おしん スタッフ

おしん

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 02:56 UTC 版)

スタッフ

放送日程

回数 放送日 演出
1983年
第1週 1 - 6 4月4日 - 4月9日 江口浩之
第2週 7 - 12 4月11日 - 4月16日 小林平八郎
第3週 13 - 18 4月18日 - 4月23日 竹本稔
第4週 19 - 24 4月25日 - 4月30日 江口浩之
第5週 25 - 30 5月2日 - 5月7日 小林平八郎
第6週 31 - 36 5月9日 - 5月14日 竹本稔
第7週 37 - 42 5月16日 - 5月21日 江口浩之
第8週 43 - 48 5月23日 - 5月28日 小林平八郎
第9週 49 - 54 5月30日 - 6月4日 竹本稔
第10週 55 - 60 6月6日 - 6月11日 江口浩之
第11週 61 - 66 6月13日 - 6月18日 小林平八郎
第12週 67 - 72 6月20日 - 6月25日 竹本稔
第13週 73 - 78 6月27日 - 7月2日 江口浩之
第14週 79 - 84 7月4日 - 7月9日 望月良雄
第15週 85 - 90 7月11日 - 7月16日 小林平八郎
第16週 91 - 96 7月18日 - 7月23日 江口浩之
一柳邦久
第17週 97 - 102 7月25日 - 7月30日 吉村文孝
第18週 103 - 108 8月1日 - 8月6日 竹本稔
第19週 109 - 114 8月8日 - 8月13日 小林平八郎
第20週 115 - 120 8月22日 - 8月27日
第21週 121 - 126 8月29日 - 9月3日 江口浩之
第22週 127 - 132 9月5日 - 9月10日 竹本稔
第23週 133 - 138 9月12日 - 9月17日 江口浩之
第24週 139 - 144 9月19日 - 9月24日 竹本稔
第25週 145 - 150 9月26日 - 10月1日 吉村文孝
第26週 151 - 156 10月3日 - 10月8日 小林平八郎
江端二郎
第27週 157 - 162 10月10日 - 10月15日 望月良雄
第28週 163 - 168 10月17日 - 10月22日 江口浩之
第29週 169 - 174 10月24日 - 10月29日 小林平八郎
大木一史
第30週 175 - 180 10月31日 - 11月5日 望月良雄
第31週 181 - 186 11月7日 - 11月12日 竹本稔
第32週 187 - 192 11月14日 - 11月19日 江口浩之
第33週 193 - 198 11月21日 - 11月26日 小林平八郎
第34週 199 - 204 11月28日 - 12月3日 一柳邦久
第35週 205 - 210 12月5日 - 12月10日 望月良雄
第36週 211 - 216 12月12日 - 12月17日 吉村文孝
第37週 217 - 222 12月19日 - 12月24日 小林平八郎
第38週 223 - 225 12月26日 - 12月28日
1984年
第39週 226 - 231 1月9日 - 1月14日 小林平八郎
江口浩之
第40週 232 - 237 1月16日 - 1月21日 竹本稔
第41週 238 - 243 1月23日 - 1月28日 吉村文孝
第42週 244 - 249 1月30日 - 2月4日 江口浩之
第43週 250 - 255 2月6日 - 2月11日 小林平八郎
第44週 256 - 261 2月13日 - 2月18日 望月良雄
第45週 262 - 267 2月20日 - 2月25日 竹本稔
秋山茂樹
第46週 268 - 273 2月27日 - 3月3日 吉村文孝
第47週 274 - 279 3月5日 - 3月10日 一柳邦久
第48週 280 - 285 3月12日 - 3月17日 竹本稔
第49週 286 - 291 3月19日 - 3月24日 小林平八郎
第50週 292 - 297 3月26日 - 3月31日 江口浩之

反響

日本国内

本放送の人気ぶりからオシンドロームと呼ばれるほどの社会現象を巻き起こした。この『オシンドローム』(おしん+シンドローム)という言葉は米国のフリー記者であるジェーン・コンドンが「タイム」紙に載せたもので、1984年の第1回新語・流行語大賞の新語部門・金賞を受賞している[36]

