東北本線・高崎線・北関東地区
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「国鉄165系電車」の記事における「東北本線・高崎線・北関東地区」の解説
「あかぎ (列車)#両毛線優等列車沿革」、「草津 (列車)#吾妻線優等列車沿革」、「おはようとちぎ・ホームタウンとちぎ#東北本線黒磯駅以南区間(現・宇都宮線)及び日光線以外の周辺各線優等列車沿革」、「日光 (列車)#JR東日本新宿駅 - 東武日光駅・鬼怒川温泉駅間直通特急列車及び国鉄・JR東日本日光線優等列車沿革」、および「水上 (列車)#上越線越後湯沢駅以南在来線優等列車沿革」も参照 急行「なすの」1984年 本系列落成以前の東北本線黒磯以南および日光線直流急行型電車運用には田町電車区(→田町車両センター→現・東京総合車両センター)配置の157系電車が準急「日光」「中禅寺」「なすの」「湘南日光」で運用されていた。しかし157系電車は東海道本線東京 - 大阪間不定期特急「ひびき」にも充当されており、1963年4月20日から輸送力増強を目的に1往復を定期列車化したことから、当初は東京 - 日光間「日光」1往復が新前橋電車区所属モノクラス6両編成のみとなったほかは、クモハ165形+モハ164形+クハ165形3両編成x6本計18両を田町区へ新製配置し置換えを実施。同年3月25日から上野 - 黒磯間「なすの」ならびに伊東 - 東京 - 日光間「湘南日光」で、4月25日から新宿 - 日光間「中禅寺」で運用開始。同年10月1日ダイヤ改正で「湘南日光」運用を新前橋区から田町区へ完全移管したことに伴い3両編成x2本が転属。24両が配置された。 田町電車区配置東北本線黒磯以南・日光線充当車(1963年10月1日) ← 伊東・上野・日光 黒磯 → クモハ165モハ164クハ165備考4 13 新前橋電車区からの転入車 8 17 37 41 新製車 38 42 39 43 40 44 41 45 57 43 50 備考 全車1966年10月1日ダイヤ改正で新前橋電車区へ転出 車両番号太字書体:1968年試作冷房改造車 上述充当列車のうち「中禅寺」は1964年10月1日ダイヤ改正で下り東京発・上り上野着に変更し新宿発着を終了したほか、1966年10月1日付で全運用を新前橋区へ移管した。 新前橋電車区(現・高崎車両センター)では1963年3月から配置が開始され、信越本線が電化開業した同年10月1日ダイヤ改正で高崎周辺発着の準急列車ならびに信越本線直通急行列車で運用が開始された。 当所は「あかぎ」「苗場」など上越線準急列車に充当されていた80系電車を置換え、上野 - 中軽井沢間準急「軽井沢2号」上野 - 水上間準急「ゆのさと」上野 - 前橋間準急「あかぎ」ではサロ165形組込の7両編成で運転されたが、上野 - 水上間準急「みくに」は2等車のみの6両編成とされ高崎以南は「軽井沢2号」と併結した。 新前橋電車区配置定期運用充当車(1963年10月1日)クモハ165モハ164クハ165サロ1655 14 5 6 15 6 7 16 7 9 18 8 10 19 14 11 20 15 12 28 16 18 31 17 19 32 21 27 33 22 28 34 23 29 35 24 30 37 25 34 38 26 35 39 36 40 53 512 46 54 513 47 55 514 48 56 42 49 備考 クモハ165形+モハ164形ユニット:20組40両 クハ165形:20両 サロ165形:14両 総計:74両 車両番号太字書体:1968年試作冷房改造車 新前橋区には中央本線狭小トンネル区間に対応させた波動輸送用としてモハ165形+モハ164形800番台ユニットのトップナンバーを含む4両編成x5本も新製配置されたが、同グループは1964年春に臨時準急「かいじ」充当のため三鷹電車区(現・三鷹車両センター)へ転出。同年10月1日に田町区に転出し東北本線運用にも充当されたが、1975年に神領電車区へ転出した。 新前橋区配置車は信越本線での運用が含まれていたことから、横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63形を連結して牽引・推進運転に対応した横軽対策を施工。