東日興業スタジオとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 東日興業スタジオの意味・解説 

日映新社撮影所

(東日興業スタジオ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/28 13:14 UTC 版)

日映新社撮影所(にちえいしんしゃさつえいじょ)は、かつて存在した日本の映画スタジオである。日本映画新社の親会社・東宝は、とくに1976年昭和51年)以降、「目黒スタジオ」(めぐろスタジオ)と通称した[1]


  1. ^ a b 時事[1977], p.16.
  2. ^ この結果、元々毎日新聞社系の撮影所だったのが、朝日新聞社が制作費を出す「朝日ニュース」を制作する場所になった。
  3. ^ a b c d 沿革”. 日映アーカイブ. 東宝ステラ. 2013年4月18日閲覧。
  4. ^ 日映新社撮影所”. 日本映画・テレビ編集協会. 2007年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月10日閲覧。
  5. ^ a b キネマ旬報』第698号、キネマ旬報社、1976年、p.475.
  6. ^ a b c d e 重田一男. “日本映画新社という会社”. ニュース映画製作者連盟. 2009年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月10日閲覧。
  7. ^ a b c 田中[1980], p.354.
  8. ^ 日活[1962], p.103.
  9. ^ 会社概要・沿革、毎栄、2009年11月15日閲覧。
  10. ^ 馬場伸世堀場伸世の誤記)、日本映画データベース、2009年10月10日閲覧。


「日映新社撮影所」の続きの解説一覧

東日興業スタジオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/03 02:03 UTC 版)

日映新社撮影所」の記事における「東日興業スタジオ」の解説

1950年昭和22年9月毎日新聞社の子会社東日興業が東日興業スタジオとして開所した。戦時中海軍大学校敷地一部であり、兵棋演習所のあったあたりであったスタジオでは、同年7月からアメリカNBCテレビによるニュース映画日本版『毎日NBCテレビニュース』、翌1951年昭和26年1月公開され日本初アメリカとの合作映画とされる第2回作品東京ファイル212』を製作した同社と同スタジオは、東宝資本買収され東京映画東京映画撮影所となった同社保険部分離され現在の毎栄となって残っている。

※この「東日興業スタジオ」の解説は、「日映新社撮影所」の解説の一部です。
「東日興業スタジオ」を含む「日映新社撮影所」の記事については、「日映新社撮影所」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東日興業スタジオ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東日興業スタジオ」の関連用語

東日興業スタジオのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東日興業スタジオのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日映新社撮影所 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日映新社撮影所 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS