東海道新幹線開通まで
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「国鉄153系電車」の記事における「東海道新幹線開通まで」の解説
東海道本線優等列車沿革・山陽本線優等列車沿革・近鉄特急史#近鉄線と並行する国鉄・JR線の優等列車・東海 (列車)・踊り子 (列車)・マリンライナー#四国連絡列車沿革も参照のこと。 準急「東海」「比叡」と湘南準急(東京 - 熱海・伊東・修善寺)に投入されていた80系電車の置換え用として、それぞれの充当用車両を大垣電車区(現・大垣車両区)・宮原電車区(現・網干総合車両所宮原支所)・田町電車区(→田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)に配置。1958年11月から運用を開始する予定であったが、所要車両の落成が間に合わず初日に本系列で運転が開始されたのは「東海」1往復のみで、置換え計画は以下の要領で進んだ。この為、こだま型20系(151系)の華々しいデビューとは逆にひっそりとした登場となり、宮原区に投入される車両を大垣区に貸渡すなどの処置がとられている。 準急「東海」 1958年11月開始 1959年4月完了 準急「比叡」・湘南準急 1959年4月開始 同年6月完了 当初は以下の編成が組成された。 「東海」「比叡」編成 「東海」(担当:大垣電車区) ← 大垣・名古屋 東京 → クハ153 モハ152 モハ153 サロ153 サロ153 モハ152 モハ153 クハ153 サハ153 モハ152 モハ153 クハ153 「比叡」(担当:宮原電車区) ← 神戸・大阪 名古屋 → クハ153 モハ152 モハ153 サロ153 モハ152 モハ153 サハ153 モハ152 モハ153 クハ153 田町電車区編成 ← 修善寺・伊東 東京 → クハ153 モハ152 モハ153 サロ153 サロ153 モハ152 モハ153 モハ152 モハ153 クハ153 + クハ153 サハ153 モハ152 モハ153 クハ153 基本編成 付属編成 付属編成は右のサロ153形編成の場合もある クハ153 サロ153 モハ152 モハ153 クハ153 1959年9月のダイヤ改正で以下の変更を実施。 「東海」「比叡」の姉妹列車として全車指定席の「新東海」「伊吹」にも投入。 田町区編成を使用した東京 - 浜松間の「はまな」が運転開始。 1960年(昭和35年)6月ダイヤ改正では以下の変更を実施。 国鉄初の定期電車急行列車として東京 - 大阪間の急行「せっつ」に10両編成を投入して運行を開始。当初は田町電車区の湘南準急用編成を使用した。 大垣電車区の修学旅行用159系電車にサロ153形を組み込んだ不定期準急「ながら」を設定。 「ながら」は159系が本来の使用目的がない時期のみの運転とされ、運用の関係で「東海」に投入されることもあった。 「せっつ」「比叡」の間合い運用で名古屋 - 沼津間に「するが」を新設。このため「するが」に充当する153系の編成は大垣電車区の編成ではなく、田町電車区の編成による広域運用となる。 1960年から1961年にかけては、本系列に最初の大きな変化があった時期で、宇野線電化の完成した同年10月からは大阪 - 宇野間の四国連絡準急「鷲羽」にも投入された。 宇野線は変電所容量の問題から電動車3ユニットによる運転が不可能であるため、4M6Tの特殊編成が組成された。 1961年3月にはサロ152形・サハシ153形が落成したために「せっつ」の編成変更と共に以下の変更が実施された。 「せっつ」を宮原電車区に移管し、共通運用で東京 - 大阪間の客車急行「なにわ」と新設された夜行急行「金星」に投入。 名古屋 - 沼津間の「するが」を田町電車区の編成から宮原電車区の編成による運用(「鷲羽」用編成。