南方熊楠 人物

南方熊楠

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人物

南方熊楠と一番弟子の小畔四郎。(大正4年)
  • 奇行が多かったことで知られる。異常な癇癪持ちであり、一度怒り出すと手がつけられないほど凶暴になると、両親など周囲の人々は熊楠の子供時代から頭を抱えていた。熊楠も自分のそういった気性を自覚しており、自分が生物学などの学問に打ち込むことは、それに熱中してそうした気性を落ち着かせるためにやるものだと、柳田國男宛の書簡で書いている。
  • 多汗症から、薄着あるいは裸で過ごすことが多かった。田辺の山中で採集を行った際、ふんどしだけの裸で山を駆け下り、農村の娘たちを驚かせたために「てんぎゃん」(紀州方言天狗のこと)と呼ばれたという話も残る。
    • 裸になるのは6月頃から9月半ばまでだった。裸は裸でも普通の人とは違い、盛夏には邪魔になるものは全部取り除け、一糸まとわぬ、それこそ生まれたままの姿になった[34]
  • 渡米の前に「僕もこれから勉強をつんで、洋行すましたそのあとは、降るアメリカをあとに見て、晴るる日の本立ち帰り、一大事業をなしたのち、天下の男といわれたい」という決意の都々逸を残している。この留学は徴兵で子供を失うことを危惧していた父と、徴兵による画一的な指導を嫌った熊楠との間で利害の一致を見たために実現したと考えられている。
  • 幼少のころは興味のない科目には全く目を向けず散漫な態度を教師に叱られ、大学時代も勉学に打ち込む同級生を傍目に「こんなことで一度だけの命を賭けるのは馬鹿馬鹿しい」と大学教育に見切りをつける。
  • 好きであったことで有名。ロンドン留学から帰国後、猫を飼い始める。名前は一貫してチョボ六。ロンドン時代は、掛け布団がわりに猫を抱いて寝ていたという。のちに妻となる松枝に会う口実として、何度も汚い猫を連れてきては猫の体を松枝に洗ってもらった。
  • 熊楠は、柳田國男にジョージ・ゴム英語版(George Laurence Gomme)編『The handbook of folklore(民俗学便覧)』を貸している。これは、日本の民俗学の体系化に大きな影響を与えることとなった。
  • ホメロスの『オデュッセイア』が中世日本にも伝わり、幸若舞などにもなっている説話『百合若大臣』に翻案されたという説を唱えた。
  • 生涯定職に就かなかったためにろくに収入がなく、父の遺産や造り酒屋として成功していた弟・常楠の援助に頼りっきりだった。常楠は、奇行が多い上に何かにつけて自分に援助を求めてくる兄を快く思っておらず、研究所設立のため資金集めをしていたときに遺産相続の問題で衝突して以降、生涯絶縁状態になった。熊楠が危篤の際には電報を受けて駆けつけたが、臨終には間に合わなかった。
  • 口からの内容物を自在に嘔吐できる反芻胃を持つ体質で、小学校時代もケンカをすると“パッ”と吐いた[37]。そのため、ケンカに負けたことがなかったという。
  • 蔵書家ではあったが、不要な本はたとえ贈呈されたものであっても返却したという。また、「学問は活物(いきもの)で書籍は糟粕だ」[38]とのことばも残している。ただし、残されている蔵書のほとんどはシミ一つなく色褪せない状態で保存されているという[39]
  • 酒豪であり、友人とともに盛り場に繰り出して芸者をあげて馬鹿騒ぎをするのが何よりも好きだった。酔って喧嘩をして警察の世話になるなど、酒にまつわる失敗も少なくなかった。
  • 江戸川乱歩岩田準一とともに男色衆道)関連の文献研究を熱心に行ったことでも知られている。戦前の日本では男色行為は決して珍しいことではなかったが、熊楠自身にそういった経験があったかどうかは不明である。
  • 当時の人間にしては珍しく、比較的多くの写真が残っているため、写真に撮られるのが好きだったといわれている。
  • 臨終の際、医者を呼ぶかと問われると「紫の花が消えるから」と拒否したという[40]
  • 熊楠の脳は大阪大学医学部ホルマリン漬けとして保存されている。熊楠本人は幽体離脱幻覚などを度々体験していたため、死後自分の脳を調べてもらうよう要望していた。MRIで調べたところ右側頭葉奥の海馬に萎縮があり、それが幻覚の元になった可能性があるといわれる。
  • 甘いもの、特にあんパンが好物で、好きな人にもよくあげたという。近所の子供にもあげていた[34]
  • 初対面の人や大勢の前で話すのが不得手で羞恥・恐怖心をまぎらすためビールを鯨飲したが昭和には酒を止めた。娘の文枝によれば、深酒して孫文の手紙を騙しとられたのが理由と述べている。タバコはゴールデンバットや吸い口のついた敷島だった。ブランチはバターを塗った食パンが中心だった。他に好物はニラの味噌汁、類(特にステーキ)、ウナギの蒲焼き、のレバー、空豆の醤油煮、鶏の天ぷら。苦手なものは刺身で、理由は寄生虫を心配したため[41]
  • 徹夜のときはアンパン6つと決まっていた[34]
  • 洋服は最初のボタンをかけ違えば最後までうまく合わないからと嫌って、四季を通じて和服だった[34]
  • 風呂が好きだった。ぬるめの湯船に目をつむって長時間過ごすのが常だった。何か構想を練るときの憩いの場所であった。二時間ぐらい入っていた。気に入った人がくると自分が風呂に入っているときは、風呂のところにたたせてぬくもりながら二時間ぐらい話していた[34]
  • 朝8時に研究室から出て寝室に入り、夕方6時に熟睡から覚めて研究室に入る夜型の生活を送っていた。このため昼間の訪問客は常に門前払いをされており、人間嫌いと評されていた[42]

