東明王説話とは? わかりやすく解説

東明王説話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 03:33 UTC 版)

東明王」の記事における「東明王説話」の解説

『三国志』三〇魏書三〇烏丸鮮卑東夷夫餘所引『魏略』には以下の記述がある。(『論衡』吉験篇、『後漢書』東夷伝にも同様の記述がある) 昔北方槀離之國者,其王者侍婢有身,王欲殺之,婢云:「有氣如雞子來下,我故有身。」後生子,王捐之於溷中,豬以喙嘘之,徙至馬閑,馬以氣嘘之,不死。王疑以爲天子也,乃令其母收畜之,名曰東明,常令牧馬東明善射,王恐奪其國也,欲殺之。東明走,南至施掩,以弓擊水鱉浮爲東明得度鱉乃解散,追兵不得渡。東明因都王夫餘之地。昔、北夷の槀離之国があり、王は侍女妊娠したので殺そうとした。侍女は「以前、空にあったの卵のような霊気が私に降りてきて、身ごもりましたと言い、王は騙されたその後、彼女は男子生んだ。王が命じて豚小屋中に放置させたが、豚が息を吹き掛けたので死ななかった。次に馬小屋移させると、馬もまた息を吹き掛けた。それを王は神の仕業だと考え、母に引き取って養わせ、東明名づけた。東明長ずると、馬に乗り弓を射ること巧みで、凶暴だったため、王は東明自分の国を奪うのを恐れ、再び殺そうとした。東明は国を逃れ南へ走り施掩にやって来て、弓で川の水面を撃つと、や鼈が浮かび上がり乗ることが出来た、そうして東明夫余の地に至り、王となった中国語版ウィキソースに本記事関連した原文あります三國志/卷30#東夷 東明王説話は日本にも伝わり桓武天皇の母・高野新笠諡号天高知日之子姫尊(あめたかしるひのこひめのみこと)」はこの説話から取られている(『続日本紀』最終巻による)が、日本伝わった説話には高句麗朱蒙説話影響みられる中国語版ウィキソースに本記事関連した原文あります續日本紀/卷第四

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