中瀬喜陽とは? わかりやすく解説

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中瀬喜陽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 13:08 UTC 版)

中瀬 喜陽(なかせ ひさはる、1933年2月21日 - 2018年3月11日[1])は、和歌山県郷土史家・南方熊楠研究家。中瀬ゆかりは次女[1]

来歴

和歌山県西牟婁郡上富田町の出身で、1960年に東洋大学中国哲学文学科を卒業した[2]。同年から上富田町立岩田中学校、1964年からは和歌山県立南紀高等学校の教諭として1993年まで勤務した[2]。1993年に大阪青山短期大学非常勤講師となり2003年まで勤める[2]

2006年5月に南方熊楠顕彰館館長に就任し、2012年3月まで務めた[2]

南方熊楠邸保存顕彰会副会長、田辺市文化財審議会委員長、紀南文化財研究会会長 南方熊楠顕彰記念館名誉館長を歴任した。2013年に和歌山県文化功労賞と南方熊楠文化賞特別賞を受ける[2]

2018年3月11日午後0時54分に和歌山県田辺市病院で、胃癌のため85歳で死去した[1]

著書

単著

  • 弁慶 第3部 北陸の弁慶伝承と高館の最期・弁慶松』吉田弥左衛門〈田奈部豆本〉、1982年
  • 『若王子 中瀬喜陽句集』本阿弥書店〈中堅作家シリーズ〉、1986年
  • 『説話世界の熊野 弁慶の土壌』日本エディタースクール出版部、1991年
  • 『覚書南方熊楠』八坂書房、1993年
  • 『くまののかみさまのひっこし』(松下千恵・絵)わかやま絵本の会〈熊野古道おはなしシリーズ〉、1999年

共編著・監修

  • 『ふるさと田辺民話紀行』(編)吉田弥左衛門〈田奈部豆本 〉、1985年
  • 『南方熊楠書簡 盟友毛利清雅へ』(編)日本エディタースクール出版部、1988年
  • 『素顔の南方熊楠』(編) 吉田弥左衛門〈続田奈部豆本〉、1989年
  • 南方熊楠『門弟への手紙 上松蓊へ』(編)日本エディタースクール出版部、1990年
  • 『南方熊楠アルバム』(長谷川興蔵と共編)八坂書房、1990年
  • 『南方熊楠、独白 熊楠自身の語る年代記』(編著)河出書房新社、1992年
  • 雑賀貞次郎・尾崎棣園『田邊俳句史 再刊』(校訂)あおい書店、2004年
  • 『紀州田辺の俳壇』(編著)貝寄風発行所、2004年
  • 『田辺・西牟婁今昔写真帖 保存版』監修 郷土出版社 2004
  • 『熊野九十九王子 句集 改訂増補』(編)句集熊野九十九王子刊行委員会、2005年
  • 『おしえてわかやま 熊楠編』(編・監修、松下千恵現代語訳・イラスト)わかやま絵本の会〈郷土絵本〉、2006年
  • 『熊楠の森-神島』(後藤伸・玉井済夫と共著)農山漁村文化協会、2011年年

論文

脚注

  1. ^ a b c 訃報 中瀬喜陽さん85歳=南方熊楠顕彰館名誉館長 毎日新聞、2018年3月12日
  2. ^ a b c d e 南方熊楠特別賞受賞者 第23回時 - ウェイバックマシン(2018年3月13日アーカイブ分) - 南方熊楠顕彰館



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