつて、朝鮮史真相抹殺するやうなものだ。現に鮮人間には、彼等大切に護持してゐる壇君すら、為めに脅威受けてゐると云つてゐるではないかと、斯いいふやうな非難加へるものがある。…朝鮮人の常に護持してゐる壇君についての想像も、全く誤解であり、即断である。壇君崇拝は、輓近著しく発達し殆んど全鮮の空気圧してゐるのであるが、私の考へを申すと、檀君史的価値内外学者研究期待さるべき筈のもので、私ども修史面した急務と云ふべきではない。私ども立場からすれば今日鮮人壇君護持し、崇拝の度を加へてゐるといふことが、既に壇君史の一部構成してゐる歴史であると思ふ抹殺などは思ひもよらぬことである。たゞ壇君その人鮮人の言の如く唐堯虞舜の間、即ち今より四千二百年前降生したといふ主張を、歴史無条件にとり入れてよいか、どうかは、一に委員会審議に待たざるを得ない」「朝鮮青年党が、その伝来の附庸伝説であつた箕子崇拝から解放せられて、檀君崇拝てふ民族自決伝説進みつゝあることの消息は、容易に認め得べきものである従来は、青年方面のみに限られてゐた傾向といつてもよいのであるが、今日となりては、檀君伝説は、全鮮の空気圧してゐる。乃ち青年はいふに及ばず老人党でも、敢て箕子伝説云々するものが、薄らいで来たやうに感ぜられる」と述べている。 青柳南冥は、「素盞嗚尊は、…朝鮮王国開いて、其子五十猛神御代に、完全なる君主権有する檀君と為られたのではあるまいか」「内鮮両民族祖先は、曾て同一地点同一の生活を営み且つ同一信仰の下に噞喁して居つたことがわかる」「檀君日本の天降神族と同族であつて、…日韓両地の生民が、同じく降神族の神話を、朦朧ながら後世伝説し得たるを悦ばざるを得ない。…現今朝鮮人々が、檀君神を崇拝することは我祖先諸神分家の神を崇拝するのであつて、日韓併合に於てか、大に其の意味深宏なるを感ずのである」とし、檀君日本神話同一視している。 黒板勝美は、「檀君箕子歴史的人物ではなく神話的のもので、思想的信仰的発展したのであるから思想信仰方面から別に研究すべきもの」と述べている。 今西龍は、「高麗中頃至り僧徒本地垂迹説立て、此仙人仏菩薩との混一を計らんとせしことあり。此仙人一つ平壌守護神王倹仙人あり、平壌古名王険の険の『阝』を改めて倹とし、人名如くせり。高麗中頃恐く高宗王頃に此王倹仙人檀君尊号奉り檀君王倹称し、これを朝鮮開国神人とし、帝釈の子桓雄妙香山の下に降下して生みし子にして、朝鮮開けりとす。思うに高麗尊奉せし中華の宋は弱くして、高麗は其北狄視する遼・金が蹴起して皇と称し帝と号し中原命令し韃靼東真起る見たり。高麗自身に於ても其自己古き文化悠久なる歴史有するを見るときは、此蛮夷より起り大国対し多少自負心なかるべからず彼等自国独特の開国の祖を欲するの情ありしなる可し。高麗継承せりと自称するもの、高句麗王倹の地たる平壌に都せり。王倹仙人開国神人たりとの伝説恐く陰陽道者流によりて構成せられしなる可し。其邪熱を醒す栴檀尊号有する疫病除けの効もありし神なる可し。此檀君のことは三国遺事載せられしを初めとす。…併し檀君伝は高麗学者文士に少しも顧みられざりしが、李氏朝鮮入りて此説を採るものあり。世宗の頃より其尊崇起り尹淮が之を書し、徐居正東国通鑑外紀に収録せしより、此説は上古よりの伝説如く見做さるゝに至れり。李氏時代となりて檀君祭祀も国により行はるるに至れり。檀君神人として、箕子王者として尊崇せられしが、事大精神盛なる時代に於ては箕子は最も尊崇せられたりしも、近年至りて朝鮮自主的精神より檀君崇拝行はれ、朝鮮人朝鮮の宗教を奉ぜざるべからずとて、大倧教なるもの出でたり。…箕子伝説といひ檀君伝説といひ、其実は如上ものなり」「朝鮮民族は、曽て民族祖神を有せしも、其半島入り分裂するに及び、此祖神各国祖神となりしなるべし。その割拠して闘争し長年月を経るに従ひ各国は其祖神自国専有として他国祖神よりも優秀なるものとし、漸次共通祖神たるの性質失し加ふるに半島統一に先ち、外来宗教勢力熾んなりしと。