夜行普通列車
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2000年9月30日まで大阪地区(天王寺駅、のちに新大阪駅)と新宮駅を結ぶ夜行普通(のちに快速)列車が運行されており、本節ではこの夜行普通列車を主体に述べる。なお、国鉄時代は大阪側・名古屋側双方を発着する準急(のちに急行)の夜行列車もあった。それぞれの沿革は「大阪対南紀直通優等列車沿革」・「紀勢本線新宮駅以東優等列車沿革」を参照。 1959年の紀勢本線の全通前から天王寺駅発着の夜行列車はあり、紀勢本線の全通により天王寺駅 - 名古屋駅間通しで運行される夜行普通列車となった。1972年までは南海電気鉄道も専用客車サハ4801形を保有し、和歌山駅で天王寺駅発着の列車に連結・解放していた。なお、1984年から新宮駅発着に、1986年から天王寺駅発のみの片道に、1990年から種別が快速列車となり、始発駅も新大阪駅に変更された。 1984年1月31日まで寝台車を新宮駅 - 天王寺駅間で連結しており、1974年の指定席発券システム拡充による寝台券発売開始に伴い、「南紀」(のちに「はやたま」)の列車愛称が与えられたが、寝台車連結を終了後は公式の愛称はなくなった。しかし、この列車は沿線で朝釣りをする人達によく利用されていたことから太公望列車とも呼ばれていた。これの増発として臨時快速列車も設定されており、これには指定席が設定されていた兼ね合いで「いそつり」(のちに「きのくに」)の愛称が与えられていた。 その後、1999年10月2日の改正で新大阪発紀伊田辺行きとなり、紀伊田辺駅から新宮駅までは臨時列車として延長運転されていたが、2000年9月30日をもって延長運転は廃止された。この列車は、紀勢本線内は和歌山駅 → 御坊駅間の各駅に停車、御坊駅からは快速運転を行い、印南駅・南部駅に停車していた。2010年3月13日の改正で新大阪発御坊行きとなったことで、紀勢本線内は単なる普通列車となった。
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夜行普通列車
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道路が十分に整備されておらず、鉄道以外の公共交通機関が未発達だったころは鉄道が中・長距離輸送の主力であった。また深夜の時間帯でも一定の旅客需要があったことから、主要幹線では夜行普通列車も数多く運転されていた。 また、都市間連絡の利用に対応するために寝台車が連結されていた列車もあり、マルスシステムで寝台券を発券が可能になった1974年(昭和49年)に「ながさき」「はやたま」「山陰」「からまつ」などのように列車愛称が付けられていた列車もあった。 夜行普通列車は全区間通しあるいは一部区間のみで乗車する場合もあったほか、同じ区間を並行する特急・急行・寝台列車などを末端部分で補完するような場合もあった。特に速達列車が停車しない駅に早朝に到着したい場合などに、速達列車からの乗り換えなどにより対応していた。 大部分が国鉄時代に廃止されたが、JR化後も残った列車(JR北海道のミッドナイトなど)もあり、「ムーンライト」などの夜行快速列車などに受け継がれることになる。
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