松本・長とは? わかりやすく解説

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まつもと‐ながし【松本長】


松本長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/01 22:23 UTC 版)

松本長(まつもと ながし、1877年明治10年)11月11日 - 1935年昭和10年)11月29日)はシテ方宝生流能楽師静岡市出身[1]

経歴

松本金太郎の次男として生まれる。1884年(明治17年)上京、明治天皇行幸能で子方などを務めたあと、1892年(明治25年)宝生九郎(16代家元)に入門。厳しい稽古を受け、野口兼資とともに宝生流の双璧とされた。

端正な品位の高い芸風で知られた。レコード(SP盤)で「卒都婆小町」が残る。

1920年頃より高浜虚子門下で句作を開始。これを契機に句謡会が生まれ、虚子最晩年まで続いた。著書に「松韻秘話」がある。

1935年(昭和10年)11月28日、早稲田大隈会館で行われた永楽宝生会主催の例会に出演し、「国栖」を謡っていている最中に卒倒[2]。 手当が行われたものの意識は回復せずに、翌11月29日に脳溢血により大隈会館内で死去。葬儀は同年12月2日、宝生会葬として青山斎場で行われた[3]

家族

長男は俳人松本たかし、次男は能楽師松本惠雄人間国宝)。泉鏡花の従兄に当たる。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 松本長 コトバンク
  2. ^ 能楽界の三名人の一人、舞台で倒れて重体『東京日日新聞』昭和10年11月29日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p685 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  3. ^ 宝生流の大御所、死去『東京日日新聞』昭和10年11月30日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p685)

関連項目




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