志田周子とは? わかりやすく解説

志田周子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/27 04:41 UTC 版)

志田 周子(しだ ちかこ、1910年(明治43年)10月28日 - 1962年(昭和37年)7月18日[1])は山形県出身の女医歌人。「仙境のナイチンゲール」と称された[2]

生涯

1910年(明治43年)小学校教員で後に大井沢村村長となる父・荘次郎、母・せいの長女として、西村山郡左沢町(現大江町)に生まれる[3]。西村山郡大井沢村(現西川町)の大井沢尋常小学校を経て、山形県立山形第一高等女学校(現山形県立山形西高等学校)に進学[2]。村で初めての女学校生と話題になる。1928年(昭和3年)東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)に進学。1933年同卒業[3]1935年(昭和10年)「3年でいいから」という父・荘次郎の懇請で、当時無医村だった大井沢村に戻り[2]、唯一の村医となる。以後20年以上にわたり無医村の地域医療に尽力しつつ、婦人会長、大井沢村会議員・西川町会議員などを歴任した[3][1]。同時に結城哀草果に師事するアララギ派の歌人としても活躍した。1959年(昭和34年)保健文化賞を受賞[2]。その他医師会、県知事から数々の表彰を受賞した。

1962年(昭和37年)食道癌を患い死去[1]。享年51。生涯を独身のまま地域医療に捧げた。

2015年(平成27年)、その生涯が『いしゃ先生』と題して映画化された[4]

関連書籍

脚注

出典

  1. ^ a b c 志田周子は、こんな人”. 志田周子(しだ ちかこ)僻地医療に生涯を捧げた女医. 2024年8月10日閲覧。
  2. ^ a b c d 『いしゃ先生』志田周子先生の偉業に教わる”. 山形市医師会. 2022年8月25日閲覧。
  3. ^ a b c 歴史を刻んだ卒業生 - 発見!!女子医大”. www.twmu.ac.jp. 東京女子医科大学. 2022年8月26日閲覧。
  4. ^ “平山あや、主演作「いしゃ先生」現場を振り返る「ずっとこの役を演じていたかった」”. 映画.com (株式会社エイガ・ドット・コム). (2015年10月17日). https://eiga.com/news/20151017/14/ 2015年10月27日閲覧。 

関連項目

  • 高橋義夫 - 志田周子を主人公とした小説『風吹峠』を書いている。

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