座屈による浮き上がり脱線予防策から本来は軽井沢方に組成される車両重量の大きい電動車ユニットを麓側となる横川方に組成する必要が発生した。本措置は協調運転を行う169系を含む長野運転所配置車も同様とされ、他車両基地と編成が逆向きとなる特徴がある。 その後も運用増やサロ165形完全冷房化に対応し1964年 - 1967年には新造車が新製配置された。 1965年10月1日ダイヤ改正では列車愛称一本化が進められ、上野 - 水上間準急は「奥利根」に、上野 - 前橋間準急は「あかぎ」に統一された。また、上野 - 高崎・渋川間に準急「はるな」を新設。上野 - 石打間準急「苗場」は運転区間を新潟まで延長し急行「佐渡」に発展的解消となった。 1967年6月10日に長野原線(現・吾妻線)渋川 - 長野原(現・長野原草津口)間電化完成し、同年7月1日にダイヤ改正が行われた。本改正では気動車急行の上野 - 長野原間「草津」「草津いでゆ」と上野 - 水上間「奥利根」併結列車が電車化された。引き続き「奥利根」+「草津」もしくは「奥利根」+「あかぎ」で基本7両+付属4両の11両編成で併結運転が継続された。 信越本線急行運用は1966年に新設された長野運転所(現・長野総合車両センター)と共管になったが、1967年10月1日ダイヤ改正で信越本線系統の165系はすべて長野運転所に移管された。 1967年12月にはEF63形との協調運転試作車として165系900番台3両編成x4本計12両が落成配置。試験終了後の1968年に169系900番台に編入されたが、引き続き新前橋区配置のまま165系付属編成と共通運用に充当された。 1968年4月27日の御殿場線電化に合わせて運転開始された東京 - 御殿場間急行「ごてんば」は、1973年まで新前橋区の3両編成x2本を田町電車区へ貸渡名義での運用となり、東京 - 国府津間で153系と併結運転を実施した。 1968年10月1日ダイヤ改正では以下の変更を実施。 「奥利根」「はるな」を「ゆけむり」に統一改称し下り8本・上り7本運転としたほか、石打まで季節延長も実施。「ゆけむり」+「あかぎ」、「ゆけむり」+「草津」の組み合わせでの併結も実施され、基本7両と付属3両または3両編成x2本による6両の最大13両編成で運転された。 両毛線前橋 - 小山間電化完成で高崎から「あかぎ」が桐生まで直通した。 「軽井沢」は季節列車化され高崎以南では「ゆけむり」と併結された。 東北本線系統では上野 - 日光間が「日光」、上野 - 黒磯間が「なすの」に統合され、「中禅寺」「だいや」「しもつけ」の列車名が消滅。 「日光」1往復は田町電車区所属157系が、「なすの」上り白河 - 上野間1本は仙台運転所所属455系が充当された。 両毛線・水戸線電化完成に伴い上野 - 高崎・茂木・水戸間気動車急行「わたらせ」「つくばね」の併結が分離され、「わたらせ」は165系で高崎まで、「つくばね」は仙台運転所(現・仙台車両センター)所属455系により勝田までの運転となった。 両毛線は小山口からも高崎口からも方向転換せず入線可能であり、線内に「わたらせ」で入った編成と「あかぎ」で入った編成は逆向きとなるため折り返しの際には入線した経路で戻すことが鉄則とされた。 長野運転所担当の信越急行を169系へ置換えたためにサロ165→169形改造車を除いた全車が新前橋電車区へ再転入した。 1969年4月25日には「日光」1往復に充当されていた157系を新前橋電車区所属165系に運用移管を実施。伊東 - 東京 - 日光間急行「湘南日光」は1970年10月1日に廃止された。 1971年3月7日に長野原線が大前まで延長され、路線名も吾妻線に改称された。「草津」は4往復中3往復が万座・鹿沢口まで区間延長された。1972年3月15日ダイヤ改正では「草津」全列車が万座・鹿沢口発着となったほか、「草津」+「ゆけむり」の分割併合駅が渋川から新前橋に変更された。 1972年以降は上野 - 渋川間「伊香保」も設定された。 最盛期には7両基本編成15本・3両付属編成29本を巧みに組み合わせ、3両から最大15両編成で上野を中心として急行列車から普通列車まで複雑かつ幅広い運用が行われた。