おしん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 02:56 UTC 版)
スタッフ
- 脚本 - 橋田壽賀子
- 音楽 - 坂田晃一
- 語り - 奈良岡朋子
- 考証 - 小木新造
- 演奏 - 新室内楽協会
- 山形ことば指導 - 芝田陽子
- 酒田ことば指導 - 大久保正信
- 佐賀ことば指導 - 吉岡節子
- 島原ことば指導 - 山田孝子
- 陶芸指導 - 岸園山
- 擬闘 - 林邦史朗
- 茶道指導 - 戸田宗安
- 書道指導 - 星富恵子
- 髪結指導 - 中村さき
- ダンス指導 - 脊黒誠
- 縫製指導 - 岡村節子、田中俊子
- 口上指導 - 坂野比呂志
- 撮影協力
- エキストラ協力 - 鳳プロ、劇団いろは、劇団ひまわり、東映児童、東京国際アートセンター、トラック・ワン、早川プロ、山野美容専門学校、若駒
- 協力 - 日本エヌ・シー・アール、西友
- 制作 - 岡本由紀子
- 演出 - 江口浩之、小林平八郎、竹本稔、望月良雄、一柳邦久、吉村文孝、江端二郎、大木一史、秋山茂樹
放送日程
週 | 回数 | 放送日 | 演出 |
---|---|---|---|
1983年 | |||
第1週 | 1 - 6 | 4月4日 - 4月9日 | 江口浩之 |
第2週 | 7 - 12 | 4月11日 - 4月16日 | 小林平八郎 |
第3週 | 13 - 18 | 4月18日 - 4月23日 | 竹本稔 |
第4週 | 19 - 24 | 4月25日 - 4月30日 | 江口浩之 |
第5週 | 25 - 30 | 5月2日 - 5月7日 | 小林平八郎 |
第6週 | 31 - 36 | 5月9日 - 5月14日 | 竹本稔 |
第7週 | 37 - 42 | 5月16日 - 5月21日 | 江口浩之 |
第8週 | 43 - 48 | 5月23日 - 5月28日 | 小林平八郎 |
第9週 | 49 - 54 | 5月30日 - 6月4日 | 竹本稔 |
第10週 | 55 - 60 | 6月6日 - 6月11日 | 江口浩之 |
第11週 | 61 - 66 | 6月13日 - 6月18日 | 小林平八郎 |
第12週 | 67 - 72 | 6月20日 - 6月25日 | 竹本稔 |
第13週 | 73 - 78 | 6月27日 - 7月2日 | 江口浩之 |
第14週 | 79 - 84 | 7月4日 - 7月9日 | 望月良雄 |
第15週 | 85 - 90 | 7月11日 - 7月16日 | 小林平八郎 |
第16週 | 91 - 96 | 7月18日 - 7月23日 | 江口浩之 一柳邦久 |
第17週 | 97 - 102 | 7月25日 - 7月30日 | 吉村文孝 |
第18週 | 103 - 108 | 8月1日 - 8月6日 | 竹本稔 |
第19週 | 109 - 114 | 8月8日 - 8月13日 | 小林平八郎 |
第20週 | 115 - 120 | 8月22日 - 8月27日 | |
第21週 | 121 - 126 | 8月29日 - 9月3日 | 江口浩之 |
第22週 | 127 - 132 | 9月5日 - 9月10日 | 竹本稔 |
第23週 | 133 - 138 | 9月12日 - 9月17日 | 江口浩之 |
第24週 | 139 - 144 | 9月19日 - 9月24日 | 竹本稔 |
第25週 | 145 - 150 | 9月26日 - 10月1日 | 吉村文孝 |
第26週 | 151 - 156 | 10月3日 - 10月8日 | 小林平八郎 江端二郎 |
第27週 | 157 - 162 | 10月10日 - 10月15日 | 望月良雄 |
第28週 | 163 - 168 | 10月17日 - 10月22日 | 江口浩之 |
