記述の姿勢とは? わかりやすく解説

記述の姿勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 04:15 UTC 版)

三国史記」の記事における「記述の姿勢」の解説

新羅高句麗百済三国すべてを「我ら」と記録することで最大限中立的記述したとされるが、内容面においても新羅比重大きく南北時代統一新羅時代)と高麗朝を経て新羅人たちが記録した史料大きく依存したため、新羅への偏重がある。また、編纂者金富軾新羅王室に連なる門閥貴族であったため、また、高麗新羅から正統受け継いだことを顕彰するために、新羅寄り記述が多い。中国史書においてより早く登場する高句麗建国紀元前37年)を新羅建国紀元前57年)よりも後に据えるのは、その現れである。 三国以前古朝鮮三韓三国並立期の伽耶・東濊・沃沮新羅統一後渤海などの記述なされていないが、これは『三国史記』がすでに存在していた勅撰の『旧三国史』をより簡潔にまとめた形式とっていためとも考えられている。しかしながら『旧三国史』に古朝鮮などの記事あったかどうかは、『旧三国史』が現存しいために確認不可能である。そもそも成立から100年近く後の高麗の大文人李奎報が「東明王篇」の序文で訝しんでいるように、勅撰の『旧三国史』のあったところに重撰となる『三国史記』の編纂が必要とされた理由については、歴史改ざん含め諸説あるが未だ定説は無い。

※この「記述の姿勢」の解説は、「三国史記」の解説の一部です。
「記述の姿勢」を含む「三国史記」の記事については、「三国史記」の概要を参照ください。

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