しかし「軽井沢」専用サロ165形2両組込8両編成は1972年3月15日ダイヤ改正で終了したほか、1973年3月13日に発生した上尾事件がきっかけとなり、朝夕ラッシュ時間帯の通勤列車運用は以後減少した。 新前橋電車区165系・169系900番台編成 ← 上野・日光 水上・軽井沢・宇都宮・黒磯 → 基本編成 クモハ165 モハ164 クハ165 クモハ165 モハ164 サロ165 クハ165 付属編成 クモハ165 モハ164 クハ165 「軽井沢」専用編成(1972年3月15日ダイヤ改正で消滅) クモハ165 モハ164 クハ165 クモハ165 モハ164 サロ165 サロ165 クハ165 1975年3月10日ダイヤ改正以降「あかぎ」下り1本を長野運転所所属169系へ運用移管し、上りは翌早朝の普通列車で上野口へ戻す運用が設定された。また北総3線電化による運用増に対応しクモハ165形+モハ164形+クハ165形3両編成x4本計12両が幕張電車区へ転出した。 東北・上越新幹線大宮暫定開業による1982年11月15日ダイヤ改正では、165系置換え用に185系200番台が特急「谷川」「白根」「あかぎ」に新製投入されるとともに急行運用を7両編成x21本に統一し「草津」「わたらせ」「草津」「ゆけむり」「軽井沢」「はるな」「日光」「なすの」のみに充当となった。 185系はダイヤ改正前の1982年3月10日より165系との共通運用に入り、この期間中は165系+185系の併結運用も実施された。また「日光」は全廃となった。 余剰車のうちクハ165形11両は松本運転所に転出し、冷房用電源の関係で編成から外すことのできなかったサハシ165形・サハ164形を置換えた。 一方で7両編成が増となったことから、サロ165形が田町電車区から6両、幕張電車区から2両転入した。 東北・上越新幹線上野開業に伴う1985年3月14日ダイヤ改正では、東北・高崎線定期急行列車全廃により同地区優等列車は185系による新特急に格上げされ急行運用が終了した。以後は日光・両毛・吾妻線などのローカル運用もしくは臨時急行列車・団体列車などの波動輸送で運用された。 2回に渡る新幹線開業により新前橋区の169系900番台はクハ455形ならびにサハ165形100番台への改造で区分消滅。165系は大幅な運用減となり、老朽余剰廃車・他形式への改造・他車両基地への転出などにより配置車両は大幅に減少し、1989年を最後にローカル定期運用を終了し107系・115系などに置換えられた。以後は残留した3両編成x11本計33両に車両更新工事を施工し波動輸送運用のみを担当した。
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「国鉄115系電車」の記事における「東北本線・高崎線・北関東地区」の解説
T1040編成(3両リニューアル未施工編成) T1043編成(3両リニューアル施工編成) T1142編成(4両編成) 東北本線上野口は本系列が最初に投入された線区であり、80系電車や電気機関車牽引による客車で運転されていた東北本線(宇都宮線)・高崎線普通列車の置換え・新性能化が目的である。 1963年(昭和38年)1月に登場した115系は東北本線上野口に初投入され、同年3月より上野 - 宇都宮・日光間で営業運転を開始した。この115系投入で余剰となった80系電車は岡山 - 広島間準急「とも」などに転用された。高崎線には1964年(昭和39年)から投入され、115系による高崎線・東海道本線直通列車も設定された。当初は4両編成を基本に、最大12両編成を組成して運用された。 当初の配置車両区は宇都宮運転所・新前橋電車区とされたが、1966年(昭和41年)7月から宇都宮配置車が新設された小山電車区へ順次移籍。新前橋電車区投入時から両毛線・日光線の運用も担当した。投入開始から2年後の1965年(昭和40年)10月には、客車列車を除く東北・高崎線の普通列車新性能化が完了した。 行楽期には臨時列車として115系が秩父鉄道の三峰口まで直通する運用も設定され、三峰口では東武鉄道からの乗り入れ列車とも並ぶ時期があった。