大阪側発着夜行普通列車の年譜
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「紀勢本線」の記事における「大阪側発着夜行普通列車の年譜」の解説
「くろしお (列車)#大阪対南紀直通優等列車沿革」および「きのくに_(列車)#国鉄・南海直通優等列車沿革」も参照 1959年(昭和34年)7月15日の紀勢本線全通直前:当時の紀勢西線には、夜行普通列車が運行されていた。この時点では、天王寺発新宮行、天王寺・南海本線難波発新宮行、新鹿発天王寺・南海難波行(ただし難波行の客車は新宮駅から連結)の3本が運行されていた。 1959年(昭和34年)7月15日:紀勢本線の全通により、名古屋駅 - 天王寺駅間通しで運行される夜行普通列車が上下とも設定される。上下とも新宮駅 - 東和歌山駅(現・和歌山駅)間で南海難波駅発着の客車を併結する。また従来の天王寺発新宮行夜行列車のうち1本は準急「はやたま」となる。 1961年(昭和36年)3月1日:名古屋発天王寺・南海難波行が新宮駅で系統分割され、同時に南海難波行の併結が廃止される。新宮発天王寺行の夜行普通列車は気動車による運行となる。なお天王寺・南海難波発名古屋行は従来通り客車で直通運行。 1966年(昭和41年)頃:新宮発天王寺行の夜行普通列車が名古屋発となり、再び客車での運行に変更される。 1968年(昭和43年):上下列車とも新宮駅 - 天王寺駅間で二等寝台車(のちのB寝台車)が連結される。 1972年(昭和47年)3月15日:ダイヤ改正(1972年3月15日国鉄ダイヤ改正)により、南海難波駅始発の客車が廃止される。和歌山市駅始発の運転(和歌山で名古屋行きに併結)は継続。 1974年(昭和49年):指定席発券システム拡充による寝台券発売開始に伴い、寝台車を連結した夜行普通列車に「南紀」の名称が与えられる。 1978年(昭和53年)10月2日:「南紀」の列車名を名古屋駅 - 紀伊勝浦駅間の特急列車の名称に使用するため、夜行普通列車の名称が「はやたま」に変更。 1982年(昭和57年)5月17日:「はやたま」の運転区間が名古屋駅 - 天王寺駅から亀山駅 - 天王寺駅に短縮。 1984年(昭和59年)2月1日:寝台車の連結廃止。これに伴い、「はやたま」の名称使用も終了する。また、運転区間も天王寺駅 - 新宮駅間に変更される。座席車は旧形客車から12系客車に変更。 1986年(昭和61年)11月1日:夜行列車の新宮発列車の運転を終了し天王寺発のみの片道列車となる。またこの時点で客車による運行から急行形電車165系による運行となる。 1990年(平成2年)3月10日:夜行列車の始発駅が新大阪駅に変更され、列車種別を普通から快速に変更。それまでは天王寺駅から和歌山駅まで無停車運行であったものを阪和線内で快速停車駅に停車することになり、ホーム上での案内も普通列車ではなく「快速・新宮行き」として案内されるようになった。 1999年(平成11年)10月2日:定期列車としての新大阪発新宮行き普通夜行列車の運転終了。列車自体はすでに紀伊田辺駅までの最終列車であったため、新大阪駅 → 紀伊田辺駅間は存続。臨時列車として紀伊田辺駅 → 新宮駅間で延長運転される。 2000年(平成12年)10月1日:紀伊田辺駅 → 新宮駅間の延長運転が廃止され、臨時列車としての"太公望列車"も廃止。 2002年(平成14年)3月23日:この日未明の紀伊田辺駅到着分をもって165系での運行を終了、同日に新大阪を出発する列車から221系による運行となる。 2010年(平成22年)3月13日:御坊駅から紀伊田辺駅までの運転を取りやめ、御坊駅までに運転区間を短縮。終着駅到着が最も遅い列車ではなくなる。 以後の運行状況は「#阪和線との直通運転」を参照。
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