注釈

  1. ^ 熊楠の生まれた時、父弥兵衛は39歳、母住が30歳であった。ちなみに、この二人の間には、長男藤吉、長女くま、次男熊楠、三男常楠、次女藤枝、四男楠次郎の6人が生まれている。生誕地は橋丁二十二番地、その跡地に当たる駐車場の角に、和歌山市によって熊楠の胸像が1994年に建てられている[7]
  2. ^ 速成中学校(旧制の高等小学校と同じ)で希望者のみ入学した。
  3. ^ 中国代の辞書『正字通』にある「落斯馬」という動物がイッカクであると書いたシュレーゲルに対し、熊楠はセイウチであると主張した論争。熊楠が勝利。
  4. ^ 発見場所は、稲荷村(現・田辺市)の糸田にある猿神(古くは山王権現社と呼ばれていた)で、高山寺のある台地の会津川に臨む見晴らしの良い場所にあった[13]
  5. ^ 当時の『ネイチャー』誌における投稿論文は、現在の査読を行わない読者投稿欄のようなものであった[要出典]
  6. ^ 写真多数の図版本。長谷川興蔵(1924-1992)は、編集者として生涯かけ平凡社・八坂書房で著作資料の校訂を担当した。
  7. ^ 同じ谷川健一編で、熊楠を柳田国男・折口信夫と比較論考した『南方熊楠、その他』(思潮社、1991年)がある。
  8. ^ 著者没後に刊、編者ほか3名による共著。