  • 中曽根康弘首相は「おしん、康弘、隆の里」と自らを2名に準えて表現し、混迷する政局を耐え忍ぶ姿を自戒している。「隆の里」とは31歳で第59代横綱に昇進し、新横綱全勝優勝を遂げた力士・隆の里俊英のことで、苦難を越えて昇進した人物像から「おしん横綱」という愛称を持つ。
  • 田中角栄も極貧の生まれから一代で身を起こした己の人生と『おしん』を照らし合わせて、涙ながらに「俺は男おしんだ」と語っている。ただし、橋田は後のインタビューで「教科書のような話を書いたつもりはないので、政治家や財界人が訓示に引用するのには、違和感を覚えた」と述べている。
  • カルビーの創業者で、当時71歳だった松尾孝がおしんにぞっこんで、「おしんさんを見てますとね、自分が商売を始めたころの苦労を思い出しましてねえ」と、おしんを呼び捨てにせず、「おしんさん」と敬称をつけるほど惚れ込みようで、「綾子ちゃんをわが社のコマーシャルに」と切望した[37]。しかし、茶の間のアイドルになった小林には、50社以上の企業からCM出演の申し込みが殺到した[37]
    • 幸い小林が東映に所属していたため、松尾と東映の社長・岡田茂が広島一中(現広島国泰寺高校)の先輩後輩の関係で、契約がトントン拍子に進み、小林のCM初出演がカルビー『かっぱえびせん』に決まった[37]。CM制作は東映CMが担当し、放送開始1ヶ月半後の1983年5月中旬から制作が始まり、当時はほとんどなかった台本つき、さらに美術にもお金をかけて通常の2倍の2000万円で製作した[37]
    • 当初のCMタイトルは『綾ちゃんの大根めし』で、小林が『おしん』そのままの貧しい着物姿で登場して「腹が減ったときには大根めしでもうまかった」とドラマそのままのセリフがあり、オンエア直前にNHKから「これでは『おしん』が企業とタイアップしたようにとられる」とクレームを受けた[37]
    • また橋田が毎日新聞エッセーで「『おしん』は私のものなのよ。なのに私にはひとことも相談がないんですもの。あれは視聴者が出したお金で作った公共放送のドラマですよ。そのイメージを、一私企業が宣伝に使ってはいけないのよ。いくらドラマのキャラクターには著作権がないからって、強引すぎる」と訴えた[37]。このため、タイトルは『食事編』に変更され、小林のセリフはカット、小林の食事シーンに「世の中がどんなに変わろうと、子供たち、元気でがんばって下さい」などのナレーションが入るものに変更され、1983年夏からオンエアされている[37]
  • 「おしんのしんは辛抱のしん」と辛抱を呼びかける現象までも発生したが、橋田は「あれは辛抱を描いたドラマではありません」と自粛を呼びかけていた。
  • 昭和天皇が『おしん』を視聴した際に「ああいう具合に国民が苦しんでいたとは、知らなかった」と感想を述べたという[38]。橋田は日経・私の履歴書で「昭和天皇にご覧いただきたくて(中略)おしんの生まれを陛下と同じ明治34年にした。」と記している。
  • 中曽根の言動を模したようなものに「おしん、家康、隆の里」というのがあるが、「家康」とは、おしんの同年に放送されたNHK大河ドラマ徳川家康』を示し、作中と史実において伝わってくる家康の忍耐心を隆の里、『おしん』となぞらえたもので、流行語となった[39]
  • 本放送時、札幌市水道局の水道使用量が急速に減少して警告が鳴り、ラジオドラマ『君の名は』の再来か、というエピソードが当時の北海道新聞に掲載された。
  • 嫁姑戦争の舞台となった佐賀県では、「佐賀の女性はこんなのではない」「県のイメージダウンになる」とNHK佐賀放送局に抗議の電話が殺到[15]NHKが「もう少し見てもらえれば真意を汲み取ってもらえる」と釈明を出す必要に迫られた。この時、姑を演じた高森和子はテレビのトーク番組に出演し「あれは演技の上ですよ」と苦笑しながら釈明している。
