東明王物語と徐偃王物語の類似性とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 東明王物語と徐偃王物語の類似性の意味・解説 

東明王物語と徐偃王物語の類似性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 03:33 UTC 版)

東明王」の記事における「東明王物語と徐偃王物語の類似性」の解説

『後漢書』東夷伝に「管、蔡は周に畔き、すなわち夷狄招き誘う。周公これを征し遂に東夷定まる康王の時、粛慎また至る。後に徐夷、僭号し、すなわち九夷率いて以て宗周を伐ち、西して河の上に至る。穆王、そのまさに熾んなるを畏れ、すなわち東方諸侯分かち徐の偃王命じてこれを主せしむ」とある。管は河南省鄭州の地でここに周武王の弟の管叔鮮封じられた。蔡は河南省上蔡県の地で管叔鮮の弟の蔡叔度封じられた。管叔鮮蔡叔度は周武王死後、殷紂王の子武庚禄父とともに周成王と周公旦らに反乱起こしたが、平定された。徐夷が僭号したとあるが、徐は今の徐州付近広域地で、徐地域の支配者が周の支配反乱し徐偃王を名のって周から自立した徐偃王東夷九夷率いて周を攻め、周穆王は、徐偃王軍勢が強力であるのを恐れて東方封じていた諸侯分けて徐偃王に属させた。『後漢書』注釈完成させた唐章懐太子は、この徐偃王部分の注に『博物志中国語版)』を引用徐偃王物語記されている。そこに記され徐偃王物語は、夫余あるいは高句麗始祖王の東明王物語共通する徐偃王物語 徐君の宮人妊娠して卵を生んだ。これを不詳みなして、卵を水辺棄てた孤児独り身の者たちを母のように養育する者がおり、彼女はという名の飼っていた。蒼は水辺に食を求めて棄てられていた卵をくわえて彼女のところへ戻った。彼女は不思議に思い、卵を覆うようにして暖めた。 卵から子が生まれたが、通常の子と違い寝そべるように横たわって生まれたため、名を偃(横たわる)とつけた。 徐君の宮廷そのこと聞き、子の誕生次第調べたうえで、宮中迎えて養育した。 子は成長する仁智備え先代の徐君の後をつぎ徐国の君となったその後蒼は死に臨んで、頭には角が生え、尾は九尾となり、黄竜化身だった。蒼のまたの名は后蒼であり、偃王が蒼を葬った場所は、徐国のなかであり、現在も「壟」が残っている。 徐王が国を治めにつれ、その仁義は有名となり、偃王は周へ船で行きたい思い、陳と蔡の間に溝(運河)を通じさせたが、その時朱色弓矢得た。その弓矢得たことで、天瑞を得ることができたとして、自分の名を号として徐偃王自称した付近の淮・江の諸侯で偃王に服従する者が三十六国及んだ天下支配していた穆王はこれを聞き使者派遣して偃王を伐たせた。偃王は愛民の心があり闘わずして、敗北した敗北した偃王は北走し、彭城国武原県に逃れた超える人びとが偃王に随って移住した。それでその山の名を徐山とし、その山上石室の廟をたてた。 廟には神霊宿り人びとは祈るときには文を書いて割符のようにするというが、世代隔てた古いことなので詳細明らかにし難い。徐城の外には徐君の墓があり、昔、季札その場所で剣を解いたが、それは心の許すところに違いたくないということからである。 東明王物語 (A)北方橐離国があり、その王の侍婢妊娠した。王は侍婢殺そうとした。(B)侍婢は、鶏の子(卵)のような「気」があって、私に来たり下ったので、妊娠した、と告げたその後に子が生まれた(C)王はその子(豚)小屋中に捨てさせたが、が口でその子吹いた。(D)その子馬小屋移し、馬に踏みさせようとしたが、馬も気をその子吹き付け死なせなかった。(E)王は、天子となるのではないか疑い、その母に引き取らせ召使い養育させた。(F)その子東明名づけ牛馬牧する仕事につかせた。(G)東明は、弓を射ることに優れていた。(H)王は、東明が国を奪うことを恐れて殺そうとした。東明は、逃れて南へ走り、掩淲至った。(I)東明が、掩淲水のを弓で撃つと、鱉が浮かび上がりつくった東明は、それにより渡ることができたが、鱉はすぐに解散したので、追兵は渡ることができなかった。(J)よって東明は、夫余の地に都をつくり王となった考証 鳥の卵と王の誕生物語というと玄鳥落とした卵を簡狄吞んで、殷始祖契を生んだという『史記』巻三・殷本紀史料が有名である。簡狄という女性が卵を呑んで妊娠したとあるが、これは「卵生説話」の変形とみてよい。東明王物語深淵は殷始祖契の誕生物語、それと同根から発生した徐偃王物語、周始祖后稷物語求めることができる。(C)(D)は、周始祖后稷誕生物語酷似していることはよく知られる。(B)の卵のような気により妊娠するのは、(J)の簡狄妊娠事情通じ部分があり、直接的表現徐偃王物語1.みられるが、逆に徐偃王物語1.の卵を生む形が原型であり、そこから(J)の卵を呑んで妊娠する東明王物語(B)の卵のような気により妊娠するなどの派生型生じている。