田町電車区とは? わかりやすく解説

田町車両センター

(田町電車区 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 02:42 UTC 版)

田町車両センター
基本情報
日本
所在地 東京都港区港南2-1-65
座標 北緯35度38分16秒 東経139度44分30秒 / 北緯35.637778度 東経139.741667度 / 35.637778; 139.741667座標: 北緯35度38分16秒 東経139度44分30秒 / 北緯35.637778度 東経139.741667度 / 35.637778; 139.741667
鉄道事業者 東日本旅客鉄道
帰属組織 東日本旅客鉄道東京支社
所属略号 東チタ→南チタ→東チタ
併設区所 東京機関区品川客車区品川機関区東京第一運転所(1980年代)
最寄駅 品川駅
旧称 田町電車区→田町車両センター
開設 1930年(昭和5年)3月15日
廃止 2013年(平成25年)3月16日
車両基地概要
敷地面積 25,293 m2[1](田町電車区)
留置線本数 24本(田町電車区当時、以下同様)
1本は車輪転削線に繋がる
検査線本数 交検線 3本
洗浄線本数 2本
自動洗浄機 1基
その他設備 電車到着線 1本
電車着発線 2本
電車出発線 1本
修繕線 2本
最大収容両数 約270両[1]
位置
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田町車両センター(たまちしゃりょうセンター)は、かつて東京都港区港南にあった東日本旅客鉄道(JR東日本)東京支社(現・首都圏本部)の車両基地である。

2013年3月16日のダイヤ改正で車両配置がなくなり、東京総合車両センターの下部組織として、東京総合車両センター田町センターに、更に2018年6月1日東京総合車両センター田町派出に改組される。

配置車両に記されていた略号

田町車両センター 所属略号

東チタ」…東京支社を意味する「東」と、田町を意味する電報略号の「チタ」から構成される。

鉄道省から日本国有鉄道(国鉄)時代の表記も「東チタ」であったが、この場合の「東」は東京鉄道管理局を表している。1969年3月1日の再編で東京局は3分割され、東京南鉄道管理局所属となり以後民営化まで「南チタ」となっていた。

歴史

現在

配置車両はなく、東海道線車両の電留線として引き続き使用されていたが、2013年11月23日から11月24日にかけて行われた品川駅線路切り替え工事により、東側の隣接地(敷地内、東京機関区跡地)に新設された新車両基地に機能移転され、廃止時点で「田町車両センター」として運用されていた車両基地は閉鎖された[5]

日中は東京駅まで運用された寝台特急サンライズ瀬戸出雲」に運用される285系電車も次運用まで留置されている。

配置車両

国鉄時代の東海道・横須賀筋の東京側車両基地は、田町駅品川駅の間に隣接して設けられていた。 電気機関車東京機関区客車品川客車区電車は田町電車区にそれぞれ配置されており、車種ごとに部署が異なっていた。

2013年3月16日限りで配置車両全てが転属しており、現在配置車両はない[6]。なお、以下に記す車両は全て電車である。

廃止時の配置車両

185系

185系

  • 基本10両編成8本(A編成)・7両編成7本(B編成)・付属5両編成7本(C編成)の計164両が配置されていた。グリーン車はA編成に2両、B編成に1両組み込まれる。大宮総合車両センター東大宮センターへ転属した。
  • 1981年に153系の置き換え用として0番台のA編成とC編成が新製配置され、200番台のB編成は1985年から1990年にかけて新前橋電車区から転入した。
  • 付属編成は基本編成の東京寄りに連結され、12両もしくは15両編成を組成する。各編成の投入列車を以下に示す。
A編成
B編成
  • 特急「踊り子」(運用区間はA編成と同じ)
  • 臨時特急「はまかいじ[7]
  • 「湘南ライナー」
  • 「おはようライナー新宿」
  • 「ホームライナー小田原」
  • ホームライナー鴻巣
  • 「ホームライナー古河」
C編成
251系

251系

  • 10両編成4本の40両が配置されていた。全車両がリニューアル済み。大宮総合車両センター東大宮センターへ転属した。
  • 特急「スーパービュー踊り子」・「ホームライナー小田原」・「おはようライナー新宿」で運用され、2020年に運用終了。