出典

  1. ^ 松居竜五・岩崎仁編『南方熊楠の森』(方丈堂出版、2005年)4〜13頁
  2. ^ a b c d e f g h i j k 南方熊楠大辞典. 勉誠出版. (2012年1月30日) 
  3. ^ a b 田村義也「語学力」(『南方熊楠大事典』129-133頁)
  4. ^ 飯倉照平「熊楠伝説」、『南方熊楠大事典』(勉誠出版、2012年)124〜129頁などを参照。
  5. ^ a b c d e f 唐澤太輔「南方熊楠 日本人の可能性の極限」. 中央公論新社〈中公新書〉. (2015年4月) 
  6. ^ a b c d 読売新聞』よみほっと(日曜別刷り)2021年10月24日1面【ニッポン絵ものがたり】南方熊楠「菌類図譜」F.4198
  7. ^ 飯倉 2006, p. 2.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk 南方熊楠大事典(第六部 年譜). 勉誠出版. (2012年1月30日) 
  9. ^ a b c d e f g h i 漱石と熊楠 同時代を生きた二人の巨人. 鳥影社. (2019年4月3日) 
  10. ^ Collectors of the UNC Herbarium(英語) - ノースカロライナ大学チャペルヒル校植物標本館ノースカロライナ植物園英語版の一部門でもある。)
  11. ^ William Wirt Calkins - ウェイバックマシン(2019年3月13日アーカイブ分)(英語) - イリノイ州自然史調査所英語版
  12. ^ 松居竜五「ジャクソンヴィルにおける南方熊楠」『龍谷大学国際社会文化研究所紀要』第11号、龍谷大学、2009年6月30日、 210-228頁、 NAID 110008739278
  13. ^ 飯倉 2006, p. 206.
  14. ^ 飯倉 2006, p. 200.
  15. ^ 松居竜五「南方熊楠宛スウィングル書簡について」『龍谷大学国際社会文化研究所紀要』第7号、龍谷大学、2005年3月25日、 149-156頁、 NAID 110004628956
  16. ^ a b 南方熊楠顕彰会>ゆかりの地
  17. ^ 変形菌分類学研究者 - 日本変形菌研究会
  18. ^ Minakatella longifila G. Lister -- Discover Life
  19. ^ Minakatella longifila G.Lister, 1921 - Checklist View
  20. ^ Gulielma Lister - Wanstead's Wildlife(英語)
  21. ^ 変形菌分類学研究者の紹介(国外) - 日本変形菌研究会
  22. ^ 雲藤等「『南方熊楠全集』(平凡社)と書翰原本との異同 : 上松蓊宛・平沼大三郎宛書翰を中心に」『社学研論集』第20巻、早稲田大学大学院社会科学研究科、2012年9月、 139-155頁、 ISSN 1348-0790NAID 120005300994(18)の異同を参照。
  23. ^ 紀田順一郎「南方熊楠─学問は活物で書籍は糟粕だ─」においては、ブレサドラの『菌誌』とも。
  24. ^ 南方熊楠顕彰館所蔵資料・蔵書一覧(南方熊楠顕彰館2012) 5.関連p.14の"関連0958"に資料名として『ブレサドラ菌図譜』とあわせて「名誉賛助名簿」とある。
  25. ^ a b c d e f g h 南方熊楠大事典(第二部 生涯). 勉誠出版. (2012年1月) 
  26. ^ 南方熊楠大事典(第三部 人名録). 勉誠出版. (2012年1月) 
  27. ^ 飯倉 2006, p. 36.
  28. ^ 飯倉 2006, p. 277.
  29. ^ 飯倉 2006, p. 279.
  30. ^ 飯倉 2006, p. 273.
  31. ^ 萩原(1999)、p.244
  32. ^ a b 南方熊楠大事典. 勉誠出版. (2012年1月) 
  33. ^ 和歌山県神社庁公式サイト 鬪鷄神社
  34. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 南方文枝「父 南方熊楠を語る」、付神社合祀反対運動未公刊史料. 日本エディタースクール出版部. (1981年・昭和56年7月) 
  35. ^ 唐澤太輔「〈研究論文 ワーキングペーパー 報告書〉「南方曼陀羅」と『華厳経』の接点」『2015年度 研究活動報告書』、龍谷大学世界仏教文化研究センター、2016年3月、 191頁、 NAID 120005969550
  36. ^ 『日本学者フレデリック・ヴィクター・ディキンズ』秋山勇造 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇
  37. ^ 飯倉 1974, p. 290.
  38. ^ 平家蟹の話」
  39. ^ 紀田(1994)
  40. ^ 資料 (PDF)”. 和歌山県教育センター学びの丘. 2018年4月28日閲覧。
  41. ^ 大本泉『作家のごちそう帖』(平凡社新書 2014年)pp.33-42
  42. ^ 世界的植物学者、奇行の巨人死去『東京日日新聞』(昭和16年12月30日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p747 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  43. ^ 飯倉 2006, pp. 334–335.
  44. ^ 英国科学誌での熊楠の研究に、志村真幸『南方熊楠のロンドン 国際学術雑誌と近代科学の進歩』慶應義塾大学出版会、2020年 がある。
  45. ^ “知の巨人に和歌山・田辺市が名誉市民章授与 10月22日、紀南文化会館で南方熊楠生誕150周年記念式典 - 産経WEST”. 産経新聞. (2017年9月27日). https://www.sankei.com/article/20170927-JEJTPM3RCBNZDNFNVGM6LW2QTQ/ 2018年10月16日閲覧。 
  46. ^ “「熊楠は日本人の夢」 生誕150周年で中沢新一さんら”. 紀伊民報. (2017年2月22日). http://www.agara.co.jp/news/daily/?i=341710 2017年2月24日閲覧。 
  47. ^ 清酒 世界一統-知られざる巨人-南方熊楠-南方熊楠と世界一統の歩み
  48. ^ a b c II 南方熊楠をめぐる人名目録南方熊楠を知る辞典
  49. ^ 縛られた巨人、南方熊楠 -何によって縛られていたか『天皇と日本国憲法(毎日新聞出版): 反戦と抵抗のための文化論』なかにし礼PHP研究所, Mar 7, 2014
  50. ^ a b 南方熊楠 履歴書(口語訳5)ロンドンに渡るMikumano.net
  51. ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳13)母と兄Mikumano.net
  52. ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳15)帰国Mikumano.net
  53. ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳16)和歌山Mikumano.net
  54. ^ 熊楠を支えた弟/和歌山『毎日新聞』2017年3月20日
  55. ^ 南方熊楠の家族と日常南方熊楠記念館
  56. ^ 飯倉 2006, p. 359.
  57. ^ 飯倉 2006, p. 337,360.
  58. ^ 遺著に『長谷川興蔵集 南方熊楠が撃つもの』南方熊楠資料研究会






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