しかし橋田には、佐賀以外の舞台は考えられなかった。「戦争を推し進めていた男たちが、戦後は何事もなかったように振る舞う」のを見てきた橋田にとって、戦争責任を感じて自裁する夫・竜三は、彼らへの痛烈な批判である。「その死は武士道につながる。武士道といえば『葉隠』。だから夫は佐賀の旧家の末裔でなければならなかった」[15]
  • ドラマと現実の区別がつかなくなった熱狂的な視聴者が、おしん役の小林綾子や母ふじを演じた泉ピン子宛てに白米を送ったり、「おしんに渡してほしい」と、NHKに多額の金銭[注 25] が送ってこられることもしばしばあった。作中でおしんの父・作造がおしんやふじに厳しく接するため、作造役の伊東四朗宅に石が投げ込まれたり[15],「お宅のご主人は娘に厳しすぎる」と視聴者が抗議に訪れ、家人が「あれはそういう役」「うちには娘はいない」と応対するも最後には庭先で口論になったこともあったという。おしんと対立した姑を演じた高森和子は町中でにらみつけられたり、苦情を言われたこともあった。
  • 当時の「おしんブーム」にあやかろうと、演歌歌手・金沢明子が「おしんの子守唄」をリリースしている。なおB面曲の「おしん音頭」は、歌詞がユーモラスだったことから「森田一義アワー 笑っていいとも!」で取り上げられたことがある。シングルレコードのジャケット柄は宗美智子による漫画版『おしん』のイラストであり、1983年11月末までに6万枚を売り上げた[40]
  • 「おしんブーム」で山形県を訪れる観光客が増加、県内観光名所の飲食店のメニューに「大根めし」も登場し話題となった。
  • 『おしん』の幼年期については非常に反響が大きかったため、1984年夏にNHK総合テレビで幼年期のみ再放送されている。
  • 必殺仕事人IV』22話「主水、大根めしを食べる」において、中村主水がお灸に辛抱できない中で、上司の田中熊五郎が小説を読みながら、本作を連想させる発言をする。主水から毒づかれるが、ムキになっていた。
  • 1983年5月26日に発生した「日本海中部地震」を描いた矢口高雄のコミック「激濤 Magnitude 7.7」に、夫婦で出漁していた猟師が『おしん』のお昼の再放送を見ようと急いで港に戻るシーンが描かれている。なお、実際の当日の昼の放送は、報道特別番組のため13時15分 - 13時30分に繰り下げされている[41]
  • 1983年の『第34回NHK紅白歌合戦』の制作過程において、先に初起用が決定していた白組司会・鈴木健二(当時NHKアナウンサー。白組司会抜擢の背景は当時司会を担当していた『クイズ面白ゼミナール』が平均視聴率40%を記録していたことと著書『気くばりのすすめ』が300万部突破のベストセラーとなっていたため)に対抗する紅組司会の候補として当初本作の高視聴率にあやかる形で田中裕子と泉ピン子が上がったという(60%の本作、40%の『クイズ面白ゼミナール』で合計100%構想)。しかし最終的には1度はリストから完全に消えていた黒柳徹子が続投することとなった(4年連続起用)[42]。黒柳は司会発表会見で「週刊誌では『気くばり先生』と『おしん』と書かれていたようで…。新鮮味に欠ける私で申し訳ありません」と述べた[43]
  • DVD-Videoに続いて[7]、2013年9月27日に「少女編」「青春編」がBlu-ray Discで発売され、2013年11月22日に「試練編」「自立編」「太平洋戦争編」、2014年1月24日に「再起編」「完結編」がBlu-rayでNHKエンタープライズから発売されている。
  • 連続テレビ小説通算第100作を記念して、歴代の朝ドラ主演女優が多数起用された2019年上半期の『なつぞら』に、小林綾子と田中裕子がともに出演している。小林は『おしん』以来36年ぶりの連続テレビ小説出演となり、『なつぞら』と同時期にNHK BSプレミアムで『おしん』が再放送されていたため話題となった。