183・189系

  • 6両編成・8両編成各1本・10両編成2本の計34両が配置されていた。いずれも普通車のみで組成される。大宮総合車両センター東大宮センターへ転属した。
  • 1975年から1976年にかけて157系の置き換え用としてグリーン車7両を含む35両が新製配置され、特急「あまぎ」・「白根」に投入された。その後下記のクロ157-1の牽引車の役目も加わったほか、「あまぎ」が「踊り子」に統合された後も引き続き投入されていたが、1985年3月に「あずさ」増発用として長野運転所へ転出した。
  • 2003年春に波動用の165・167系の置き換え用として転入したが、このうちクハ183-1023は長野→松本へ移動した後再び復帰した出戻り車である。
  • 同時期に4両編成1本(H41編成)も転入したが、2007年に廃車された。
  • 全編成(H61・H81・H101・H102編成)とも甲信越地区や修学旅行臨でのPs区間入線に対応してATS-Psを搭載する。なお、全編成に鉄道唱歌オルゴールが搭載されていたがすべて撤去され、車内チャイムは搭載されていない。
  • 主に「ホリデー快速河口湖」「ムーンライトながら」などの臨時列車団体専用列車で使用された。
E233系3000番台

E233系3000番台

  • 10両基本編成14本(NT1 - NT14編成)と、5両付属編成14本(NT51 - NT64編成)の計210両が配置されていた。国府津車両センターへ転属した。
  • 付属編成は基本編成の東京方に連結され、最大15両編成で運転される。
  • 211系の置き換えを目的として、2011年から2012年にかけて新製された。
  • 基本編成は当初から国府津車両センターに配置の編成とは異なり、6号車にも洋式トイレを設置している。
  • 上野東京ライン開通後、国府津車両センターと小山車両センターのE231・E233系が湘南新宿ライン含め共通で使われている。
215系

215系

  • 10両編成4本の40両が配置されていた。国府津車両センターへ転属した。
  • 「湘南ライナー」・「ホームライナー小田原」・「おはようライナー新宿」・「ホリデー快速ビューやまなし」で運用され、2021年に運用終了。
  • 以前は快速「アクティー」や湘南新宿ラインでも使用されていた。
211系

211系

1両のみ在籍し続けたクロ157-1

157系

  • 157系は当センターのみの配置で、1976年2月までは「あまぎ」・「白根」に使用する一般営業用車両も配置されていたが、その後は貴賓車クロ157-1と牽引用4両の計5両の配置となり、1980年以降はクロ157-1の1両のみとなった。
  • 現車は東京総合車両センター内の御料車庫に保管されているが、1993年以降使用されていない。
  • 東京総合車両センターへ転出した。

過去の配置車両

  • クモヤ145形
    • 牽引車。クモヤ145-114が配置されていたが、2013年3月に廃車された。

今後の予定

旧東京機関区付近の解体現場

2015年3月14日、JR東日本では東京駅と上野駅の間の東北本線列車線中距離電車用線路)を復活させた上野東京ラインを開業、東海道本線の電車を尾久車両センター大宮総合車両センター東大宮センター小山車両センター高崎車両センター籠原派出所などに退避させることが可能になった。このため、着工前から、開業後に当センターの規模を縮小し、品川地区車両基地全体で10 - 15haの用地を生み出す構想が存在しており[9]、先行して旧東京機関区近辺では、一部施設について既に取り壊されている。

また、JR東日本が筆頭株主で多くの電気工事を受注している日本電設工業の2011年3月期第2四半期決算説明会の資料によれば、田町 - 品川間において品川車両基地の西側を大規模事業用地に整地し、山手線京浜東北線東海道線(上り)の線路を整地したエリアの東側に移設した上で、移設区間の泉岳寺駅近辺に新駅を設ける計画とされているが、後にサイト上の資料が差し替えられ、上記について説明したページが削除された[10][9]

2012年1月4日・5日には山手線京浜東北線の新駅設置計画が各マスコミで報じられた[11]。後にJR東日本も新駅計画を発表した。2018年12月4日、新駅の名称が「高輪ゲートウェイ駅」に正式決定し[12]、2020年3月14日に開業した[13]。2025年に、JR東日本が手がける大規模再開発地区「TAKANAWA GATEWAY CITY(高輪ゲートウェイシティ)」が高輪ゲートウェイ駅前に先行開業した。