(G)(I)の弓は、徐偃王物語の7.にみえる。(H)(I)のは、徐偃王物語1.水浜や、7.の溝の要素である。徐偃王物語直接関係する部分残されていないが、東明王物語の(I)のや鱉がをつくる話も中国先例求めることができ、『竹書紀年穆王三七年条に「伐。大起九師。東至九江。比黿鼉以為」とあり、穆王大亀大鰐𠮟りつけてすなわちをつくらせており、東明王が弓で水面叩いてということは水神を弓で脅しつけた結果)、亀や鱉がをつくる話に酷似する袁珂はこの話はを伐つ時のことではなく徐偃王打倒の時とする説を支持しており、徐偃王物語には穆王との戦い場面があり、大亀大鰐をつくる話が元来存在していたかもしれない徐偃王物語1.は「卵生神話」であり、三品彰英によりその分布や意味が検討されており、「卵生神話」はインドネシア中心に中国沿岸部から朝鮮半島北東アジア分布し中国沿岸部東夷南方住民が境を接して居住、この地域一帯に「卵生神話」などの海洋民族文化流布していた。それが春秋戦国時代から漢人東進してきたため、東夷北へ南方系は南へ押し分けられた。なお、本来、殷は東夷といわれ、「卵生神話」はこの地域存在した可能性もある。 殷末周初の東夷解明した古典的かつ基本的な研究に、貝塚茂樹研究がある。周武王は殷紂王打倒したが、殷の祭祀は殷の旧領土に封じた武王の子武庚禄父継承させた。武庚禄父一人人名とする『史記』の説があるが、『論衡』などの二人人名説が妥当である。武庚は殷の故都(安陽)に封じられ禄父梁山出土銅器銘文からみて、梁山封じられた。武庚は周に反乱禄父加担したが、周公旦召公奭平定された。周公旦召公奭は、山東渤海まで遠征恩賞として周成王は召公奭に徐地域与えたが、実際に地域支配したのは、召公奭長男の燕侯=匽侯旨であり、燕侯=匽侯の号である「燕(えん)」「匽(えん)」は、旨が拠点とした「奄」(近隣)の「奄(えん)」による。なお、燕国出土銅器銘文は「燕」を「匽」と記している。この匽侯旨が投影伝説化されたのが徐偃王である。召公奭は、『史記』に燕国封じられたとあるが、易州出土銅器銘文からみて、これは燕侯旨易州封じられ史実修飾したのである燕侯旨易州移封されたのは、周公旦長子伯禽が匽つまり奄に封じられたためである。『史記』は周公旦(匽つまり奄)に封じられたとするが、これは伯禽史実背景とする修飾である。殷の祭祀梁山継承されいるから、殷始祖の契の「卵生神話」もこの地に継承された。周初に梁山地域封じられた燕侯=匽侯旨が伝説化されたのが偃王物語徐偃王である。旨は兄である召公奭に代わって徐地域支配支配従い始祖后稷物語はこの地に広がり、殷や周の始祖物語は、このような地域浸透徐偃王物語影響与えた燕侯旨燕国南部易州移封されると、旨の伝説的投影像である徐偃王物語燕国に広まる。燕国遼西から遼東へと支配広げる従い徐偃王物語伝達範囲広がる。さらに本来東夷中心みなされていた匽・燕が北方地域名として定着すると、東夷範囲移動した。燕が東方遼東などに支配広げると、東夷世界東方移動中国東北部から朝鮮半島を含む地域名となる。東夷世界移動拡大鑑みると、東夷にあって覇を唱える王は、その移動拡大原動力である燕国始祖物語似せて自己の始祖物語作為するのは当然であり、徐偃王物語東明王物語が共通要素をもつ背景である。こうした物語継承は、匽(曲阜)から燕へ旨が移封されたことに典型的あるように、人的集団移動背景としている。秦漢帝国出現にともなう中国から北東アジアへの人的集団移動が、東明王物語成立させる要素だった。貝塚茂樹は、燕侯旨の「奄」初封時に、箕侯すなわち箕氏を領内安堵したという事績が、燕国遺民によって伝説化して朝鮮伝播されたものが箕子朝鮮とする。燕国始祖燕侯旨保護した箕子事績物語化して東夷世界に広まるのと軌を一にして、燕侯旨存在投影した徐偃王物語東夷世界広まった

※この「東明王物語と徐偃王物語の類似性」の解説は、「東明王」の解説の一部です。
「東明王物語と徐偃王物語の類似性」を含む「東明王」の記事については、「東明王」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東明王物語と徐偃王物語の類似性」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東明王物語と徐偃王物語の類似性」の関連用語

1
12% |||||

東明王物語と徐偃王物語の類似性のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東明王物語と徐偃王物語の類似性のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの東明王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS