東北本線・高崎線・北関東地区とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 東北本線・高崎線・北関東地区の意味・解説 

東北本線・高崎線・北関東地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:25 UTC 版)

国鉄165系電車」の記事における「東北本線・高崎線・北関東地区」の解説

あかぎ (列車)#両毛線優等列車沿革」、「草津 (列車)#吾妻線優等列車沿革」、「おはようとちぎ・ホームタウンとちぎ#東北本線黒磯駅以南区間(現・宇都宮線)及び日光線以外の周辺各線優等列車沿革」、「日光 (列車)#JR東日本新宿駅 - 東武日光駅鬼怒川温泉駅直通特急列車及び国鉄・JR東日本日光線優等列車沿革」、および「水上 (列車)#上越線越後湯沢駅以南在来線優等列車沿革」も参照 急行「なすの」1984年 本系落成以前東北本線黒磯以南および日光線直流急行型電車運用には田町電車区(→田町車両センター→現・東京総合車両センター配置157系電車準急日光」「中禅寺「なすの」湘南日光」で運用されていた。しかし157系電車東海道本線東京 - 大阪間不定期特急「ひびき」にも充当されており、1963年4月20日から輸送力増強目的に1往復定期列車化したことから、当初東京 - 日光間「日光」1往復新前橋電車区所属モノクラス6両編成のみとなったほかは、クモハ165形+モハ164形+クハ1653両編成x6本計18両を田町区へ新製配置し置換え実施同年3月25日から上野 - 黒磯「なすの」ならびに伊東 - 東京 - 日光間「湘南日光」で、4月25日から新宿 - 日光間「中禅寺」で運用開始同年10月1日ダイヤ改正で「湘南日光運用新前橋区から田町区へ完全移管したことに伴い3両編成x2本が転属24両が配置された。 田町電車区配置東北本線黒磯以南日光線充当車(1963年10月1日) ← 伊東上野日光 黒磯クモハ165モハ164クハ165備考4 13 新前橋電車区からの転入車 8 17 37 41 新製車 38 42 39 43 40 44 41 45 57 43 50 備考 全車1966年10月1日ダイヤ改正新前橋電車区転出 車両番号太字書体1968年試作冷房改造車 上充当列車のうち「中禅寺」は1964年10月1日ダイヤ改正下り東京発上り上野着に変更し新宿発着終了したほか、1966年10月1日付で全運用新前橋区へ移管した。 新前橋電車区現・高車両センター)では1963年3月から配置開始され信越本線電化開業した同年10月1日ダイヤ改正高崎周辺発着準急列車ならびに信越本線直通急行列車運用開始された。 当所は「あかぎ」「苗場」など上越線準急列車充当されていた80系電車置換え上野 - 中軽井沢準急軽井沢2号上野 - 水上準急ゆのさと上野 - 前橋準急「あかぎ」ではサロ165形組込の7両編成運転されたが、上野 - 水上準急「みくに」は2等車のみの6両編成とされ高崎以南は「軽井沢2号」と併結した。 新前橋電車区配置定期運用充当車(1963年10月1日クモハ165モハ164クハ165サロ1655 14 5 6 15 6 7 16 7 9 18 8 10 19 14 11 20 15 12 28 16 18 31 17 19 32 21 27 33 22 28 34 23 29 35 24 30 37 25 34 38 26 35 39 36 40 53 512 46 54 513 47 55 514 48 56 42 49 備考 クモハ165形+モハ164形ユニット2040クハ165形:20サロ165形14両 総計:74車両番号太字書体1968年試作冷房改造新前橋区には中央本線狭小トンネル区間に対応させた波動輸送用としてモハ165形+モハ164形800番台ユニットのトップナンバーを含む4両編成x5本も新製配置されたが、同グループ1964年春に臨時準急「かいじ」充当のため三鷹電車区(現・三鷹車両センター)へ転出同年10月1日田町区に転出し東北本線運用にも充当されたが、1975年神領電車区転出した新前橋配置車は信越本線での運用含まれていたことから、横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63形連結して牽引推進運転対応した横軽対策施工座屈による浮き上がり脱線予防策から本来は軽井沢方に組成され車両重量大き電動車ユニットを麓側となる横川方に組成する必要が発生した。