高輪橋架道橋

高輪橋架道橋
(2019年1月25日撮影)
閉鎖された架道橋入口
(2020年4月14日撮影)

敷地内の芝浦四丁目と港南一丁目の境界を区道(東行き一方通行)が通っている。これをまたぐガードの高輪橋架道橋(たかなわきょうかどうきょう、北緯35度38分19.8秒 東経139度44分27.2秒[14]は高さ制限が1.5mという極端な低さである。また、ガードから本センターに通じる通路が2カ所あり、西側の1カ所は長らく鉄板でふさがれており警告板のみ残っていたが[15]2018年に新たに扉が設置され、警告板も取り替えられた。東側は「閉鎖 品川運転所長」の札がぶら下がっているのみで原形をとどめている。

東京無線など都内を走るタクシーの一部は、屋根上の社名表示灯(行灯)を通行の支障とならないように対応させた「高輪橋架道橋特別仕様」が存在していた[16]。なお2022年現在の新車事情に「全高1.5m未満」を厳格に適用するとロールーフ車に分類されるダイハツ・ミライーストヨタ・ヤリススズキ・アルトですらクリアできず、なんとかクリアできるトヨタ・カローラアクシオですら5cmもないほど厳しい数値となっている。最新のタクシー専用車であるジャパンタクシーNV200タクシーは車高の関係で通過できず、それどころかトヨタ・コンフォート(行灯無しで全高1.5mを超える)も規制値とカタログスペックのみで論じるなら通過できないこととなる。

トヨタ・86の2016年後期型では、全高の低さ(1,320mm)を視覚的にアピールするため、カタログ内にて当架道橋下の区道を走行するシーンが写されていた。

また、車高の高い自動車カーナビでこちらに誘導されたり、また、自車の車高を把握していない一般ドライバーが誤って進入したために自車の屋根を損傷させたり、そこまで至らぬもののガード直前で通れないとわかってバックで戻ったりする光景が時々見られる。実際、邦画『メッセンジャー』のクライマックスシーンでも客の要望から不安を抱えながらも渋々強行突破したコンフォートが行灯を破損させてしまい、さらにはそのために後続車が追突事故を起こしてしまうというシーンがある。

元々この道路は運河へと続く水路だったが、大正時代にこれを埋め立てて道路が作られた。

2008年には、TBSのバラエティ番組『リンカーン』の1コーナーで「品川オブジアース」と愛称を付けられたことから一般への認知が一気に広まった。

2020年(令和2年)4月12日 - 2032年(令和14年)3月まで(予定)、高輪ゲートウェイ駅を中核とした周辺地区の「グローバルゲートウェイ品川」開発に伴い車道が閉鎖され(当面は歩行者と自転車の押し歩き通行は可)[17]、対面通行化など幅員拡幅も計画されている[18]