上信電鉄でも115系が1963年(昭和38年)から1969年(昭和44年)にかけて行楽期の休日に荒船山登山客向けの臨時快速「あらふね」として下仁田まで直通しており、上野発下仁田行きは夜行列車として運転された。 1967年(昭和42年)には波動輸送対応として115系の低屋根・横軽対策車の投入が実施され、小山電車区に配置された。同年3月から2ヶ月間は土休日に京浜東北線用の103系を東北・高崎線の一部普通列車に投入し、115系を臨時快速で運用する措置が実施されていた。同年8月には郵便車のクモユ141形が新前橋電車区に新製配置、同時期に荷物車のクモニ83形0番台が長岡運転所に配置され、上越線の郵便・荷物列車として115系普通列車との併結もなされた。 1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正(ヨンサントオ)では、赤羽 - 大宮間の三複線が完成して京浜東北線、列車線、貨物線が分離され、東北・高崎線は列車線を走るようになった。客車列車から115系化されていた高崎線・東海道本線直通列車は運転区間が見直され、従来の前橋 - 東京 - 富士間から前橋 - 東京 - 沼津間に短縮された。両毛線は前橋 - 小山間が直流電化され、115系も使用されるようになった。 ヨンサントオでは運用の都合から115系による定期急行列車も登場しており、朝ラッシュ時の普通列車が上野駅に到着した後の折返しで下り列車のみが設定されていた。籠原発上野行き普通列車の折返しが「あかぎ1号」「ゆけむり2号」として、宇都宮発上野行き普通列車の折返しが「なすの1号」として運転された。1970年(昭和45年)10月には「なすの1号」に日光行きが設定され、1975年(昭和50年)3月改正(ゴーマルサン)で誤乗防止により「日光3号」に改称された。これらのいわゆる「遜色急行」4列車は1976年(昭和51年)11月に快速列車に格下げされている。 上越線・羽越本線経由の上野 - 秋田間長距離客車列車であった1821・1822列車はヨンサントオ改正で上野 - 長岡間の夜行列車に短縮され、115系電車に置き換えられた。高崎・上越線系統では115系に併結する郵便・荷物電車のうち、クモユ141形が新前橋電車区から長岡運転所へ転属した。東北・高崎線系統では115系列車に新前橋電車区のクモユニ74形を併結する運用も登場している。 1969年(昭和44年)からはサハ115形組み込みの7両編成が基本編成、4両が付属編成となり、最大15両による運用を開始した。 1973年(昭和48年)から冷房付きモデルチェンジ車である300番台の投入が開始された。製造開始と同時期に上尾事件が発生したため、通勤輸送の改善を目的に1977年(昭和52年)まで、113系1000'番台とともに、当初の予定数よりも大量に製造された。上野口への緊急対応用として運用投入できる1編成を常時滞留させる対策などを実施したほか、1975年(昭和50年)10月には急行形車両によるラッシュ時の間合い運用を終了。通勤時間帯列車の115系15両化が完了した。高崎線・東海道本線直通列車は富士、沼津から熱海までの短縮を経て1973年に廃止された。 300番台の大量増備には地方に残る旧形国電置換えの名目もあり、1976年(昭和51年)から小山・新前橋両電車区の基本番台車は、長岡運転所・岡山運転区・広島運転所に転出する車両と、冷房化改造を受けて引き続き運用される車両に分かれた。 1978年(昭和53年)10月のダイヤ改正では高崎地区に残存していた旧形国電置換えと東北本線・高崎線規格ダイヤ化による増発のため1000番台も投入開始。1982年(昭和57年)には新幹線リレー号にも運用された。その後も増発が繰り返され、1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正ではすでに新造車の製造が打ち切られたため、岡山・広島に一旦転出していた基本番台と1000番台が、長岡からはサハ115形1000番台が、1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正では三鷹・松本・長岡・沼津から運用の見直しによる捻出車が転入。小山・新前橋区合計で859両と、本系列のほぼ半分が投入された。 