日本における歩荷の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/27 00:04 UTC 版)
かつて日本ではどの地方でも広く見られたが、自動車の普及や道路・鉄道の発達、人件費の高騰などから徐々に減少し、20世紀後半には直接自動車道が繋がっていない山小屋などの場所に物資を運搬する時のみに使用されるようになった。しかもその後、山小屋へもヘリコプターで運ぶことが徐々に一般的になり、歩荷の仕事はさらに減ることになった。歩荷の仕事で生活しようとする若者はほぼいなくなり、もともと歩荷の仕事をしていた人も歳をとり退職し、数が減っていったのである。現在、歩荷を専門職とする人を一年を通して見ることができるのは尾瀬の尾瀬ヶ原地区のみとされている。(白馬岳にもプロの歩荷はいるが、夏山期に限られる。)ただし山小屋の従業員やアルバイト従業員が臨時に(夏季などに)歩荷の仕事をすることは、現在でも各地の山域で見られる。 また、かつては山岳の山頂に測量のための標石を設置する際にも測量技術者などによって歩荷が行われていたが、昨今では新たに標石を設置・交換することは稀なので、この歩荷がおこなわれることは稀となっている。ただし、測量の際には技術者が山頂まで徒歩で測量機材を運ぶことがあり、こうした歩荷は今でも行われることがある。また、山岳での高層気象観測も機会が減りつつある上に、山小屋向け運搬同様に、多くの場合はヘリコプターで運ばれるようになっている。
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