ウィキメディア・コモンズには、高輪橋架道橋に関するカテゴリがあります。

脚注

  1. ^ a b 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1990年10月号「名門田町電車区 東京の夏空の下」p.47。
  2. ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '99年版』ジェー・アール・アール、1999年7月1日、183頁。ISBN 4-88283-120-1 
  3. ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '05年版』ジェー・アール・アール、2005年7月1日、182頁。 ISBN 4-88283-126-0 
  4. ^ a b 鉄道ファン2012年7月号「JR車両ファイル2012;JR東日本」p.36
  5. ^ “田町の車両基地移設が完了、山手線新駅いよいよ”. ケンプラッツ (日経BP社). (2013年11月25日). http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20131116/640429/ 2013年12月1日閲覧。 
  6. ^ 交通新聞社『JR電車編成表2013夏』
  7. ^ 京浜東北線根岸線ATC区間に入線するため搭載改造を施工したB3 - B5編成が限定投入される。
  8. ^ 2012年4月1日現在
  9. ^ a b 「山手線に新駅ができる本当の理由」市川宏雄、メディアファクトリー、p.17
  10. ^ 日本電設工業2011年3月期第2四半期決算説明会資料 (PDF) P.20
  11. ^ 「山手線に新駅ができる本当の理由」市川宏雄、メディアファクトリー、p.16
  12. ^ 田町〜品川駅間の新駅の駅名決定について” (PDF). 東日本旅客鉄道株式会社 (2018年12月4日). 2018年12月4日閲覧。
  13. ^ 品川開発プロジェクトにおける品川新駅(仮称)の概要について” (PDF). 東日本旅客鉄道株式会社 (2016年9月6日). 2016年10月25日閲覧。
  14. ^ 泉岳寺ガード、もしくは高輪ガードとも呼ばれている。
  15. ^ 警告板は2つあったが、1つは撤去されるまで半壊状態のまま放置されていた。いずれも品川駅長名義。
  16. ^ 東京無線の場合、通常の行灯は三角なのに対し、特別仕様は頂上部を数cm削った台形とされていた。ただし、近年は通常行灯のサイズ変更等により必ずしも当てはまらなくなっている。
  17. ^ 高輪橋架道橋下区道の車両通行止めについて”. 港区 (2020年3月11日). 2020年4月14日閲覧。
  18. ^ 品川駅北周辺地区まちづくりガイドライン (PDF) - 東京都都市整備局

参考文献

  • 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1990年10月号「名門田町電車区 東京の夏空の下」

関連項目


田町電車区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:25 UTC 版)