本措置協調運転を行う169系を含む長野運転所配置車も同様とされ、他車両基地編成逆向きとなる特徴がある。 その後運用増やサロ165形完全冷房化対応し1964年 - 1967年には新造車新製配置された。 1965年10月1日ダイヤ改正では列車愛称一本化進められ上野 - 水上準急は「奥利根」に、上野 - 前橋準急は「あかぎ」に統一された。また、上野 - 高崎渋川間に準急「はるな」を新設上野 - 石打準急苗場」は運転区間新潟まで延長し急行佐渡」に発展的解消となった1967年6月10日長野原線(現・吾妻線渋川 - 長野原(現・長野原草津口)間電化完成し同年7月1日ダイヤ改正が行われた。本改正では気動車急行の上野 - 長野原間「草津」「草津いでゆ」と上野 - 水上間「奥利根併結列車電車化された。引き続き奥利根」+「草津もしくは奥利根」+「あかぎ」で基本7両+付属4両の11編成併結運転が継続された。 信越本線急行運用1966年新設され長野運転所(現・長野総合車両センター)と共管になったが、1967年10月1日ダイヤ改正信越本線系統165系はすべて長野運転所移管された。 1967年12月にはEF63形との協調運転試作車として165系900番台3両編成x4本計12両が落成配置試験終了後1968年169系900番台編入されたが、引き続き新前橋配置のまま165系付属編成と共通運用に充当された。 1968年4月27日御殿場線電化合わせて運転開始された東京 - 御殿場急行ごてんば」は、1973年まで新前橋区の3両編成x2本を田町電車区へ貸渡名義での運用となり、東京 - 国府津間で153系併結運転を実施した1968年10月1日ダイヤ改正では以下の変更実施。 「奥利根」「はるな」を「ゆけむり」に統一改称し下り8本・上り7本運転としたほか、石打まで季節延長実施。「ゆけむり」+「あかぎ」、「ゆけむり」+「草津」の組み合わせでの併結実施され基本7両と付属3両または3両編成x2本による6両の最大13編成運転された。 両毛線前橋 - 小山電化完成高崎から「あかぎ」が桐生まで直通した。 「軽井沢」は季節列車化され高崎以南では「ゆけむり」と併結された。 東北本線系統では上野 - 日光間が「日光」、上野 - 黒磯間が「なすの」統合され、「中禅寺」「だいや」「しもつけ」の列車名消滅。 「日光」1往復田町電車区所属157系が、「なすの」上り白河 - 上野間1本は仙台運転所所属455系充当された。 両毛線水戸線電化完成に伴い上野 - 高崎茂木水戸気動車急行わたらせ」「つくばね」の併結分離され、「わたらせ」は165系高崎まで、「つくばね」は仙台運転所(現・仙台車両センター所属455系により勝田までの運転となった両毛線小山口からも高崎口からも方向転換せず入線可能であり、線内に「わたらせ」で入った編成と「あかぎ」で入った編成逆向きとなるため折り返しの際には入線した経路で戻すことが鉄則とされた。 長野運転所担当信越急行169系置換えたためにサロ165169改造車除いた全車新前橋電車区再転入した。 1969年4月25日には「日光」1往復充当されていた157系新前橋電車区所属165系運用移管実施伊東 - 東京 - 日光急行湘南日光」は1970年10月1日廃止された。 1971年3月7日長野原線大前まで延長され路線名も吾妻線改称された。「草津」は4往復中3往復万座・鹿沢口まで区間延長された。1972年3月15日ダイヤ改正では「草津」全列車万座・鹿沢口発着となったほか、「草津」+「ゆけむり」の分割併合駅が渋川から新前橋変更された。 1972年以降上野 - 渋川間「伊香保」も設定された。 最盛期には7両基本編成15本・3両付属編成29本を巧みに組み合わせ、3両から最大15編成上野中心として急行列車から普通列車まで複雑かつ幅広い運用が行われた。