その送り込み運用である「比叡」「伊吹」の一部と「鷲羽」と共通化の上広域運用で対処)となる。 車両落成を待って、同年7月からは80系電車で運転されていた東京 - 姫路間の急行「はりま」にも投入。 東海道本線急行用編成 ← 姫路・大阪 東京 → クハ153 モハ152 モハ153 サハシ153 サロ152 サロ152 サハシ153 モハ152 モハ153 モハ152 モハ153 クハ153 「鷲羽」「するが」専用編成 ← 宇野・大阪・名古屋 大阪・名古屋・沼津 → クハ153 モハ152 モハ153 サロ153 サハ153 サハ153 サハ153 モハ152 モハ153 クハ153 さらに同年5月6日から東海道本線系統以外での営業運転として、田町電車区所属車から4両編成を組成して上野 - 水上間の準急「上越いでゆ」が運転開始された。 同列車は土・日のみの運転で、上野 - 渋川間は80系電車4両編成の長野原(現・長野原草津口)発着編成を併結。本系列は電磁直通ブレーキ機能を停止して全編成自動ブレーキのみとし、両系列間には特殊ジャンパ連結器を使用し運転された。 6月30日の運転からは、長野原編成も本系列4両編成となったが、当時の長野原線(現・吾妻線)は非電化区間であったためC11形蒸気機関車+控車兼電源車のオハユニ71形に牽引され運転された。 同年10月のダイヤ改正で以下の変更を実施。 急行 「せっつ」「なにわ」「はりま」に加え東京 - 大阪間で「いこま」「よど」「やましろ」「六甲」を設定。昼行6往復 夜行4往復(「はりま」を含む)に充当。 一部の運用を田町電車区に移管したが、1962年4月には再度宮原電車区に集約。 「金星」は寝台中心の客車列車に移行。 準急 東京 - 名古屋間の特急「おおとり」新設に伴い「新東海」を「東海」に統合。「東海」7往復 「比叡」8往復に増強。 「伊吹」は2往復が急行用編成、1往復が「鷲羽」用編成の運転に変更。 大阪 - 三原間の準急「びんご」に「鷲羽」用編成を投入して運転開始。 「上越いでゆ」の長野原発着編成を「草津いでゆ」に改称。 上野 - 長岡間の準急「ゆきぐに」1往復に田町電車区の7両編成を投入。 ← 上野 長岡 → クハ153 モハ152 モハ153 サロ153 モハ152 モハ153 クハ153 同年12月10日からは伊豆急行伊豆急行線開業により、田町所属車が伊豆急下田までの運用拡大と乗入れを開始した。 1962年6月のダイヤ改正では以下の変更を実施。 山陽本線広島電化が完成。東京 - 広島間「宮島」昼行・夜行1往復ずつに充当。急行形電車を使用した定期列車として当時最長距離894.8kmでの運転となった。 「宮島」は、上り列車の瀬野 - 八本松間では急勾配対策として補機のEF61形+オヤ35(控車)が連結されたほか、「やましろ」「第2よど」の区間延長扱いとしたため同2列車は発展的解消となった。 「上越いでゆ」「草津いでゆ」廃止。 1963年4月には高崎線・上越線での運用となる「ゆきぐに」が、落成した165系に置換えられた。余剰となった車両から4両編成を組成して、同年房総地区夏ダイヤで中野 - 館山間臨時準急「汐風」に充当させた。 「汐風」の房総西線(現・内房線)千葉 - 館山間は非電化区間であったためにDD13形ディーゼル機関車重連+電源車クハ16形の牽引による運転となった。 1963年10月改正では以下の変更を実施。 急行 夜行「第2なにわ」を客車寝台列車化で運用終了。 準急 宮原電車区の準急編成を「鷲羽」用4M6T編成に集約するとともに宇野・三原方にクモハ165+モハ164形500番台の増結ユニットを連結した12両編成での運転に変更。これにより共通運用である「びんご」や、同じく共通運用であるが、広域運用を組む「するが」と「比叡」の一部、および「伊吹」の一部も12両編成となる。
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