第29週 | 169 - 174 | 10月24日 - 10月29日 | 小林平八郎 大木一史 |
第30週 | 175 - 180 | 10月31日 - 11月5日 | 望月良雄 |
第31週 | 181 - 186 | 11月7日 - 11月12日 | 竹本稔 |
第32週 | 187 - 192 | 11月14日 - 11月19日 | 江口浩之 |
第33週 | 193 - 198 | 11月21日 - 11月26日 | 小林平八郎 |
第34週 | 199 - 204 | 11月28日 - 12月3日 | 一柳邦久 |
第35週 | 205 - 210 | 12月5日 - 12月10日 | 望月良雄 |
第36週 | 211 - 216 | 12月12日 - 12月17日 | 吉村文孝 |
第37週 | 217 - 222 | 12月19日 - 12月24日 | 小林平八郎 |
第38週 | 223 - 225 | 12月26日 - 12月28日 | |
1984年 | |||
第39週 | 226 - 231 | 1月9日 - 1月14日 | 小林平八郎 江口浩之 |
第40週 | 232 - 237 | 1月16日 - 1月21日 | 竹本稔 |
第41週 | 238 - 243 | 1月23日 - 1月28日 | 吉村文孝 |
第42週 | 244 - 249 | 1月30日 - 2月4日 | 江口浩之 |
第43週 | 250 - 255 | 2月6日 - 2月11日 | 小林平八郎 |
第44週 | 256 - 261 | 2月13日 - 2月18日 | 望月良雄 |
第45週 | 262 - 267 | 2月20日 - 2月25日 | 竹本稔 秋山茂樹 |
第46週 | 268 - 273 | 2月27日 - 3月3日 | 吉村文孝 |
第47週 | 274 - 279 | 3月5日 - 3月10日 | 一柳邦久 |
第48週 | 280 - 285 | 3月12日 - 3月17日 | 竹本稔 |
第49週 | 286 - 291 | 3月19日 - 3月24日 | 小林平八郎 |
第50週 | 292 - 297 | 3月26日 - 3月31日 | 江口浩之 |
反響
日本国内
本放送の人気ぶりから『オシンドローム』と呼ばれるほどの社会現象を巻き起こした。この『オシンドローム』(おしん+シンドローム)という言葉は米国のフリー記者であるジェーン・コンドンが「タイム」紙に載せたもので、1984年の第1回新語・流行語大賞の新語部門・金賞を受賞している[36]。
- 中曽根康弘首相は「おしん、康弘、隆の里」と自らを2名に準えて表現し、混迷する政局を耐え忍ぶ姿を自戒している。「隆の里」とは31歳で第59代横綱に昇進し、新横綱全勝優勝を遂げた力士・隆の里俊英のことで、苦難を越えて昇進した人物像から「おしん横綱」という愛称を持つ。
- 田中角栄も極貧の生まれから一代で身を起こした己の人生と『おしん』を照らし合わせて、涙ながらに「俺は男おしんだ」と語っている。ただし、橋田は後のインタビューで「教科書のような話を書いたつもりはないので、政治家や財界人が訓示に引用するのには、違和感を覚えた」と述べている。
- カルビーの創業者で、当時71歳だった松尾孝がおしんにぞっこんで、「おしんさんを見てますとね、自分が商売を始めたころの苦労を思い出しましてねえ」と、おしんを呼び捨てにせず、「おしんさん」と敬称をつけるほど惚れ込みようで、「綾子ちゃんをわが社のコマーシャルに」と切望した[37]。しかし、茶の間のアイドルになった小林には、50社以上の企業からCM出演の申し込みが殺到した[37]。
- 幸い小林が東映に所属していたため、松尾と東映の社長・岡田茂が広島一中(現広島国泰寺高校)の先輩後輩の関係で、契約がトントン拍子に進み、小林のCM初出演がカルビー『かっぱえびせん』に決まった[37]。CM制作は東映CMが担当し、放送開始1ヶ月半後の1983年5月中旬から制作が始まり、当時はほとんどなかった台本つき、さらに美術にもお金をかけて通常の2倍の2000万円で製作した[37]。