しかし「軽井沢専用サロ165形2両組込8両編成1972年3月15日ダイヤ改正終了したほか、1973年3月13日発生した上尾事件きっかけとなり、朝夕ラッシュ時間帯の通勤列車運用以後減少した新前橋電車区165系169系900番台編成上野日光 水上軽井沢宇都宮黒磯基本編成 クモハ165 モハ164 クハ165 クモハ165 モハ164 サロ165 クハ165 付属編成 クモハ165 モハ164 クハ165軽井沢専用編成1972年3月15日ダイヤ改正消滅クモハ165 モハ164 クハ165 クモハ165 モハ164 サロ165 サロ165 クハ165 1975年3月10日ダイヤ改正以降「あかぎ」下り1本を長野運転所所属169系運用移管し、上りは翌早朝普通列車上野口へ戻す運用設定された。また北総3線電化による運用増に対応しクモハ165形+モハ164形+クハ1653両編成x4本計12両が幕張電車区転出した東北・上越新幹線大宮暫定開業による1982年11月15日ダイヤ改正では、165系置換え用に185系200番台特急谷川」「白根」「あかぎ」に新製投入されるとともに急行運用7両編成x21本に統一し草津」「わたらせ」「草津」「ゆけむり」「軽井沢」「はるな」「日光「なすの」のみに充当となった185系ダイヤ改正前の1982年3月10日より165系との共通運用に入りこの期間中165系+185系併結運用実施された。また「日光」は全廃となった余剰車のうちクハ16511両は松本運転所転出し冷房電源の関係で編成から外すことのできなかったサハシ165形サハ164形置換えた。 一方で7両編成が増となったことから、サロ165形田町電車区から6両、幕張電車区から2両転入した東北・上越新幹線上野開業に伴う1985年3月14日ダイヤ改正では、東北高崎線定期急行列車全廃により同地区優等列車185系による新特急格上げされ急行運用終了した以後日光両毛吾妻線などのローカル運用もしくは臨時急行列車団体列車などの波動輸送運用された。 2回に渡る新幹線開業により新前橋区の169系900番台クハ455形ならびにサハ165形100番台への改造区分消滅165系大幅な運用減となり、老朽余剰廃車他形式への改造・他車両基地への転出などにより配置車両大幅に減少し1989年最後にローカル定期運用終了し107系115系などに置換えられた。以後残留した3両編成x11本計33両に車両更新工事施工し波動輸送運用のみを担当した

※この「東北本線・高崎線・北関東地区」の解説は、「国鉄165系電車」の解説の一部です。
「東北本線・高崎線・北関東地区」を含む「国鉄165系電車」の記事については、「国鉄165系電車」の概要を参照ください。


東北本線・高崎線・北関東地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:18 UTC 版)

国鉄115系電車」の記事における「東北本線・高崎線・北関東地区」の解説

T1040編成(3両リニューアル施工編成) T1043編成(3両リニューアル施工編成) T1142編成4両編成東北本線上野口は本系列が最初に投入され線区であり、80系電車電気機関車牽引による客車運転されていた東北本線宇都宮線)・高崎線普通列車置換え・新性能化が目的である。 1963年昭和38年1月登場した115系東北本線上野口に初投入され同年3月より上野 - 宇都宮日光間で営業運転開始した。この115系投入余剰となった80系電車岡山 - 広島準急「とも」などに転用された。高崎線には1964年昭和39年)から投入され115系による高崎線東海道本線直通列車設定された。当初4両編成基本に、最大12編成組成して運用された。 当初配置車両区は宇都宮運転所新前橋電車区とされたが、1966年昭和41年7月から宇都宮配置車が新設され小山電車区順次移籍新前橋電車区投入時から両毛線日光線運用担当した投入開始から2年後1965年昭和40年10月には、客車列車を除く東北高崎線普通列車性能化が完了した行楽期に臨時列車として115系秩父鉄道三峰口まで直通する運用設定され三峰口では東武鉄道からの乗り入れ列車とも並ぶ時期があった。