『論衡』
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「倭・倭人関連の中国文献」の記事における「『論衡』」の解説
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。論衡 『論衡』倭人について、 「周時天下太平 倭人來獻鬯草」(異虚篇第一八)周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」(恢国篇第五八)成王の時、越裳は雉を献じ、倭人は暢草を貢ず「周時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯草 食白雉服鬯草 不能除凶」(儒増篇第二六) 周の時、天下は太平にして、越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草を貢す。白雉を食し鬯草を服用するも、凶を除くあたわず。 とみえる。 周代は日本の縄文時代晩期から弥生時代前期にあたり、周の成王の在位は前1042年~前1021年とされるが、『論衡』自体はかなり後の前漢の時代の1世紀に書かれたものである。白雉は食用、暢草(ちょうそう)は服用と記されているので、周代には暢草は倭でしか採れない、酒に浸す薬草とされていたと推定される。なお、暢草には、霊芝、ウコン、香花草等の説がある。
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