- 当初のCMタイトルは『綾ちゃんの大根めし』で、小林が『おしん』そのままの貧しい着物姿で登場して「腹が減ったときには大根めしでもうまかった」とドラマそのままのセリフがあり、オンエア直前にNHKから「これでは『おしん』が企業とタイアップしたようにとられる」とクレームを受けた[37]。
- また橋田が毎日新聞のエッセーで「『おしん』は私のものなのよ。なのに私にはひとことも相談がないんですもの。あれは視聴者が出したお金で作った公共放送のドラマですよ。そのイメージを、一私企業が宣伝に使ってはいけないのよ。いくらドラマのキャラクターには著作権がないからって、強引すぎる」と訴えた[37]。このため、タイトルは『食事編』に変更され、小林のセリフはカット、小林の食事シーンに「世の中がどんなに変わろうと、子供たち、元気でがんばって下さい」などのナレーションが入るものに変更され、1983年夏からオンエアされている[37]。
- 「おしんのしんは辛抱のしん」と辛抱を呼びかける現象までも発生したが、橋田は「あれは辛抱を描いたドラマではありません」と自粛を呼びかけていた。
- 昭和天皇が『おしん』を視聴した際に「ああいう具合に国民が苦しんでいたとは、知らなかった」と感想を述べたという[38]。橋田は日経・私の履歴書で「昭和天皇にご覧いただきたくて(中略)おしんの生まれを陛下と同じ明治34年にした。」と記している。
- 中曽根の言動を模したようなものに「おしん、家康、隆の里」というのがあるが、「家康」とは、おしんの同年に放送されたNHK大河ドラマ『徳川家康』を示し、作中と史実において伝わってくる家康の忍耐心を隆の里、『おしん』となぞらえたもので、流行語となった[39]。
- 本放送時、札幌市水道局の水道使用量が急速に減少して警告が鳴り、ラジオドラマ『君の名は』の再来か、というエピソードが当時の北海道新聞に掲載された。
- 嫁姑戦争の舞台となった佐賀県では、「佐賀の女性はこんなのではない」「県のイメージダウンになる」とNHK佐賀放送局に抗議の電話が殺到[15]、NHKが「もう少し見てもらえれば真意を汲み取ってもらえる」と釈明を出す必要に迫られた。この時、姑を演じた高森和子はテレビのトーク番組に出演し「あれは演技の上ですよ」と苦笑しながら釈明している。
- しかし橋田には、佐賀以外の舞台は考えられなかった。「戦争を推し進めていた男たちが、戦後は何事もなかったように振る舞う」のを見てきた橋田にとって、戦争責任を感じて自裁する夫・竜三は、彼らへの痛烈な批判である。「その死は武士道につながる。武士道といえば『葉隠』。だから夫は佐賀の旧家の末裔でなければならなかった」[15]。
- ドラマと現実の区別がつかなくなった熱狂的な視聴者が、おしん役の小林綾子や母ふじを演じた泉ピン子宛てに白米を送ったり、「おしんに渡してほしい」と、NHKに多額の金銭[注 25] が送ってこられることもしばしばあった。作中でおしんの父・作造がおしんやふじに厳しく接するため、作造役の伊東四朗宅に石が投げ込まれたり[15],「お宅のご主人は娘に厳しすぎる」と視聴者が抗議に訪れ、家人が「あれはそういう役」「うちには娘はいない」と応対するも最後には庭先で口論になったこともあったという。おしんと対立した姑を演じた高森和子は町中でにらみつけられたり、苦情を言われたこともあった。
- 当時の「おしんブーム」にあやかろうと、演歌歌手・金沢明子が「おしんの子守唄」をリリースしている。なおB面曲の「おしん音頭」は、歌詞がユーモラスだったことから「森田一義アワー 笑っていいとも!」で取り上げられたことがある。シングルレコードのジャケット柄は宗美智子による漫画版『おしん』のイラストであり、1983年11月末までに6万枚を売り上げた[40]。