上信電鉄でも115系1963年昭和38年)から1969年昭和44年)にかけて行楽期の休日荒船山登山客向けの臨時快速「あらふね」として下仁田まで直通しており、上野下仁田行き夜行列車として運転された。 1967年昭和42年)には波動輸送対応として115系の低屋根横軽対策車の投入実施され小山電車区配置された。同年3月から2ヶ月間は土休日京浜東北線用の103系東北高崎線一部普通列車投入し115系臨時快速運用する措置実施されていた。同年8月には郵便車のクモユ141形が新前橋電車区新製配置同時期に荷物車クモニ83形0番台長岡運転所配置され上越線郵便荷物列車として115系普通列車との併結なされた1968年昭和43年10月ダイヤ改正ヨンサントオ)では、赤羽 - 大宮間の三複線完成して京浜東北線列車線貨物線分離され東北高崎線列車線を走るようになった客車列車から115系化されていた高崎線東海道本線直通列車運転区間見直され従来前橋 - 東京 - 富士間から前橋 - 東京 - 沼津間に短縮された。両毛線前橋 - 小山間が直流電化され、115系使用されるようになったヨンサントオでは運用都合から115系による定期急行列車登場しており、朝ラッシュ時普通列車上野駅到着した後の折返し下り列車のみが設定されていた。籠原発上行き普通列車折返しが「あかぎ1号」「ゆけむり2号」として、宇都宮発上行き普通列車折返しが「なすの1号」として運転された。1970年昭和45年10月には「なすの1号」に日光行き設定され1975年昭和50年3月改正ゴーマルサン)で誤乗防止により「日光3号」に改称された。これらのいわゆる遜色急行」4列車1976年昭和51年11月快速列車格下げされている。 上越線羽越本線経由の上野 - 秋田間長距離客車列車であった1821・1822列車ヨンサントオ改正上野 - 長岡間の夜行列車短縮され115系電車置き換えられた。高崎上越線系統では115系併結する郵便荷物電車のうち、クモユ141形が新前橋電車区から長岡運転所転属した。東北高崎線系統では115系列車新前橋電車区クモユニ74形併結する運用登場している。 1969年昭和44年)からはサハ115組み込み7両編成基本編成、4両が付属編成となり、最大15両による運用開始した1973年昭和48年)から冷房付きモデルチェンジ車である300番台投入開始された。製造開始同時期に上尾事件発生したため、通勤輸送改善目的1977年昭和52年)まで、113系1000'番台とともに当初の予定数よりも大量に製造された。上野口への緊急対応用として運用投入できる1編成常時滞留させる対策など実施したほか、1975年昭和50年10月には急行形車両によるラッシュ時間合い運用終了通勤時間列車115系15両化が完了した高崎線東海道本線直通列車富士沼津から熱海までの短縮経て1973年廃止された。 300番台大量増備には地方に残る旧形国電置換え名目もあり、1976年昭和51年)から小山・新前橋電車区基本番台車は、長岡運転所岡山運転区広島運転所転出する車両と、冷房化改造受けて引き続き運用される車両分かれた1978年昭和53年10月ダイヤ改正では高崎地区残存していた旧形国電置換え東北本線・高崎線規格ダイヤ化による増発のため1000番台投入開始1982年昭和57年)には新幹線リレー号にも運用された。その後増発繰り返され1984年昭和59年2月ダイヤ改正ではすでに新造車製造打ち切られたため、岡山広島に一旦転出していた基本番台1000番台が、長岡からはサハ1151000番台が、1985年昭和60年3月ダイヤ改正では三鷹松本・長岡・沼津から運用見直しによる捻出車が転入小山・新前橋合計で859両と、本系列のほぼ半分投入された。 しかし、この頃上野口における本系列のピークで、同年12月からは211系電車投入開始され国鉄分割民営化直前1986年昭和61年11月ダイヤ改正では、広島地区111系置換えのため基本番台300番台60両が広島運転所幡生車両所いずれも当時)へ転出となり、状態の悪かった初期車廃車実施されたが、それでも分割民営化時には700両がJR東日本に引き続がれ、運用された。 