日本国外

日本以外では68の国・地域で放送された。この番組のファンでもあった駐日シンガポール大使の要望により1984年、シンガポールにおいて日本国外初放送され、視聴率80%を達成した。この驚異的な人気によりタイやオーストラリア、米国、中国などでも放送されることになった[44]。少女時代を演じた小林綾子が放送国を訪れると、今でも「オシン!」、泉ピン子は「オシンマザー!」と呼ばれ、様々な歓待を受けるという。

放送された国・地域は次の通り。2012年3月現在。アメリカ合衆国オーストラリア香港ブラジルカナダメキシコフィリピンキューバベトナムシンガポールタイ王国中華人民共和国ポーランドマカオベルギーマレーシアインドネシアイランスリランカサウジアラビアブルネイカタールバーレーンシリアドミニカ共和国バングラデシュペルーボリビアパナマネパールグアテマラニカラグアルーマニアチリウルグアイジャマイカガーナホンジュラスミャンマーコスタリカパラグアイカンボジアラオスモンゴル国スーダントルコブルガリアマケドニア共和国エチオピアベネズエラアルゼンチンコロンビアタンザニアウズベキスタンイラクアフガニスタンブータンガボンタジキスタンイエメンエクアドルトリニダード・トバゴコートジボワールインドアラブ首長国連邦エリトリア台湾エジプト

759阿信屋
  • 当時の内閣総理大臣中曽根康弘と親密な関係にあったアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが、1983年に来日した際に国会で「日本にはおしんの精神がある」と日本人を『おしん』に喩え、称賛している[要出典]
  • 中華人民共和国大陸(本土)地区では非常に人気があり、初回放送から20年以上経った2007年でも、湖南テレビにて、『阿信』(アーシン)として再放送されている(「阿」は古来の中国語で幼名につけられる接頭語で、日本語の「お」に相当。「信」の方は宛字)[要出典]
  • 香港では、英領当時の1985年に無綫電視で『亞信的故事』(アッソンデクースィー)として放送された。広東語のオリジナル主題歌「信」をジュディ・オングが歌い、香港を含む東南アジアの広東語圏全域で大ヒットしている。また香港を中心に展開している「759阿信屋中国語版」という食品ディスカウント・ストアチェーンも存在する。
  • 台湾では、1994年に中視で中国同様『阿信』として放送された。オープニング曲「永遠相信」はジュディ・オングが、エンディング曲『感恩的心』は欧陽菲菲が歌い、いずれも大ヒットした。なお、エンディング曲「感恩的心」は、中視の放送休止時間中のフィラーとしても使用されている。2008年3月25日20時から再放送された(再放送版フィラーではエンディング曲の歌手がロジャー・ヤンとなっている)。
  • 韓国では、本作の放映当時は日本大衆文化開放前であったため、国内での放映は禁止されており、韓国アレンジ版として『오싱』という題で1985年に映画化されている。内容は本作と異なり、日本統治時代を描いたもので反日感情が含まれている。
  • ベトナム社会主義共和国では、1990年代半ばに『おしん』がVTVで放送され、放映時間には町に人影がまばらになるほど高視聴率を取った[45]。都市部では「おしん」という語は貧しい女性を意味するようになり[45]ベトナム語メイド家政婦やお手伝いさんを指す名詞クオック・グー綴り:osin)になっている。2013年9月からHTVで再放送されている。放映当時のベトナムは、一般的に人々の生活も安定して衣食の面ではほとんど不自由がなくなり、働けば働くほど収入が得られるようになりつつあるなど、努力の結果を予測できる社会になり始めていたころであり、また、長く続いた戦争で国土が焦土化してしまったベトナムにとって、戦後驚異的に経済復興した日本は自国の未来と重なる部分が多かったため、人々の共感を呼んだ[46]
  • エジプトでは1993年に放映された。カイロでは、『おしん』放映時間に停電が発生、放送を観られないことに怒った視聴者が電力会社やテレビ局に大挙押し掛け、投石や放火等の暴動を起こすという事件があった。その後、政府が該当話の再放送を約束する声明を出し、事態はようやく収束した。2018年放映のNHK番組の取材によると、エジプトでは「おしん」という名前は、働き者で正直者、向上心があって賢いというイメージがあり、放送から25年たった今でも店名や社名に「おしん」を使う例がみられるほか、子供にはイスラム教に関連する名前をつけることが一般的である中、「おしん」と名付けられた女性たちもいた[47]。当初は前例がないという理由で市役所に断られ、裁判に訴えた者まであったという[48]
  • イランでは『家を離れて幾年月』という題で1986年にイラン国営テレビでの放映されたが最高視聴率90%超を記録する人気となり、イラン・イラク戦争で夫や息子を失う等、受難と物資不足を経験していた当時のイラン人の激しい共感を呼んだ[49]。「おしん」の子供時代の部分のみがまとめられ、青少年向け映画として上映されることもあった[50]。おしん夫婦が経営した子供服製造所の名前から、イランでは俗に古着屋のことを「タナクラ店」、古着のことを「タナクラ服」とも呼ぶ[50]
  • 1989年1月28日、ムハンマドの娘ファーティマの誕生日兼婦人デーであるこの日には「イスラム女性の象徴はだれか」という質問形式のラジオ番組が放送されたが、ある女性が質問に『おしん』と回答しその後の受け答えでファーティマを古い女性だと形容した。ホメイニ師が責任者の処罰を要求した結果、件のラジオ局の責任者4人に対し反イスラム的であるとして科刑、解雇という判決が下されるが、当のホメイニ師が恩赦として判決を撤回させている[51]
  • ベルギーでは、修道院の尼僧が『おしん』を見るためにお祈りの時間を変更した[44]

