益田勝実とは? わかりやすく解説

益田勝実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/29 01:26 UTC 版)

益田勝実
人物情報
生誕 (1923-06-29) 1923年6月29日
日本 山口県下関市
死没 (2010-02-06) 2010年2月6日(86歳没)
出身校 東京大学
学問
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益田 勝実(ますだ かつみ、男性、1923年〈大正12年〉6月29日 - 2010年〈平成22年〉2月6日)は、日本国文学者。古代文学専攻。元・法政大学文学部教授

生涯

生いたち、修学期

山口県下関市で、父繁蔵、母コフジの次男として生まれる。兄1人、姉3人の末っ子であった[1]

家の学問として漢文を教わるチャンスがあって、小学校の終わりごろから 『十八史略』や『日本外史』を読まされていた[1]。旧制山口県立下関中学校時代には、西洋哲学を専攻したい夢があり3年の時から下関バプテスト教会の末崎富彌牧師にギリシャ語を習い始める[1]

中等教員検定試験合格を目指す

1941年3月に下関中学校を卒業して、4月から下関市立養治国民学校助教として勤めながら、中等教員検定試験合格を目指す。翌1942年3月に養治国民学校を依願退職し、4月に学費の安い二松学舎専門学校に入学、同級に竹内実がいた[2]

学徒出陣

学費が続くうちに中等教員検定試験に合格したいと焦っていたが、1943年12月に学徒出陣。二松学舎の出陣壮行会で、万葉学の森本治吉教授に「大君の しこの御楯」[3]として疑わずに出征せよと言われたが、はたして防人の歌はそう読むべきものだろうかと疑問をいだいたので、戦場に万葉集を携行し中国各地の前線を転戦したが、生きては帰れないだろうと焼いた。ところが、数日後に敗戦を迎える[2]

復員

敗戦の翌1946年5月、上海から復員船で帰国。父はすでに死んでおり、下関の家は空襲で焼け、一切が失われていた[4]。母のいる小倉の兄のもとへ。この体験によって、国境前線で逃亡して捕らえられた防人の心境が分かり始めた[4]

1947年、投稿論文「播磨風土記天平元年以後か」について林屋辰三郎から「君の投稿は今までの研究水準を越えているから掲載した い」とのハガキをもらい、11月、『日本史研究』第6号に掲載される。それによって東京へ出て行く気持が決まる[4]

東大国文学科に入学

1948年4月、東京大学文学部国文学科に入学。敗戦直後、東大が専門学校などの卒業生にも門戸を開いたことにより、「遅ればせながらその門から紛れ込んだ」[4]。大学入学以来1年ほどは萩谷朴家の離れに下宿していた[4]

大学院在籍、高校教諭に

1951年3月、東京大学文学部を卒業、同大学大学院修士課程に在籍、4月に東京都立神代高校(定時制)の教諭となる[5]。翌1952年に神代高校定時制の卒業生を中心メンバーとする「サークル・いしずえ」を主宰し、読書学習、地域の生活向上、民俗・民謡採集調査など地域の社会文化活動に従事[6]

法政大学に勤務

1955年、法政大学文学部非常勤講師。1967年に教授。1989年(平成元年)3月退職。

学風

説話研究や柳田國男[7]らの民俗学の視点を導入した研究で知られる。2006年『益田勝実の仕事』で毎日出版文化賞企画賞を受賞。

梅原猛との論戦

梅原猛の『水底の歌』が刊行され賞賛されていた時、益田はその決定的な矛盾を指摘した(『文学』1975年4月)。その書き方が、このような本はまともに相手にすべきものではない、というものだったため、梅原は反論し(同10月号)、実質上、益田の指摘が正しいことを認めつつ激しく罵倒したため、益田は再反論で、弱っていると書いた(同12月号)。

2010年2月6日、老衰により死去。86歳。

著書

脚注

  1. ^ a b c 益田勝実年譜」『日本文学誌要』、4頁。 
  2. ^ a b 益田勝実年譜」『日本文学誌要』、4-5頁。 
  3. ^ 醜の御楯』 - コトバンク
  4. ^ a b c d e 益田勝実年譜」『日本文学誌要』、6頁。 
  5. ^ 益田勝実年譜」『日本文学誌要』、7頁。 
  6. ^ 益田勝実年譜」『日本文学誌要』、8頁。 
  7. ^ 編著に『現代日本思想大系29 柳田国男』筑摩書房、1965年
  8. ^ 元版は編著『現代日本思想大系30 民俗の思想』筑摩書房、1964年

参考文献





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