大阪分祠の神仏習合と修験道との関わりとは? わかりやすく解説

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大阪分祠の神仏習合と修験道との関わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/22 03:19 UTC 版)

出雲大社大阪分祠」の記事における「大阪分祠の神仏習合と修験道との関わり」の解説

初代教主・亀治の祖父吉村利吉は、13歳から大峰山に登拝し、後に大阪末廣講を組織し先達となった人物で、洞川龍泉寺真言宗醍醐派当山派修験)の住職の位を有しており、父の龍蔵講元務めた先達で、副住職の位を有していた。教主・亀治の命名も、利吉の夢枕役行者が立ち、で「亀治」と書いたことに基づく。 また、現在の大阪府池田市五月山にある愛宕神社との関わり重要な意味を持っているちなみに、この地の愛宕神社には、当時祭神として火之迦倶神・武神が祀られ摂社には大国主命不動明王歓喜天役行者祭神として祀られていた。 昭和10年ごろ、地域青年団箕面山ハイキングに出かけたとき、教主が道に迷い五月山出てしまったついでに愛宕神社詣でた際に、愛宕神社当時預かっていた内海敏勝に「火之迦倶大神様がお前を呼び寄せられたのだ。お前は火之迦倶大神さんや」「この御剣持って、わしの後を継いで河内の地で教え広めて欲しい」との依頼受けて以来、神の道に入るため、この地へ通うことになり、終戦軍隊生活終えると同時に復員時には既に内海他界していたので、その妻から御剣受け継ぎ河内初芝の地で開教することとなる。なお、この御剣とは、内海夫妻石上神宮ノ尾の滝で修行し満願の際に神宮より賜った二振の一つである。 ちなみに愛宕神社は、神仏分離以前愛宕権現愛宕修験神社であったが、神仏分離以降は、全国愛宕社多くが、若宮愛宕山太郎坊大権現)に祭られていた火之迦倶神を初めとする神々祀る神道愛宕神社となっている。 敗戦機に神道十三派限られていた宗教団体も「信教の自由」から、いかなる宗教法人設立可能になったわけだが、愛宕大権現河内分社は、そのまま宗教法人化することなく新たに出雲大社大阪分祠となった池田五月山愛宕神社の麓にあった出雲大社教池田教会神道作法学んだ縁もあり、そこが出雲大社教本庁との仲立ちをした訳だが、出雲大社大阪分祠となった経緯について、吉村亀治・初代教主は「(火之迦倶神の神徳で)悪因縁を切るだけでは人助けは十分ではない。悪因縁切った後に(大國主大神のご神徳で)よい縁を結んでこそ救いは完全なものになる」からだと語っている とはいえ出雲大社教参入した後も祭神は火之迦倶神であることには変わりはなく、大國主大神加わって、主要祭神二つになったという形が、大阪分祠特徴であり、また、地域実情合わせたバリエーション認め出雲大社教特徴であるとも言える京都女子大名誉教授丞は「われわれにとって真実宗教は何故神道なければならないか。そして、その神道は何故習神道なければならず、出雲大社大阪分祠であるのか。そして、その習合神道真言密教との習合神道なのか。このような問題深く深く追究自覚することは、われわれ信徒努めなければならない」と述べている。 例えば、大阪分祠お守りを例に取ると、これは出雲大社の「肌守」とされているものと、大阪分祠の火之迦倶神のお守りで、中臣祓般若心経二つ小紙サンドイッチしたもの守り袋入れられたものであり、本社や他分祠では授与されていない独自のものである。大祓穢れ祓うということ重きを置いているということは、本来は清浄であるものが穢れているのだから、それを祓うことによって清浄たり得るということである。一方で般若心経いわゆる中観派仏教教えである「空」思想表現している訳だが、諸法皆空であれば穢れた凡夫も本来は「自性清浄」なのだから仏教修行によって清浄たり得るということになる。すなわち菩提心種子可能性宿しているということになる。つまり、この両者は、仏教で言う「如来蔵思想」を共に肯定して繋がっていることになる訳で、極めて単純化すれば、同じ理想追究していることになり、この独自のお守り出雲大社大阪分祠神仏習合思想精髄を表す、いわば物的証拠一つとなっている。 現在も、昭和48年設立された吉峯講という大阪分祠行者講があり、大峯山に登拝している。 平成7年3月に新祖霊社完成した折、旧祖霊社用途話し合われ愛宕神社では本殿に火之迦倶神が祀られ境内末社不動明王祀られていることに倣い、旧祖霊社不動明王祭祀することに決し、同5月修験道古式則り分祠長以下吉峯講講員参加のもと、開眼供養が行われ、金剛不動明王社が開創された。開眼式で、分祠長は「祖霊社に鎮まられますご先祖様霊魂は、不動明王様の霊魂清浄にするお力によりお清めいただき早く神の位についていただく」と述べており、こうして火生三昧住する不動明王火の神・火之迦倶神を合わせ祀り、火による浄化という点で神仏習合している。 春秋例大祭翌日行われる柴灯護摩には山伏参加し、現分祠長自ら護摩木護摩壇投げ入れる通常人形を流す事が多い夏越祓の際にも柴灯護摩が行われ、火でも祓いが行われている。

※この「大阪分祠の神仏習合と修験道との関わり」の解説は、「出雲大社大阪分祠」の解説の一部です。
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