大阪住之江競輪場誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 15:43 UTC 版)
翌月の12月、小倉にわずかに遅れて大阪府営競輪場(住之江競輪場)が誕生した。同競輪場は開場まもない頃から大盛況となったが、横田はそこをホームグラウンドとし、徹底先行選手として大活躍した。 加えて翌1949年6月に、全国規模の大会が早くも行われることが決まった。全国争覇競輪(現 日本選手権競輪)である。しかも栄えある第一回の開催地は住之江に決まった。 既に当時32歳で、自転車競技選手としては全盛期をとうに過ぎていた横田であったが、何としても地元大阪で行われる以上、選手生活の最後をかけるつもりで絶対に優勝あるのみと誓って挑んだ。
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