日本における概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/03 01:14 UTC 版)
江戸時代より学者や作家である山東京伝や曲亭馬琴らが「童話」と記して「むかしばなし」や「わらべものがたり」と読ませていたように昔話を指す言葉であったため大正時代頃までは、高木敏雄の『童話の研究』(1916年)などに代表されるように昔話研究などで「童話」という言葉が使われていた。一方、明治時代に巌谷小波は幼年児童向けの読み物に「お伽噺」という語を用いて出版やお話し会などの活発な活動をおこなっていた。その後、1918(大正7)年創刊の鈴木三重吉主宰『赤い鳥』の頃より「お伽噺」ではなく「童話」という呼称を使い出し、競合誌に『童話』(1920年)も創刊されて一般に用いられるようになった。アンデルセン童話の影響もあったと思われるが、『赤い鳥』でも当初は、昔話の意味合いだったが次第に創作童話も含むようになり、一般に子ども向け(幼年から少年)全般の文学に対して用いられるようになり、これが現在でも引き継がれている。ただ、子ども向け全般の用語としては、昭和時代以降は「童話」に代わって「児童文学」という言葉が使われるようになっている。この際、「童話」は文学の一ジャンルとしてメルヘン、ファンタジーを示し、小説やノンフィクションなどと区別している。 絵本や紙芝居といった媒体になっていることが多いが、口伝である口演童話の場合もある。時代を経て児童向けに変わってきた民話や伝説や教訓や社会常識を伝えるために動物などの姿を借りて物語となった寓話なども含むほか、新しく創作されたものを創作童話と称する。
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日本における概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 17:30 UTC 版)
偽善(ぎぜん)とは、善良であると偽ることをいう。また、これを行う者は偽善者とよばれる。 精神的な偽善は、外面では善い行為に見えても、それが本心や良心からではない心理状態を指し、行為としての偽善は、隠れて悪事を行う為に善行を装う事である。 偽善を為す要因に、虚栄心や利己心があり、前者は名誉欲や愛情欲が原因で後者は権勢欲や金銭欲である。 行為としての偽善と精神的な偽善は、別と考えて、精神的な偽善が行為としての偽善に繋がるかどうかを判断する者と、精神論で一括りに偽善を否定する者というように、偽善に対する認識は、善悪をどう認識するかで変るために一様ではない。 精神的な偽善には、腹黒いやゴマすりや食わせ物という表現もある。また、和英辞書では、利己心による偽善者である偽君子(snob)も hypocrite とされている場合がある。
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