国鉄165系電車」の記事における「田町電車区」の解説

東北本線黒磯以南日光線および「湘南日光」の定期運用充当車とは別に1963年新製後は新前橋電車区配置となった165系4両編成x5本は、三鷹電車区への転属経て1964年10月1日付で転入し定期運用持たない波動輸送対応とされた。 ただし、1967年6月17日付でモハ165-5+モハ164-805・クハ165-11は小山電車区(現・小山車両センター)との間でクモハ165-113+モハ164-843+クハ165-146と車両交換実施したが、1968年9月25日付で田町区へ復帰小山からの転入車中央東線増発用として松本運転所転出した。 また田町区には「ごてんば充当3両編成x2本と湘南急行組込用サロ165形定期運用充当ならびに167系4両編成x4本が配置されていたが、167系修学旅行列車廃止により1975年下関運転所から4両編成x5本が転入。これにより167系4両編成x9本計36両を波動輸送対応編成転用165系波動輸送対応編成定期運用充当用として神領電車区転出した。 田町電車区波動輸送運用対応車(1964年 - 1975年) ← 名古屋上野日光東京黒磯水上) → 製造クハ165モハ164モハ165クハ165転配1963年3月 川車 2 801 1 3 新前橋電車区 新製配置1964年4 - 5三鷹電車区転出1964年10月1日付 田町電車区転入1975年1月 神領電車区転出 4 802 2 5 6 803 3 7 1963年3月 汽車 8 804 4 9 10 805511 備考 車両番号太字書体車:詳細は#小山電車区参照 冷房化改造神領転出後の1975年 - 1977年長野工場施工 H11編成 湘南色クハ165-3 H14編成 アコモ改善クハ167-8角型ヘッドライド改造施工車 H16編成 アコモ改善クハ167-12 アコモ改善車内 H17編成 メルヘンクハ167-9改造直後メルヘン塗装 角型ヘッドライド改造施工後パノラマエクスプレス塗装 メルヘン車内 H19編成 湘南色クハ167-17角型ヘッドライド改造施工167系編成番号波動輸送対応を示すアルファベット記号Hと組成され電動車ユニット車両番号+10付番され、1978年以降冷房化改造施工されたが電源MGクハ167形偶数向き東海道本線神戸向き)車のみに搭載されたほか、さらにクハ167形一部車両前灯シールドビーム化施工。また湘南色への塗装変更折り畳み式テーブルなどの修学旅行設備撤去実施した1980年10月1日ダイヤ改正4両編成x1本を「ごてんば」に充当する定期運用担当したが、1985年3月15日ダイヤ改正で「ごてんば廃止に伴い終了以後波動用として運用された。 ただしクハ167-2事故のため1984年廃車となり、代車として神領電車区からクハ165-3が転入した分割民営化後全車車体更新工事を、全制御車前面強化工事ならびに前灯シールドビームもしくは角形タイプへの改造・ATS-P搭載モハ166形パンタグラフをPS21形へ交換など施工したほか、H19編成除きクハ165-3・クハ167形偶数向き車・モハ167形トイレ洗面所水タンク撤去さらには残存し洗面所の窓を撤去するなど編成によって特化した改造長野新津大宮大井の各工場施工しており、以下の4タイプ分類された。 H11編成 一般車 湘南色事故廃車となったクハ167-2代りクハ165-3を組成する前面強化1989年長野工場施工し車体更新工事ではトイレならびに洗面所半数ならびに洗面所撤去以外は原型外観留め編成である。 客席通常のボックスシートであることから後述するH19編成と共に8両編成組成して主に神奈川県内 - 日光方面修学旅行列車東京 - 大夜行普通列車臨時増発充当された。 H12 - 16編成 アコモデーション改善車 後述するH17・18編成の「メルヘン」用改造好評であったことから、1989年7月から改造された。改造内容は、座席余剰となったR51系簡易リクライニングシート換装し、定員先頭車60名・中間車64名へ変更。またトイレ洗面所リニューアル施工したほか、塗装クリーム10号地に・赤・黄緑帯の通称田町色に変更した改造当初は「JR東日本ジョイフルトレイン」と表記したヘッドマーク先頭車前面掲出臨時快速列車中心に成田初詣臨時などにも充当されたほか、H15編成非電化区間である小海線DD16形ディーゼル機関車牽引推進乗入れる葉ッピーきよさと充当可能編成で本改造同時に対応工事施工。 H14編成クハ167-8のみ角型ヘッドライトへの改造施工H17・18編成 メルヘン車 1988年12月京葉線暫定開業合わせ設定され大宮立川 - 舞浜間を武蔵野線経由運転する東京ディズニーランド向け臨時快速メルヘン」用に改造され編成改造内容は、地に青緑1号と青9号ブロックパターンとしたメルヘン色と称する専用塗装施し座席グリーン車R27リクライニングシート交換し定員先頭車44名・中間車48名へ変更1991年2月ならびに6月車体更新同時に塗装をアコモ改善車と同様の田町色に変更角形ライト化・荷物置き場となった箇所の側窓閉塞同時施工された。 1993年4月 - 6月山梨デスティネーションキャンペーン一環として運転され臨時急行「しんせん・やまなし」でパノラマエクスプレスアルプス併結運用されることから同塗装変更された。 H19編成 一般・角形ヘッドライト改造施工車 H11編成同様に湘南色であるが、1991年車体更新工事時にクハ167形角形ヘッドライトならびにATS-P搭載施工し客席ボックスシートのままバケットタイプに交換した上述した波動輸送臨時列車のほかに「ホリデー快速むさしの」「ホリデー快速ピクニック」「ホリデー快速河口湖」などの準定期とも呼べ運用存在した快速運用はアコモ改善車・メルヘン車が主に充当され一方で臨時大垣夜行には例外的に数回充当され程度である。これは臨時大垣夜行ならびに修学旅行列車運用ではアコモデーションより着座定員優先されたためでボックスシートのH11・H19編成充当が主とされた。 首都圏中心運用であったが、北長野運転所所属165169系4両編成1991年夏期臨時列車運用で、新宿小海葉ッピーきよさと」と軽井沢能生海水浴臨時快速「かもめビーチ」が同時運転となり、車両不足したためアコモ改善車H15編成貸し出された。このため北陸本線(現・えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインならびに快速「みすず」で飯田線への入線実績がある。 2003年春期臨時大垣夜行での運用最後に同年5月から9月にかけて老朽化のため同年内に全車廃車となった。 田町電車区H11 - H19編成一覧大垣 東京編成別形態編成番号クハ167モハ166モハ167クハ167タイプ塗装座席前灯更新工場H11 5-3 1 一般 湘南 BOX長野 H12 4 2 3 アコモ改善 田町 R51簡リク 新津 H13 5 3 6 大宮 H14 7 4 8 7丸・8角 大井 H15 15 5 16 丸 H16 11 6 12 H17 9 7 10 メルヘン パノラマEXP R27リク 角 H18 13 8 14 H19 17 9 18 一般 湘南 BOX

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