東明王
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東明王(とうめいおう、朝鮮語: 동명왕)は、夫余の建国者である。橐離国出身。夫余の後裔を自称した百済の遠祖ともされ、『続日本紀』最終巻には都慕王(つもおう[1])の名で現れる。同様に夫余の後裔を自称した高句麗の建国者である朱蒙(東明聖王)と同一人物であるか否かについては議論がある(後述)。
- ^ a b 宇治谷孟『続日本紀(下)全現代語訳』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年、427頁。ISBN 4061590324。
- ^ a b 内藤湖南『東北亜細亜諸国の開闢伝説』〈民族と歴史一 - 四〉1919年4月。"東北アジア諸国、すなわち東部蒙古より以東の各民族は、朝鮮・日本へかけて一の共通せる開国伝説をもっている。すなわち太陽もしくは何か或る物の霊気に感じて、処女が子を生み、それが国の元祖となったという説であって、時としてはその伝説が変形して、その内の一部分が失われ、もしくは他の部分が附加さるるという事があるけれども、その系統を考えると、だいたいにおいて一つの伝説の分化したものであるということを推断する事が出来る。その最も古く現れたのは、夫余国の開闢説であって、その記された書は王充の『論衡』である。『論衡』は西暦一世紀頃にできた書であるが、その吉験篇に、「北夷橐離國王侍婢有娠,王欲殺之。婢對曰。有氣大如雞子,從天而下,我故有娠。後產子,捐於豬溷中,豬以口氣噓之,不死。復徙置馬欄中,欲使馬借殺之,馬復以口氣噓之,不死。王疑以為天子,令其母收取奴畜之,名東明,令牧牛馬。東明善射,王恐奪其國也,欲殺之。東明走,南至掩水,以弓擊水,魚鱉浮為橋。東明得渡,魚鱉解散,追兵不得渡,因都王夫餘。故北夷有夫餘國焉。」とある。『三国志』の夫余伝に『魏略』を引いてあるのも、ほぼこれと同じ事で、『後漢書』の夫余伝も、文はやや異なるけれども、事は同じである。この中に橐離国とあるはダフール種族の事である。松花江に流れ込む河にノンニーという河があり、それと合流する河にタオル河がある(ノンニー河は嫩江(一名諾尼江)、タオル河は洮児江を指す)。そのタオル河附近に居住した民族がすなわちダフール種族で、すなわち橐離国である。また夫余国というのは、今日の長春辺から西北に向って存在した国で、この伝説はダフール、夫余両国に関係したものである。"。
- ^ 田中俊明『『魏志』東夷伝訳註初稿(1)』国立歴史民俗博物館〈国立歴史民俗博物館研究報告 151〉、2009年3月31日、361頁。
- ^ 田中俊明『『魏志』東夷伝訳註初稿(1)』国立歴史民俗博物館〈国立歴史民俗博物館研究報告 151〉、2009年3月31日、380-381頁。
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- ^ 白鳥庫吉『夫余国の始祖東明王の伝説に就いて』岩波書店〈白鳥庫吉全集 五〉、1970年9月、391頁。
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- ^ 津田左右吉『三国史記高句麗紀の批判』岩波書店〈津田左右吉全集 一二〉、1964年9月、395頁。
- ^ 池内宏『高句麗の建国伝説と史上の事実』祖国社〈満鮮史研究 上世篇〉、1951年9月。
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- ^ 白鳥庫吉『夫余国の始祖東明王の伝説に就いて』岩波書店〈白鳥庫吉全集 五〉、1970年9月。
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- ^ a b 李 1998, p. 84
- ^ 池内宏『高句麗の建国伝説と史上の事実』祖国社〈満鮮史研究 上世篇〉、1951年9月、97頁。
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- ^ 白鳥庫吉『夫余国の始祖東明王の伝説に就いて』岩波書店〈白鳥庫吉全集 五〉、1970年9月、376頁。
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- ^ a b 伊藤英人 (2021年7月). “濊倭同系論”. KOTONOHA (古代文字資料館): p. 12
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- ^ a b c d e f g h i j 奥田尚『徐の偃王物語と夫余の東明王物語』追手門学院大学文学部アジア文化学科〈アジア文化学科年報 2〉、1999年11月1日、57-58頁。
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- ^ a b 奥田尚『徐の偃王物語と夫余の東明王物語』追手門学院大学文学部アジア文化学科〈アジア文化学科年報 2〉、1999年11月1日、58-59頁。
- ^ a b c d e f g 奥田尚『徐の偃王物語と夫余の東明王物語』追手門学院大学文学部アジア文化学科〈アジア文化学科年報 2〉、1999年11月1日、61-62頁。
- ^ a b c d 奥田尚『徐の偃王物語と夫余の東明王物語』追手門学院大学文学部アジア文化学科〈アジア文化学科年報 2〉、1999年11月1日、62頁。
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