しかし、この頃が上野口における本系列のピークで、同年12月からは211系電車の投入が開始され、国鉄分割民営化直前の1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正では、広島地区の111系置換えのため基本番台・300番台約60両が広島運転所と幡生車両所(いずれも当時)へ転出となり、状態の悪かった初期車の廃車も実施されたが、それでも分割民営化時には約700両がJR東日本に引き続がれ、運用された。 小山電車区・新前橋電車区所属車は、最大15両編成で東北本線・高崎線の上野口普通列車の主力として運用されていたほか、高崎線快速「タウン」「アーバン」や宇都宮線快速「スイフト」「ラビット」などの快速列車でも運用された。当時は基本編成7両・付属編成4両の11両のほか、4両編成2本を繋いだ8両を中心に運用された。編成番号はモハ114形の車両番号に小山電車区所属車は「Y」、新前橋電車区所属車は「T」を冠したものが付与されており、モハ114形を2両含む7両編成では編成中に2つの編成番号が付けられている。 T1159編成のうちクモハ115-1065・モハ114-1159・クハ115-1208の3両は、三鷹電車区に横須賀色で新製配置された唯一の1000番台車4両のうちの3両であり、新前橋電車区転入後は湘南色となった。同時に新製配置されたサハ115-1027は1992年にクハ115-1512へ改造され、2010年(平成22年)時点では長野総合車両センターC8編成に組み込まれ中央東線で運用されていた。 1997年(平成9年)には長野総合車両所(当時)所属の115系3両編成1本が新前橋電車区に転入し、T1030編成となった。この編成は北陸新幹線先行開業の前日に廃止となる信越本線横川 - 軽井沢間を通過した最終上り普通列車に充当されており、高崎到着後返却されずに転入した。この編成にはモハ115形1000番台改造のクモハ115-1566が組み込まれており、高崎地区の115系で唯一の先頭車化改造車となった。 1998年(平成10年)の長野オリンピックの際に当時の新前橋電車区から4両編成1本を長野総合車両所に貸し出し、信越本線(当時)小諸- 直江津間で限定運用を行った事例がある。この貸し出しでは小諸で夜間滞留が採られたほか、側面方向幕は対応する駅名コマがないため白表示とし、サボによる表示となった。 JR東日本では1998(平成10)年度より115系のリニューアル工事が行われ、高崎地区の115系にも施工された。リニューアル車は車内の腰掛・化粧板・つり革の交換、補助電源装置は電動発電機(MG)から静止形インバータ(SIV)に更新、電動空気圧縮機はレシプロタイプから除湿機能付きスクリュータイプに変更、屋根上の集中式冷房装置はAU720B形に更新された。ドア横アクリル製袖仕切りの有無・暖房稼動時の高温対策用座席下金属部カバーの有無など、編成ごとに細かい施工内容が異なる。 2000年(平成12年)からのE231系の増備により、2002年(平成14年)7月24日のダイヤ改正で湘南新宿ライン、2003年(平成15年)に高崎線での運用が終了。最後まで残存した東北本線の定期運用も2004年10月ダイヤ改正で終了し、2005年(平成17年)1月15日にさよなら運転を実施した。 その後、4両のY427編成のみが大宮支社管内の予備・訓練車兼用として使用するため残存した。訓練車として宇都宮運転所・黒磯駅・川越車両センター・大宮総合車両センター・東京支社への貸出も行われたほか、営業運転では日光線や青梅線などホーム有効長が短い路線での臨時列車にも投入された。しかし最後まで残っていた大宮 - 奥多摩間の快速「むさしの奥多摩」運用が201系「四季彩」に置換えられ、2007年3月にE231系付属編成(U-118編成)の増備により訓練には当日予備の車両を使用する体制となったため2007年1(平成19年)2月1日付で廃車となり、小山車両センターの本系列配置は終了した。 2005年(平成17年)の組織変更による統合で、新前橋電車区は高崎車両センターに名称変更された。高崎車両センター所属車は全車両が湘南色塗装であった。保安装置はATS-P・SNを搭載。デジタル無線装置を装備し、機器は運転席後方の荷物棚に設置される。