東海道新幹線特急「こだま」
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「こだま (列車)」の記事における「東海道新幹線特急「こだま」」の解説
1964年10月1日時点の編成図こだま ← 新大阪 東京 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 二 二 二 二 B二 二 一 一 B二 二 二 二 記号凡例 B=ビュフェ 一=一等車指定席 二=二等車指定席 1964年(昭和39年)10月1日:在来線の特急の名称を引き継ぎ、東京 - 新大阪間の各駅に停車する列車として運行を開始。ただし「ひかり」が「超特急」として割高な「超特急料金」を徴収したのに対し、「こだま」は「特急」として運行された。もちろん「ひかり」よりは遅いものの、東京 - 新大阪間を5時間で結んだ。ともに全車座席指定席を採用。新幹線列車の名称としては在来線特急「こだま」を引き継ぐものという意味のほかに、超特急を「ひかり」とすることで「光速」と「音速」という速さの対比を付けたとされる。 12月18日:二等車に自由席が設定される。当時は1列車の座席定員の120%程度までで発行を打ち切っており、現在の立席特急券に近いものとなっている。 1965年(昭和40年)5月12日:二等車と同様の発券方式を採用して、一等車に自由席を設定。11月1日:路盤の安定により「ひかり」とともにスピードアップし、東京 - 新大阪間を4時間に短縮。以後、新駅開業による停車時間増や車両交代による速度向上を経つつ、同区間の所要時間は4時間強程度で推移する。 1966年(昭和41年)7月 - 11月:一等車の利用率が低いため、2両のうちの1両を二等車に置き換え。 1969年(昭和44年):「こだま」のビュフェの利用率が低いのと、普通車(1969年5月10日に二等車を普通車に変更)の輸送力を増強するため、2両のうち1両を売店付き普通車に7月以降順次置き換え。 1970年(昭和45年)3 - 9月:この時期に開催された日本万国博覧会に伴い、例外的な輸送が実施された(大阪万博の交通も参照)。ゴールデンウイーク期間中と夏期に、東海道本線上りの大阪 - 三島間を運行する臨時夜行急行列車として、「エキスポこだま」が運行された。この列車は三島駅で、同駅始発の東京行き臨時列車「こだま」492号に接続して、東京近郊の東海道本線の通勤輸送に支障を与えることなく東京方面への連絡を図る目的があった。 10月1日:万博輸送終了により、グリーン車の自由席が廃止。
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