注釈

  1. ^ 東北地方では1981年の「まんさくの花」の秋田県に次ぐ遠ざかり記録。 なお、宮城県は「おかえりモネ」(2021年)、福島県は「エール」(2020年)、岩手県は「あまちゃん」(2013年)、青森県は「私の青空」(2000年)となっている。
  2. ^ 福岡県は『走らんか!』(1995年)、熊本県は『オードリー』(2000年)、鹿児島県は『まんてん』(2002年)、長崎県は『てるてる家族』(2003年)、宮崎県は『わかば』(2004年)、大分県は『風のハルカ』(2005年)と、他県は全てNHK大阪放送局制作かつ平成時代に舞台になっている。
  3. ^ 和服で座席の上に正座。
  4. ^ 当時の相場で約4~5円。現在の約8~10万円前後。
  5. ^ 現在の約1万円程。
  6. ^ 当時の相場で約6円/俵。5俵は現在の約60万円前後
  7. ^ 現在の約20~30万円
  8. ^ 当時の既婚女性が結う日本髪。
  9. ^ 当時の東京~佐賀の汽車賃は三等客車利用で約20円。30円は現代の15万円程。
  10. ^ 昭和2年9月12日 有明海台風 死者行方不明者423人
  11. ^ 現在の約20~30万円
  12. ^ 仁は中学(5年制)をきちんと卒業していないので、中学卒(新学制の高校卒に相当)の扱いにもならない。旧制中学では4年修了で上級学校(旧制高校など)の受験資格が得られたが、「四修」は進学しなければ社会的価値がゼロであることをこの場面は示している。
  13. ^ 昭和40年頃、道路の拡張などが終わらない状態で急激なモータリゼーションが進み日本全国で交通事故が急増していた。この頃年間の交通事故による死亡者数は22,000人(現在の4倍)を超えており日清戦争以上の死者数であったために交通戦争と呼ばれた。
  14. ^ 酒席でお客に酒を注いで回る仕事。現代で言うコンパニオン
  15. ^ 現代パートのおしんはこの発言について「信じてやらなきゃ母ちゃんが浮かばれない」とつぶやいている。加賀屋のくには「おっか様がどげなことをしてもけして悪く思うんでねえぞ」と言っている。
  16. ^ 演じた伊東は後年、CX系「メントレ」にゲスト出演した際、このシーンが実は別撮りによるものであったことを明かしている。
  17. ^ その後、成人した希望によって酒田に移されるが、お墓参りの都合から分骨されて伊勢のお墓にも納められている。余談だが最終回、おしんと浩太がお墓参りをし、後述の奈良岡朋子顔出しシーンに繋がる。
  18. ^ シナリオでは、第113話のみ「久枝」となっている。
  19. ^ 後に浩太からの手紙がきっかけでこの行為が発覚してからは竜三に手紙を渡すようにはなった。
  20. ^ おしんは学業継続を勧めていたが、仁は勝手に中学を飛び出した。旧制中学では4年修了で上級学校(旧制高校など)の受験資格が得られたが、仁はその後東京の百貨店で「せめて中学を卒業していれば」と学歴差別に遭い、不本意な部署に回された。
  21. ^ 第1週のスーパー新規開店セレモニーの会場で、仁は彼女を「嫁のサチコです」と地元有力者に紹介している。
  22. ^ 長島ナオトの姉。
  23. ^ うち一人の氏名は「木村」であることが判明している。
  24. ^ 加代の夫政男は浩太の商才を見抜いており、酒田で飯屋を営んでいたおしんにそのことを話したことがある。
  25. ^ 2019年放送のNHK朝ドラ同窓会"おしん"で泉ピン子と小林綾子が100万円が送られてきたと説明

