『論理哲学論考』以後のウィトゲンシュタインとその周辺
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第2の流れは『論理哲学論考』以後のウィトゲンシュタイン自身の哲学の変遷である。この展開は漸移的かつ多彩であるので詳細ははぶくが、彼は『哲学的探求 ("Philosophische Untersuchungen")』において、「規則は行為を決定できない」という規則のパラドックス (rule following paradox) の帰結としての根元的規約主義 (radical conventionalism)、言語の使用タイプの多様性、及び言語がその意味を生活上の機能からくみ上げていること、等へ注目する。この観点から哲学の諸問題については、哲学の問題が陥っている言語の日常的使用からの乖離を批判し、それ等の語の日常的使用を注目することにより、解答を与えるのではなく擬似問題であるとして解消することこそ、正しい対処法である、と考えた。その一方で、単なる規約主義ではなく、人間の自然誌(Naturgechichte)的・文化的(生活形式、Lebensform)要素と言語の機能との関係に、注目していった。 この方向性は、言語哲学を越えて、心の哲学(『心理の哲学に就いての考察』"Bemerkungen über die Philosophie der Psychologie")と数学の哲学(『数学の基礎に就いての考察』"Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik")とにウィトゲンシュタイン独自の理解を提示することになる。更に死の直前に残したノート(『確実性について』Über Gewissheit)からは言語の基礎(クワインやラカトシュのいう理論の核・中心部に概ね相当する)についての考察が見出される(いまだ学界でも十分に消化されたとはいえないテクストである)。 ただし、この時期のウィトゲンシュタインは、そのテクストが難解なこと、体系的議論に形式化され得ないので多量の問題形成→解決→更なる問題の発生という学問グループ内の巨大化が困難なこと、彼自身と彼の弟子たち(ノーマン・マルカム(Norman Marcolm 米→英→米。主著 "Dream")、ピーター・ウィンチ(Peter Winch 英→米。主著『倫理と行為("Ethics and Action")』勁草書房)、ラッシュ・リース(Rush Rhees 英。主著"Without Answers")、エリザベス・アンスコム(Gertlud Elizabeth Margaret Anscombe 英。主著『インテンション("Intention")』)等が多分に秘教的なサークルを作りその中でのジャーゴンの応酬と彼の著書の訓固に急がせたことなどから、分析哲学の中では孤立的立場にある。 また、この時期のウィトゲンシュタインの業績は、そもそも言語を分析するものではないことから、文法 (Grammatik)、および使用(Gebrauch)の「展望の哲学 (Philosophie der Übersehen)」と呼ばれるべきだ、という主張もある。日常言語に重きをおいたことから、後期ウィトゲンシュタインとオースティンは共に日常言語学派に分類されたこともあるが、オースティンが体系的哲学化を志向したのに対し、後期ウィトゲンシュタインは哲学問題の解消を図ったのであって、その哲学についての態度は大きく異なる。
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