日本における歴史と流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 02:05 UTC 版)
「ラバーフェティシズム」の記事における「日本における歴史と流れ」の解説
日本では、戦後しばらくして「生ゴム」(飴色のゴム)やゴム製の雨合羽を題材としたエロス小説などが当時のカストリ雑誌や実話系雑誌などでまれに散見される程度だったが、1990年代前半に突如発生したボンデージブームを契機に、ラバーフェチに関する環境が整い始めた。当時そのブームを支えたのが、ショップAZZLOの山崎シンジ、山崎ユミである。彼らが東京都内にオープンした店舗ではイギリス製を中心としたラバーの衣服が売られ、彼ら自身もSMを中心とした日本のポルノ雑誌などに写真を発表、さらに1992年には写真集『BODY DISCIPLINE』(フールズメイト刊)を発表し、ラバーフェチの存在をアピールした。また、彼らが東京都内で開催したイベント「DISCIPLINE GYM」には全国からあらゆるジャンルのフェティシストが集結し、急速にコミュニティを形成していった。 このAZZLOの他にほぼ同時期である1990年代初頭ごろからラバーウェアを販売していたのが福岡ラバリストである。福岡ラバリストでは、当時としては非常に珍しく、オーダーでのみラバーキャットスーツほかの各種ラバーウェアを製作・販売しており、英国で刊行されていたRubberist誌への広告掲載や日本での活動を寄稿するなど比較的活発な活動を行っていたが、インターネットの爆発的な普及が始まった1990年代終盤から2000年代初頭にかけて徐々にその活動が沈静化していくこととなった。 それと相前後する1998年にはラバーフェティシズムをテーマにした成人向けゲーム『好き好き大好き!』(13cm)が発売され、2001年にはイギリスで開催されているTORTURE GARDENの日本版としてTORTURE GARDEN JAPANが開催されるなどしたが、2002年から2004年にかけてAZZLOを始めとして、新宿Z2、渋谷Lunatic Oneなどラバーウェアを扱っていたショップの閉店が相次ぎ、一時期は国内で入手すらも難しい状況へと陥りその環境が一時的とはいえ悪化することとなった。2005年2月、東京池袋に日本初となるラバーによるオート・クチュールを専門に製作・販売するKURAGEが誕生し、再びラバーフェチをめぐる環境が整い始めている。
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