出典

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  31. ^ 高森和子 - NHK人物録
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  33. ^ 渡辺美佐子 - NHK人物録
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  36. ^ 第1回〔1984(昭和59)年〕- 新語・流行語大賞”. 2013年1月7日閲覧。
  37. ^ a b c d e f g 「『やめられない、とまらない』カルビー松尾孝社長(71歳)の"おしん狂い"」 小林綾子ちゃんのCMデビュー」『週刊朝日1983年昭和58年)7月15日号、朝日新聞社、27 - 29頁。 
  38. ^ 「われらが遺言・五〇年目の二・二六事件」(『文藝春秋』1986年3月号)
  39. ^ 参考・出典 大原誠・著「NHK大河ドラマの歳月」日本放送出版協会
  40. ^ 『週刊日録20世紀 1983(昭和58年)』講談社、1998年、39頁。
  41. ^ おしん(再) ―連続テレビ小説―(46) - NHKクロニクル
  42. ^ 田中は同紅白に審査員として出演した。泉は1977年に「哀恋蝶」が10.9万枚(オリコン最高位37位)のヒットを記録したが紅白には落選となった経緯がある。紅白に対しては「歌手としての意地がある」と何度も応援出演を断っていた(鬼姑ピン子 ポリシー曲げて紅白狙う! デイリースポーツ(2014年9月4日))。
  43. ^ 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』全音楽譜出版社、2012年。
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  47. ^ 人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!台湾!エジプト!日本人名 2018年1月25日放送 19:30 - 20:15 NHK総合、TVでた蔵
  48. ^ Hassan, Kamel「日本とアラブの交流史 - 両者の相互理解に関する一試論 -」『言葉と文化』第6巻、名古屋大学大学院 国際言語文化研究科 日本言語文化専攻、2005年3月、71-86頁、CRID 1390290699632574208doi:10.18999/isslc.6.71hdl:2237/8272ISSN 13455508 
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  52. ^ 織田裕二病気休養(オールアバウト)
  53. ^ おしん青春篇プログラム
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  55. ^ 「おしん」映画化 県内オールロケ、来年クランクイン 山形”. MSN産経ニュース (2012年6月12日). 2012年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月2日閲覧。
  56. ^ おしん : 映画版母親役に上戸彩 主役は新人子役の濱田ここね”. まんたんウェブ (2013年2月5日). 2013年2月5日閲覧。
  57. ^ 上戸彩、『おしん』クランクアップで濱田ここねを抱擁「一生親友でいたい」”. マイナビニュース (2013年4月4日). 2013年7月21日閲覧。
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  59. ^ TVステーションダイヤモンド社)関東版2016年1号 84頁
  60. ^ 「白鵬のマナーはまねしないで」照ノ富士を満場一致で推薦の横審コメント 日刊スポーツ 2021年7月19日20時45分 (2021年7月20日閲覧)






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