小山電車区新前橋電車区所属車は、最大15編成東北本線・高崎線の上野口普通列車主力として運用されていたほか、高崎線快速タウン」「アーバン」や宇都宮線快速スイフト」「ラビット」などの快速列車でも運用された。当時基本編成7両・付属編成4両の11両のほか、4両編成2本を繋いだ8両を中心に運用された。編成番号モハ114形の車両番号小山電車区所属車は「Y」、新前橋電車区所属車は「T」を冠したものが付与されており、モハ114形を2両含む7両編成では編成中に2つ編成番号付けられている。 T1159編成のうちクモハ115-1065・モハ114-1159・クハ115-1208の3両は、三鷹電車区横須賀色新製配置され唯一の1000番台車4両のうちの3両であり、新前橋電車区転入後は湘南色となった同時に新製配置されサハ115-1027は1992年クハ115-1512へ改造され2010年平成22年時点では長野総合車両センターC8編成組み込まれ中央東線運用されていた。 1997年平成9年)には長野総合車両所当時所属115系3両編成1本が新前橋電車区転入し、T1030編成となった。この編成北陸新幹線先行開業前日廃止となる信越本線横川 - 軽井沢間を通過した最終上り普通列車充当されており、高崎到着返却されずに転入した。この編成にはモハ115形1000番台改造クモハ115-1566が組み込まれており、高崎地区115系唯一の先頭車化改造となった1998年平成10年)の長野オリンピックの際に当時新前橋電車区から4両編成1本を長野総合車両所貸し出し信越本線当時小諸- 直江津間で限定運用行った事例がある。この貸し出しでは小諸夜間滞留が採られたほか、側面方向幕対応する駅名コマがないため白表示とし、サボによる表示となったJR東日本では1998平成10)年度より115系リニューアル工事が行われ、高崎地区115系にも施工された。リニューアル車車内腰掛化粧板つり革交換補助電源装置電動発電機MG)から静止形インバータSIV)に更新電動空気圧縮機はレシプロタイプから除湿機付きスクリュータイプに変更屋根上の集中式冷房装置はAU720B形に更新された。ドア横アクリル製袖仕切り有無暖房稼動時の高温対策座席下金属部カバー有無など、編成ごとに細かい施工内容異なる。 2000年平成12年)からのE231系増備により、2002年平成14年7月24日ダイヤ改正湘南新宿ライン2003年平成15年)に高崎線での運用終了最後まで残存し東北本線定期運用2004年10月ダイヤ改正終了し2005年平成17年1月15日さよなら運転実施したその後、4両のY427編成のみが大宮支社管内予備訓練車兼用として使用するため残存した。訓練車として宇都宮運転所黒磯駅川越車両センター大宮総合車両センター東京支社への貸出行われたほか、営業運転では日光線青梅線などホーム有効長が短い路線での臨時列車にも投入された。しかし最後まで残っていた大宮 - 奥多摩間の快速むさしの奥多摩運用201系四季彩」に置換えられ、2007年3月E231系付属編成(U-118編成)の増備により訓練には当日予備車両使用する体制となったため2007年1(平成19年2月1日付で廃車となり、小山車両センター本系配置終了した2005年平成17年)の組織変更による統合で、新前橋電車区高崎車両センターに名称変更された。高崎車両センター所属車は全車両が湘南色塗装であった保安装置はATS-P・SN搭載デジタル無線装置装備し機器運転席後方荷物棚設置される客用扉は、2017年平成29年時点では通年で半自動扱いとなっていた。編成番号識別記号『T』と編成組み込まれるモハ114形の車両番号組み合わせて付与された。 高崎車両センター所属車は小山とともに東北本線・高崎線上野口の普通列車主力として最大15編成運用されていたが、上野口での運用終了し2017年平成29年)では上越線高崎 - 水上間・信越本線高崎 - 横川間・吾妻線両毛線で、吾妻線は3両、他は主に3両編成を2編成連結した6両編成運用された。また2017年平成29年8月から正面行先方向幕使用停止しており、幕部分車体と同じ緑色埋められた。 高崎車両センター所属115系は、同センター所属211系代走黒磯までの入線乗務員訓練などで小山車両センター貸出された経歴がある。