左沢町とは? わかりやすく解説

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左沢町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/05 05:22 UTC 版)

左沢町(あてらざわまち)は山形県西村山郡にあった。現在の大江町の東端にあたる。本項では町制前の名称である左沢村(あてらざわむら)についても述べる。


注釈

  1. ^ より正確には、柳田は「和訓栞」を引き、同書に「アテとは『樹木の日のあたる側』と説明があるが、自分が採取した俚言や通言に拠れば全く逆で日の当たらない側 との意味であり、かつ、全国各地の『アテラ』と称される集落を検分してみればすべて山の陰に位置していることが確認できるので、(和訓栞は間違いであり)自らのフィールドワークの結果の方が正当である」旨の主張をしている。ただし、当地の左沢は丘陵の南麓に位置し、南東に最上川と山形盆地が開ける日当たりの良い土地である。ところで、柳田は「地名は実際にその場に住んでいる者が付けるのが普通であり、自分達の住む場所を『あちら』などと称するのはありえない」と『出羽国風土略記』の説に多分に否定的である
  2. ^ 現在でも、安寺沢川(相模川水系秋山川支流)、阿寺川(木曽川水系木曽川支流)、阿寺川(豊川水系宇連川支流)、アテラ沢(鬼怒川水系男鹿川支流)をはじめ同音の川、沢また集落が日本各地に複数存在していることは確認できる
  3. ^ ただし、北海道アイヌ語でオヒョウの木は正確には「atni(アッニ)」であり、「at(アッ)」ではない。「at」は「オヒョウの樹皮」を限定して意味する語であり、それに「樹木」を意味する「ni(ニ)」が付いてはじめてオヒョウの木を意味する語となる[6]

出典

  1. ^ 出羽國風土略記 巻之十(山形県立図書館蔵本版) (PDF)
  2. ^ 柳田國男『地名の研究』(pp.227-232、古今書院、1936)
  3. ^ 山中襄太『地名語源辞典』(校倉書房、1989年)
  4. ^ 安治博道・藤井友次郎・野田文六『新撰鉄道旅行案内』(p.1038、駸々堂旅行案内部、1923年)
  5. ^ 黒田善夫『一人の彼方へ』(pp.199-200、国文社、1979年)
  6. ^ 萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典(増補版)』(三省堂2002年


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