- 「おしんブーム」で山形県を訪れる観光客が増加、県内観光名所の飲食店のメニューに「大根めし」も登場し話題となった。
- 『おしん』の幼年期については非常に反響が大きかったため、1984年夏にNHK総合テレビで幼年期のみ再放送されている。
- 『必殺仕事人IV』22話「主水、大根めしを食べる」において、中村主水がお灸に辛抱できない中で、上司の田中熊五郎が小説を読みながら、本作を連想させる発言をする。主水から毒づかれるが、ムキになっていた。
- 1983年5月26日に発生した「日本海中部地震」を描いた矢口高雄のコミック「激濤 Magnitude 7.7」に、夫婦で出漁していた猟師が『おしん』のお昼の再放送を見ようと急いで港に戻るシーンが描かれている。なお、実際の当日の昼の放送は、報道特別番組のため13時15分 - 13時30分に繰り下げされている[41]。
- 1983年の『第34回NHK紅白歌合戦』の制作過程において、先に初起用が決定していた白組司会・鈴木健二(当時NHKアナウンサー。白組司会抜擢の背景は当時司会を担当していた『クイズ面白ゼミナール』が平均視聴率40%を記録していたことと著書『気くばりのすすめ』が300万部突破のベストセラーとなっていたため)に対抗する紅組司会の候補として当初本作の高視聴率にあやかる形で田中裕子と泉ピン子が上がったという(60%の本作、40%の『クイズ面白ゼミナール』で合計100%構想)。しかし最終的には1度はリストから完全に消えていた黒柳徹子が続投することとなった(4年連続起用)[42]。黒柳は司会発表会見で「週刊誌では『気くばり先生』と『おしん』と書かれていたようで…。新鮮味に欠ける私で申し訳ありません」と述べた[43]。
- DVD-Videoに続いて[7]、2013年9月27日に「少女編」「青春編」がBlu-ray Discで発売され、2013年11月22日に「試練編」「自立編」「太平洋戦争編」、2014年1月24日に「再起編」「完結編」がBlu-rayでNHKエンタープライズから発売されている。
- 連続テレビ小説通算第100作を記念して、歴代の朝ドラ主演女優が多数起用された2019年上半期の『なつぞら』に、小林綾子と田中裕子がともに出演している。小林は『おしん』以来36年ぶりの連続テレビ小説出演となり、『なつぞら』と同時期にNHK BSプレミアムで『おしん』が再放送されていたため話題となった。
日本国外
日本以外では68の国・地域で放送された。この番組のファンでもあった駐日シンガポール大使の要望により1984年、シンガポールにおいて日本国外初放送され、視聴率80%を達成した。この驚異的な人気によりタイやオーストラリア、米国、中国などでも放送されることになった[44]。少女時代を演じた小林綾子が放送国を訪れると、今でも「オシン!」、泉ピン子は「オシンマザー!」と呼ばれ、様々な歓待を受けるという。
放送された国・地域は次の通り。2012年3月現在。アメリカ合衆国、オーストラリア、香港、ブラジル、カナダ、メキシコ、フィリピン、キューバ、ベトナム、シンガポール、タイ王国、中華人民共和国、ポーランド、マカオ、ベルギー、マレーシア、インドネシア、イラン、スリランカ、サウジアラビア、ブルネイ、カタール、バーレーン、シリア、ドミニカ共和国、バングラデシュ、ペルー、ボリビア、パナマ、ネパール、グアテマラ、ニカラグア、ルーマニア、チリ、ウルグアイ、ジャマイカ、ガーナ、ホンジュラス、ミャンマー、コスタリカ、パラグアイ、カンボジア、ラオス、モンゴル国、スーダン、トルコ、ブルガリア、マケドニア共和国、エチオピア、ベネズエラ、アルゼンチン、コロンビア、タンザニア、ウズベキスタン、イラク、アフガニスタン、ブータン、ガボン、タジキスタン、イエメン、エクアドル、トリニダード・トバゴ、コートジボワール、インド、アラブ首長国連邦、エリトリア、台湾、エジプト。