かつては小山所属107系代走運用にも充当された。 2010年平成22年7月にT1090・T1133編成には群馬デスティネーションキャンペーンPRラッピングヘッドマーク施されたが、翌2011年平成23年9月末のキャンペーン終了に伴い10月上旬までに剥離された。T1090編成訓練車兼用であったが、他の編成投入される場合もあった。T1133編成小山宇都宮などの駅名緑色表示される宇都宮線用の方向幕搭載しており、壁面化粧板の色なども若干異なっていた。 2016年平成28年4月1日時点での4両編成は、両先頭車クハ115形で組成されるT1090・T1091・T1133・T1142 - T1147編成と、クモハ115形クハ115形で組成されるT1044・T1159編成11編成在籍していた。T1044・T1159編成サハ115形を切り離し3両編成運用されることもあった。 2016年平成28年9月にT1143 - T1145・T1147編成同年10月にT1090・T1091編成同年11月にT1133・T1142編成廃車され、同年12月13日以降4両編成運用211系への置換え実施された。同年12月19日にT1146・T1159編成およびT1044編成に組込まれていたサハ115-1007が長野総合車両センター廃車回送され、同月21日付で廃車サハ115形は廃形式となり、T1044編成3両編成となったをもってセンターから4両編成全廃となった2017年平成29年6月2日付でT1030・T1044編成の2本6両が廃車された。 2018年平成30年1月15日JR東日本高崎支社は同支社管内115系定期運用同年3月終了することを発表した2018年平成30年3月17日ダイヤ改正により、前日同月16日すべての定期運用終了したその後同月21日にT1022・T1032編成連結した6両編成専用ヘッドマーク掲出した団体専用列車充当され信越本線高崎 - 横川間・上越線高崎 - 水上間で各1往復の運転(さよなら運転が行われた。 定期運用から撤退後2018年平成30年4月1日時点では、1000番台3両編成1030両が配置されていた。リニューアル施工車のT1040編成1本、リニューアル施工車のT1022・T1032・T1036 - T1039・T1041・T1043・T1046編成の9本が在籍していた。同年4月にT1038・T1039の2本が、同年7月にT1022・T1032・T1036・T1037・T1041・T1043・T1046の7本が廃車され、リニューアル施工車は全廃となった2020年令和2年3月1日付でT1040編成クモハ115-1030を除くモハ114-1040・クハ115-1030の2両が廃車された。T1040編成クハ115-1030を除くモハ114-1040・クモハ115-1030は、すべての窓ガラス支持新製当時の白Hゴムであったが、2011年平成23年)頃に一部が黒Hゴム交換された。 2022年令和4年4月1日現在、高崎車両センターには1000番台リニューアル施工3両編成であった旧T1040編成のうちクモハ115-1030の1両が配置されている。

※この「東北本線・高崎線・北関東地区」の解説は、「国鉄115系電車」の解説の一部です。
「東北本線・高崎線・北関東地区」を含む「国鉄115系電車」の記事については、「国鉄115系電車」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東北本線・高崎線・北関東地区」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東北本線・高崎線・北関東地区」の関連用語

東北本線・高崎線・北関東地区のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東北本線・高崎線・北関東地区のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国鉄165系電車 (改訂履歴)、国鉄115系電車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS