『論語』の「九夷」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 05:21 UTC 版)
孔子の論語にも倭ではないかともいわれる「九夷」について記載がある。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「子欲居九夷。或曰陋如之何。子曰。君子居之。何陋之有。 」子、九夷に居らんと欲す。或ひと曰く、陋(ろう)なり。之を如何(いかん)と。子曰く、君子之に居す。何の陋か之あらんと。 孔子が(道義の廃れた国を厭うて)九夷に住みたいと言った。ある人が、九夷は陋(ろう)だがどうでしょうかと言うと、孔子は、君子が居て君子に従順な民の国なのだから、陋(ろう)として問題視するのは間違いと応えた。 - 論語子罕第九 また、つぎのような記載もある。 子曰。道不行。乘桴浮于海。從我者其由與。子路聞之喜。子曰く、道行なわれず、桴(いかだ)に乗りて海に浮ばん。我に従う者は其れ由(ゆう)かと。子路之を聞きて喜ぶ。 孔子が、道義が行われない。いかだに乗って、海外に行ってしまいたいが、〈その時に〉私について来る者は由(=子路)ぐらいのものだな、と言った。子路がこれを聞いて(孔子が多くの弟子の中から特に自分の名を挙げてくれたことを)喜んだ。 - 『論語』公治長第五 ここでの海外は、当時、魯や呉など山東半島の南側地域から海に出て渡航できる国というのは当時としては『山海経』で紹介されている東の海(東シナ海)にある黒歯国やその北の扶桑の生える国つまり九夷とみられる。
※この「『論語』の「九夷」」の解説は、「倭人」の解説の一部です。
「『論語』の「九夷」」を含む「倭人」の記事については、「倭人」の概要を参照ください。
- 『論語』の「九夷」のページへのリンク