東海道新幹線開通までとは? わかりやすく解説

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東海道新幹線開通まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 04:22 UTC 版)

国鉄153系電車」の記事における「東海道新幹線開通まで」の解説

東海道本線優等列車沿革山陽本線優等列車沿革近鉄特急史#近鉄線並行する国鉄JR線優等列車東海 (列車)踊り子 (列車)マリンライナー#四国連絡列車沿革参照のこと。 準急東海」「比叡」と湘南準急東京 - 熱海伊東・修善寺)に投入されていた80系電車置換え用として、それぞれの充当車両大垣電車区(現・大垣車両区)・宮原電車区(現・網干総合車両所宮原支所)・田町電車区(→田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)に配置1958年11月から運用開始する予定であったが、所要車両落成が間に合わず初日本系列で運転が開始されたのは「東海」1往復のみで、置換え計画は以下の要領進んだこの為、こだま型20系151系)の華々しいデビューとは逆にひっそりとした登場となり、宮原区に投入される車両大垣区に貸渡すなどの処置がとられている。 準急東海1958年11月開始 1959年4月完了 準急比叡」・湘南準急 1959年4月開始 同年6月完了 当初は以下の編成組成された。 「東海」「比叡編成東海」(担当大垣電車区) ← 大垣名古屋 東京クハ153 モハ152 モハ153 サロ153 サロ153 モハ152 モハ153 クハ153 サハ153 モハ152 モハ153 クハ153比叡」(担当宮原電車区) ← 神戸・大名古屋クハ153 モハ152 モハ153 サロ153 モハ152 モハ153 サハ153 モハ152 モハ153 クハ153 田町電車区編成修善寺伊東 東京クハ153 モハ152 モハ153 サロ153 サロ153 モハ152 モハ153 モハ152 モハ153 クハ153 + クハ153 サハ153 モハ152 モハ153 クハ153 基本編成 付属編成 付属編成は右のサロ153形編成場合もある クハ153 サロ153 モハ152 モハ153 クハ153 1959年9月ダイヤ改正で以下の変更実施。 「東海」「比叡」の姉妹列車として全車指定席の「新東海」「伊吹」にも投入田町編成使用した東京 - 浜松間の「はまな」が運転開始1960年昭和35年6月ダイヤ改正では以下の変更実施国鉄初の定期電車急行列車として東京 - 大阪間の急行「せっつ」に10両編成投入して運行開始当初田町電車区湘南準急編成使用した大垣電車区修学旅行159系電車サロ153形組み込んだ不定期準急「ながら」を設定。 「ながら」は159系が本来の使用目的がない時期のみの運転とされ、運用の関係で「東海」に投入されることもあった。 「せっつ」「比叡」の間合い運用名古屋 - 沼津間に「するが」を新設このため「するが」に充当する153系編成大垣電車区編成ではなく田町電車区編成による広域運用となる。 1960年から1961年にかけては、本系列に最初大きな変化があった時期で、宇野線電化完成した同年10月からは大阪 - 宇野間の四国連絡準急鷲羽」にも投入された。 宇野線変電所容量問題から電動車3ユニットによる運転が不可能であるため、4M6Tの特殊編成組成された。 1961年3月にはサロ152形・サハシ153形落成したために「せっつ」の編成変更と共に以下の変更実施された。 「せっつ」を宮原電車区移管し、共通運用で東京 - 大阪間の客車急行「なにわ」と新設され夜行急行金星」に投入名古屋 - 沼津間の「するが」を田町電車区編成から宮原電車区編成による運用(「鷲羽」用編成。その送り込み運用である「比叡」「伊吹」の一部と「鷲羽」と共通化の上広域運用対処)となる。 車両落成待って同年7月からは80系電車運転されていた東京 - 姫路間の急行「はりま」にも投入東海道本線急行編成姫路大阪 東京クハ153 モハ152 モハ153 サハシ153 サロ152 サロ152 サハシ153 モハ152 モハ153 モハ152 モハ153 クハ153鷲羽」「するが」専用編成宇野大阪・名古屋 大阪・名古屋沼津クハ153 モハ152 モハ153 サロ153 サハ153 サハ153 サハ153 モハ152 モハ153 クハ153 さらに同年5月6日から東海道本線系統以外での営業運転として、田町電車区所属車から4両編成組成して上野 - 水上間の準急上越いでゆ」が運転開始された。 同列車は土・日のみの運転で、上野 - 渋川間は80系電車4両編成長野原(現・長野原草津口発着編成併結本系列は電磁直通ブレーキ機能停止して全編自動ブレーキのみとし、両系列間には特殊ジャンパ連結器使用し運転された。 6月30日の運転からは、長野原編成も本系列4両編成となったが、当時長野原線(現・吾妻線)は非電化区間であったためC11形蒸気機関車+控車電源車オハユニ71形牽引され運転された。 同年10月ダイヤ改正で以下の変更実施急行 「せっつ」「なにわ」「はりま」に加え東京 - 大阪間で「いこま」「よど」「やましろ」「六甲」を設定昼行6往復 夜行4往復(「はりま」を含む)に充当一部運用田町電車区移管したが、1962年4月には再度宮原電車区集約。 「金星」は寝台中心客車列車移行準急 東京 - 名古屋間の特急おおとり新設に伴い新東海」を「東海」に統合。「東海」7往復比叡」8往復増強。 「伊吹」は2往復急行編成、1往復が「鷲羽」用編成の運転に変更大阪 - 三原間の準急「びんご」に「鷲羽」用編成投入して運転開始。 「上越いでゆ」の長野原発着編成を「草津いでゆ」に改称上野 - 長岡間の準急ゆきぐに」1往復田町電車区7両編成投入。 ← 上野 長岡クハ153 モハ152 モハ153 サロ153 モハ152 モハ153 クハ153 同年12月10日からは伊豆急行伊豆急行線開業により、田町所属車が伊豆急下田までの運用拡大乗入れ開始した1962年6月ダイヤ改正では以下の変更実施山陽本線広島電化完成東京 - 広島間「宮島昼行夜行1往復ずつに充当急行形電車使用した定期列車として当時最長距離894.8kmでの運転となった。 「宮島」は、上り列車瀬野 - 八本松間では急勾配対策として補機EF61形+オヤ35控車)が連結されたほか、「やましろ」「第2よど」の区間延長扱いしたため同2列車発展的解消となった。 「上越いでゆ」「草津いでゆ廃止1963年4月には高崎線上越線での運用となる「ゆきぐに」が、落成した165系置換えられた。余剰となった車両から4両編成組成して、同年房総地区ダイヤ中野 - 館山間臨時準急「汐風」に充当させた。 「汐風」の房総西線(現・内房線千葉 - 館山間は非電化区間であったためにDD13形ディーゼル機関車重連+電源車クハ16形牽引による運転となった1963年10月改正では以下の変更実施急行 夜行「第2なにわ」を客車寝台列車化で運用終了準急 宮原電車区準急編成を「鷲羽」用4M6T編成集約するとともに宇野三原方にクモハ165+モハ164形500番台増結ユニット連結した12編成での運転に変更。これにより共通運用である「びんご」や、同じく通運用であるが、広域運用を組む「するが」と「比叡」の一部、および「伊吹」の一部12編成となる。

※この「東海道新幹線開通まで」の解説は、「国鉄153系電車」の解説の一部です。
「東海道新幹線開通まで」を含む「国鉄153系電車」の記事については、「国鉄153系電車」の概要を参照ください。

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