- 当時の内閣総理大臣・中曽根康弘と親密な関係にあったアメリカ合衆国大統領、ロナルド・レーガンが、1983年に来日した際に国会で「日本にはおしんの精神がある」と日本人を『おしん』に喩え、称賛している[要出典]。
- 中華人民共和国大陸(本土)地区では非常に人気があり、初回放送から20年以上経った2007年でも、湖南テレビにて、『阿信』(アーシン)として再放送されている(「阿」は古来の中国語で幼名につけられる接頭語で、日本語の「お」に相当。「信」の方は宛字)[要出典]。
- 香港では、英領当時の1985年に無綫電視で『亞信的故事』(アッソンデクースィー)として放送された。広東語のオリジナル主題歌「信」をジュディ・オングが歌い、香港を含む東南アジアの広東語圏全域で大ヒットしている。また香港を中心に展開している「759阿信屋」という食品ディスカウント・ストアチェーンも存在する。
- 台湾では、1994年に中視で中国同様『阿信』として放送された。オープニング曲「永遠相信」はジュディ・オングが、エンディング曲『感恩的心』は欧陽菲菲が歌い、いずれも大ヒットした。なお、エンディング曲「感恩的心」は、中視の放送休止時間中のフィラーとしても使用されている。2008年3月25日20時から再放送された(再放送版フィラーではエンディング曲の歌手がロジャー・ヤンとなっている)。
- 韓国では、本作の放映当時は日本大衆文化開放前であったため、国内での放映は禁止されており、韓国アレンジ版として『오싱』という題で1985年に映画化されている。内容は本作と異なり、日本統治時代を描いたもので反日感情が含まれている。
- ベトナム社会主義共和国では、1990年代半ばに『おしん』がVTVで放送され、放映時間には町に人影がまばらになるほど高視聴率を取った[45]。都市部では「おしん」という語は貧しい女性を意味するようになり[45]、ベトナム語でメイドや家政婦やお手伝いさんを指す名詞(クオック・グー綴り:osin)になっている。2013年9月からHTVで再放送されている。放映当時のベトナムは、一般的に人々の生活も安定して衣食の面ではほとんど不自由がなくなり、働けば働くほど収入が得られるようになりつつあるなど、努力の結果を予測できる社会になり始めていたころであり、また、長く続いた戦争で国土が焦土化してしまったベトナムにとって、戦後驚異的に経済復興した日本は自国の未来と重なる部分が多かったため、人々の共感を呼んだ[46]。
- エジプトでは1993年に放映された。カイロでは、『おしん』放映時間に停電が発生、放送を観られないことに怒った視聴者が電力会社やテレビ局に大挙押し掛け、投石や放火等の暴動を起こすという事件があった。その後、政府が該当話の再放送を約束する声明を出し、事態はようやく収束した。2018年放映のNHK番組の取材によると、エジプトでは「おしん」という名前は、働き者で正直者、向上心があって賢いというイメージがあり、放送から25年たった今でも店名や社名に「おしん」を使う例がみられるほか、子供にはイスラム教に関連する名前をつけることが一般的である中、「おしん」と名付けられた女性たちもいた[47]。当初は前例がないという理由で市役所に断られ、裁判に訴えた者まであったという[48]。
- イランでは『家を離れて幾年月』という題で1986年にイラン国営テレビでの放映されたが最高視聴率90%超を記録する人気となり、イラン・イラク戦争で夫や息子を失う等、受難と物資不足を経験していた当時のイラン人の激しい共感を呼んだ[49]。「おしん」の子供時代の部分のみがまとめられ、青少年向け映画として上映されることもあった[50]。おしん夫婦が経営した子供服製造所の名前から、イランでは俗に古着屋のことを「タナクラ店」、古着のことを「タナクラ服」とも呼ぶ[50]。
