日映新社撮影所
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日映新社撮影所(にちえいしんしゃさつえいじょ)は、かつて存在した日本の映画スタジオである。日本映画新社の親会社・東宝は、とくに1976年(昭和51年)以降、「目黒スタジオ」(めぐろスタジオ)と通称した[1]。
- ^ a b 時事[1977], p.16.
- ^ この結果、元々毎日新聞社系の撮影所だったのが、朝日新聞社が制作費を出す「朝日ニュース」を制作する場所になった。
- ^ a b c d “沿革”. 日映アーカイブ. 東宝ステラ. 2013年4月18日閲覧。
- ^ “日映新社撮影所”. 日本映画・テレビ編集協会. 2007年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月10日閲覧。
- ^ a b 『キネマ旬報』第698号、キネマ旬報社、1976年、p.475.
- ^ a b c d e 重田一男. “日本映画新社という会社”. ニュース映画製作者連盟. 2009年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月10日閲覧。
- ^ a b c 田中[1980], p.354.
- ^ 日活[1962], p.103.
- ^ 会社概要・沿革、毎栄、2009年11月15日閲覧。
- ^ 馬場伸世(堀場伸世の誤記)、日本映画データベース、2009年10月10日閲覧。
- 1 日映新社撮影所とは
- 2 日映新社撮影所の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
東日興業スタジオ
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1950年(昭和22年)9月、毎日新聞社の子会社の東日興業が東日興業スタジオとして開所した。戦時中は海軍大学校の敷地の一部であり、兵棋演習所のあったあたりであった 同スタジオでは、同年7月からアメリカのNBCテレビによるニュース映画の日本版『毎日NBCテレビニュース』、翌1951年(昭和26年)1月に公開された日本初のアメリカとの合作映画とされる第2回作品『東京ファイル212』を製作した。 同社と同スタジオは、東宝資本に買収され、東京映画、東京映画撮影所となった。同社の保険部は分離され、現在の毎栄となって残っている。
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