客用扉は、2017年(平成29年)時点では通年で半自動扱いとなっていた。編成番号は識別記号『T』と編成に組み込まれるモハ114形の車両番号を組み合わせて付与された。 高崎車両センター所属車は小山車とともに東北本線・高崎線上野口の普通列車の主力として最大15両編成で運用されていたが、上野口での運用が終了し、2017年(平成29年)では上越線高崎 - 水上間・信越本線高崎 - 横川間・吾妻線・両毛線で、吾妻線は3両、他は主に3両編成を2編成連結した6両編成で運用された。また2017年(平成29年)8月から正面行先方向幕の使用を停止しており、幕部分は車体と同じ緑色で埋められた。 高崎車両センター所属の115系は、同センター所属211系の代走で黒磯までの入線や乗務員訓練などで小山車両センターへ貸出された経歴がある。かつては小山所属107系の代走運用にも充当された。 2010年(平成22年)7月にT1090・T1133編成には群馬デスティネーションキャンペーンのPRラッピングやヘッドマークが施されたが、翌2011年(平成23年)9月末のキャンペーン終了に伴い同10月上旬までに剥離された。T1090編成は訓練車兼用であったが、他の編成が投入される場合もあった。T1133編成は小山・宇都宮などの駅名が緑色で表示される宇都宮線用の方向幕を搭載しており、壁面化粧板の色なども若干異なっていた。 2016年(平成28年)4月1日時点での4両編成は、両先頭車がクハ115形で組成されるT1090・T1091・T1133・T1142 - T1147編成と、クモハ115形とクハ115形で組成されるT1044・T1159編成の11編成が在籍していた。T1044・T1159編成はサハ115形を切り離し3両編成で運用されることもあった。 2016年(平成28年)9月にT1143 - T1145・T1147編成、同年10月にT1090・T1091編成、同年11月にT1133・T1142編成が廃車され、同年12月13日以降は4両編成運用の211系への置換えが実施された。同年12月19日にT1146・T1159編成およびT1044編成に組込まれていたサハ115-1007が長野総合車両センターに廃車回送され、同月21日付で廃車。サハ115形は廃形式となり、T1044編成が3両編成となったのをもって当センターから4両編成は全廃となった。2017年(平成29年)6月2日付でT1030・T1044編成の2本6両が廃車された。 2018年(平成30年)1月15日、JR東日本高崎支社は同支社管内の115系の定期運用を同年3月に終了することを発表した。2018年(平成30年)3月17日ダイヤ改正により、前日の同月16日ですべての定期運用を終了した。その後同月21日にT1022・T1032編成を連結した6両編成が専用ヘッドマークを掲出した団体専用列車に充当され、信越本線高崎 - 横川間・上越線高崎 - 水上間で各1往復の運転(さよなら運転)が行われた。 定期運用から撤退後の2018年(平成30年)4月1日時点では、1000番台3両編成10本30両が配置されていた。リニューアル未施工車のT1040編成1本、リニューアル施工車のT1022・T1032・T1036 - T1039・T1041・T1043・T1046編成の9本が在籍していた。同年4月にT1038・T1039の2本が、同年7月にT1022・T1032・T1036・T1037・T1041・T1043・T1046の7本が廃車され、リニューアル施工車は全廃となった。 2020年(令和2年)3月1日付でT1040編成のクモハ115-1030を除くモハ114-1040・クハ115-1030の2両が廃車された。T1040編成のクハ115-1030を除くモハ114-1040・クモハ115-1030は、すべての窓ガラス支持が新製当時の白Hゴムであったが、2011年(平成23年)頃に一部が黒Hゴムに交換された。 2022年(令和4年)4月1日現在、高崎車両センターには1000番台リニューアル未施工車3両編成であった旧T1040編成のうちクモハ115-1030の1両が配置されている。
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