- 1989年1月28日、ムハンマドの娘ファーティマの誕生日兼婦人デーであるこの日には「イスラム女性の象徴はだれか」という質問形式のラジオ番組が放送されたが、ある女性が質問に『おしん』と回答しその後の受け答えでファーティマを古い女性だと形容した。ホメイニ師が責任者の処罰を要求した結果、件のラジオ局の責任者4人に対し反イスラム的であるとして科刑、解雇という判決が下されるが、当のホメイニ師が恩赦として判決を撤回させている[51]。
- ベルギーでは、修道院の尼僧が『おしん』を見るためにお祈りの時間を変更した[44]。
注釈
- ^ 東北地方では1981年の「まんさくの花」の秋田県に次ぐ遠ざかり記録。 なお、宮城県は「おかえりモネ」(2021年)、福島県は「エール」(2020年)、岩手県は「あまちゃん」(2013年)、青森県は「私の青空」(2000年)となっている。
- ^ 福岡県は『走らんか!』(1995年)、熊本県は『オードリー』(2000年)、鹿児島県は『まんてん』(2002年)、長崎県は『てるてる家族』(2003年)、宮崎県は『わかば』(2004年)、大分県は『風のハルカ』(2005年)と、他県は全てNHK大阪放送局制作かつ平成時代に舞台になっている。
- ^ 和服で座席の上に正座。
- ^ 当時の相場で約4~5円。現在の約8~10万円前後。
- ^ 現在の約1万円程。
- ^ 当時の相場で約6円/俵。5俵は現在の約60万円前後
- ^ 現在の約20~30万円
- ^ 当時の既婚女性が結う日本髪。
- ^ 当時の東京~佐賀の汽車賃は三等客車利用で約20円。30円は現代の15万円程。
- ^ 昭和2年9月12日 有明海台風 死者行方不明者423人
- ^ 現在の約20~30万円
- ^ 仁は中学(5年制)をきちんと卒業していないので、中学卒(新学制の高校卒に相当)の扱いにもならない。旧制中学では4年修了で上級学校(旧制高校など)の受験資格が得られたが、「四修」は進学しなければ社会的価値がゼロであることをこの場面は示している。
- ^ 昭和40年頃、道路の拡張などが終わらない状態で急激なモータリゼーションが進み日本全国で交通事故が急増していた。この頃年間の交通事故による死亡者数は22,000人(現在の4倍)を超えており日清戦争以上の死者数であったために交通戦争と呼ばれた。
- ^ 酒席でお客に酒を注いで回る仕事。現代で言うコンパニオン
- ^ 現代パートのおしんはこの発言について「信じてやらなきゃ母ちゃんが浮かばれない」とつぶやいている。加賀屋のくには「おっか様がどげなことをしてもけして悪く思うんでねえぞ」と言っている。
- ^ 演じた伊東は後年、CX系「メントレ」にゲスト出演した際、このシーンが実は別撮りによるものであったことを明かしている。
- ^ その後、成人した希望によって酒田に移されるが、お墓参りの都合から分骨されて伊勢のお墓にも納められている。余談だが最終回、おしんと浩太がお墓参りをし、後述の奈良岡朋子顔出しシーンに繋がる。
- ^ シナリオでは、第113話のみ「久枝」となっている。
- ^ 後に浩太からの手紙がきっかけでこの行為が発覚してからは竜三に手紙を渡すようにはなった。
- ^ おしんは学業継続を勧めていたが、仁は勝手に中学を飛び出した。旧制中学では4年修了で上級学校(旧制高校など)の受験資格が得られたが、仁はその後東京の百貨店で「せめて中学を卒業していれば」と学歴差別に遭い、不本意な部署に回された。
- ^ 第1週のスーパー新規開店セレモニーの会場で、仁は彼女を「嫁のサチコです」と地元有力者に紹介している。
- ^ 長島ナオトの姉。
- ^ うち一人の氏名は「木村」であることが判明している。
- ^ 加代の夫政男は浩太の商才を見抜いており、酒田で飯屋を営んでいたおしんにそのことを話したことがある。
- ^ 2019年放送のNHK朝ドラ同窓会"おしん"で泉ピン子と小林綾子が100万円が送られてきたと説明
出典
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