古伝の失はれざるに先ち記録することなかりしとの為めに、古代神話を失ひ其祖神をも失忘するに至れものなるべし」「檀君称号現存伝説とは王氏高麗中期以後作成せられたるものにして、其主体古来地祇なりとするも仏教・道教によりて構成せられしものなり檀君称号道教称号にして、平壌方面地祇仙人王倹に附せられしものなり檀君系統古くせんとする厚意有して調査すれば仙人王倹或は楽浪帯方漢民族の祀れる神に統を引くものかとも思はれるけれども、然らずして半島北辺に於て僅に祀を絶たざりし高句麗解慕漱を祭れるものなるべし。もともと平壌地方に於ける地祇にすぎずして、広く行はれしものにあらざれども、其縁起構成民族自尊感じた時の思想偶々的中せる為め、書籍にも記載さるゝに至り、其説やゝ行はれたがるが、李朝至り開国神人として官撰史籍巻首記載さるゝに至り、其説は全半島流布し史的神人として動かすべからざる位置を得るに至れり。然りと雖、檀君檀君として安置せられしにすぎず、其宗教的信仰起りたるは現代にあることを論ぜしなり。而して特に注意すべきは檀君は本来、扶余高句麗満洲蒙古等を包括する通古斯族中の扶余神人にして、今日朝鮮民族本体をなす韓種族の神に非ず彼の父母の一を神とし、他の一を獣類とする伝説は族の神に非ず彼の父母の一を神とし、他の一を獣類とする伝説は、仏教的装飾道教影響に依りて決し生ずるものに非ずして通古斯民族祖神特有なるのものなりとす。檀君全身者たる仙人王倹楽浪帯方漢人の祀神に統を引くものに非ずして、高句麗人の祭り解慕漱なるべし推定するの外なきは実に此一点にあり。父母いづれか獣類とするは、日韓民族の神には見るべからざるものなり」「新羅王国は…其祖神を以て新羅人のみの祖神なりとし、之をして韓民族全体祖神に還原することを知らず加ふるに仏教勢力多大にして、信仰上にも異変生じ新羅国の滅亡と共に祖神もまた滅亡せり。韓民族祖神あることは事実なり。…漢民族祖神は、韓民族遠き祖先祖神となしたるものにあり。而して其名其徳の彷彿として窺ひ知るべきものに新羅の弗矩内あり、任那即ち加羅の夷毗訶あり。弗矩内は漢字訳して赫居世といふ『光を知らす』の義にして、新羅古代の王が奉祀せしものなり」と述べており、檀君神話起源について歴史的観点から民族および地域分析おこない、「檀君は本来、扶余高句麗満洲蒙古等を包括する通古斯族中の扶余神人にして、今日朝鮮民族本体をなす韓種族の神に非ず」と結論づけた。 末松保和は、「普通に箕子衛満の二朝鮮合して古朝鮮といふ。ところが、古朝鮮中には今一つ数へあげねばならぬものがある。王倹朝鮮これである。王倹詳しく壇君王倹といふから、壇君朝鮮とも呼ばれてゐる。箕子衛満朝鮮支那古典籍にあらはれるものであるに対して、この王倹朝鮮王氏高麗時代後期文献始めて見えるものであつて、前二者とは成立の過程異にし、同日談ずべきではなく高麗人自身によつて構成されものといふ点に意義がある。この古朝鮮王倹朝鮮は、年代上では、支那堯帝と時を同じくする王倹開国したものであり王倹御国一千五百年周の武王箕子朝鮮封ずる及んで退き隠れたとするから、箕子以前即ち最古古朝鮮となるわけである」「古朝鮮第一檀君王倹朝鮮であり、第二箕子朝鮮であり、第三衛満朝鮮…その第一檀君王倹朝鮮は、王氏高麗時代後期文献始めて見えるものであつて、文献上の古さは、到底箕子衛満両朝鮮と比較べくもない檀君朝鮮が、文献上かくも新しきものでありながら、なほかつ私が、古朝鮮第一に掲げねばならなかつたのは何故であるかといふに、一には、それについて文献の語る年代そのものが、箕・衛二朝鮮前に置かれてゐるからであり、二には、その伝へ(檀君朝鮮)の思想的規模が、半島開闢伝説としては、最も広大だからである。かくの如き古さ規模とを有する開闢伝説は、いふまでもなく王氏高麗の『時代所産』であつて、その後それに加ふるもの出来なかつたのは、かくの如き開闢伝説不充分とするやうな大きな時代が来なかつたからに外ならぬ。またその前にかくの如き伝説生まれなかつたのは、かかる伝説を必要とする時代がなかつたからである。即ち王氏高麗時代先行した新羅一統時代には、三国の一たる古新羅の、開闢開国伝説奉じて満足し、また三国時代には、新羅をはじめ、高句麗百済それぞれに開闢伝説を持つて居たが、何れもかの箕・衛両朝鮮より古く時代指示するものがなかつた。このことは重要な意義を持つてゐる」と指摘している。

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