教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 14:09 UTC 版)
教育の分類
教育の分類方法はいくつもある。 一般に教育は、行われる場に応じて学校教育 / 社会教育 / 家庭教育の3つに大きく分けて把握されている[7]。
年齢による分類もあり、乳児教育(あるいは「保育」とも) /幼児教育 / 児童教育 / 成人教育、に分類する方法もある。
家庭教育・学校教育・社会教育
- 「家庭教育」とは、家庭において行われる教育のこと。家庭というのは家族という社会集団が生活をする場であるが、多機能であるので、教育も行われ得る[7]。学校という制度ができてからは、その教育機能の一部が学校へと分離することになったが、家庭は学校と連携を持ちつつその教育機能を持ちつづけている[7]。「家庭教育」と言っても、家庭という場とともに、ひとりひとりの家族との人間関係が重要な意味をもっていると言える[7]。基礎的な価値観・徳をこどもに示すことはしつけと呼ばれている[註 2]。
- 「学校教育」とは、学校において行われる教育のこと。特にこどもに対して、定められた学校で、教えることを専門とする教職員によって計画的・組織的・継続的に行われる[7]。しばしば「教育」というと、この学校教育が連想されるほどに、学校は教育の場の中核を成している。だが、こうした学校中心の教育観には問題がある[7]。
- 「社会教育」とは、家庭教育と学校教育以外の[7]、広く社会において行われる教育のことである。学校や家庭以外の社会のさまざまな場において行われている多様な教育活動が該当する。例えば、公民館(=文部科学省所管の国民のための生涯教育のための施設)、図書館、博物館、「文化センター」などの場である。
上記の3分類以外にも、企業が従業員(社員)の職業人としての資質を高めるために行う教育・訓練や、(従業員の)人間性を高めたり市民性 en:citizenship(自分が社会・共同体の一員だとの自覚を持ちそれに貢献すること)を育てるために行っている教育は「企業内教育」と呼ばれている[7]。
ひとりの子供が、家庭教育と学校教育の両方を受けている[7]。
従来は、学校教育と社会教育は、行政上の制度としても別になっており、また教育を受ける人も教育を行う人も異なっていたため、それぞれ独自の方針を持つものとして機能したので上記のような概念枠で理解しても特には問題は無かったが、近年では社会が生涯学習社会へと方針を転換してきているため(つまり一旦学校を卒業した人々もその後に本格的に学習を行うようになってきたため)状況が変化してきている[7]。生涯学習が広まってきたことにより、学校が(例えば大学や大学院が)ある程度以上の年齢の人々の生涯学習の場として活用されることが増え、それに伴い、学校側も従来のような(20代までの)若い人だけを念頭に置いた教育では学び手の要求にこたえられなくなってきており[7]、変わりつつあるためである。
なお、離れた場所に居る者に対して行われる教育は、遠隔教育(遠隔地教育)・通信教育という。最近では、世界の一流大学の一流の教授の講義がインターネット経由で公開され、国境を越え各地で受けることができるようになってきている。(MOOK)
学校教育
学校教育は、特定の集団に対して、一定の様式の学習内容をあらかじめ用意しておいて、組織化され体系化された教育活動を指す。一般的には、フォーマル教育は、生徒(学生)の集団に対して、その分野の教員資格を保持する者によって、授業を施すことを明確に目的とした環境(学校の施設。教室、体育館など)において、行われる。多くの学校制度はすべての教育選択肢、たとえばカリキュラム、物理的な教室設計、教師と生徒の相互作用、評価方法、クラスのサイズ、教育活動、その他多くの点について、理想の値・アイディアを中心に支配的に設定されている[8]。
教育機関などの組織化され構造化された環境で科目など明示的に指定され行われる学習をフォーマル(正式な)学習(Formal learning )、明示的に学習として指定されているわけではないが、学習サポートの観点から学校教育に組み込まれている学習をノンフォーマル学習、さらに、仕事、家族、余暇に関連する日常の活動から生じる学習を非公式の学習(Informal learning)という[9]。こうした教員資格は、大学の教育学部や師範学校などで教師となるための専門教育を受けたものに与えられるが、教員資格を持たないものを教員として雇用することも、公教育の立ち上げ時や急拡大時など、有資格者の不足する場合においては行われることがある。こうした教員は代用教員と呼ばれ、戦前の日本や独立直後のアフリカ諸国などにおいて、初等教育においては広く行われた。なお、大学の教員になるには、教員資格は必要ない。
学校教育において、その実践上の目的・内容・方法等をまとめたものを教育課程又はカリキュラムと呼ぶ。教育課程は、通例では初等教育・中等教育・高等教育の3段階に分け、この前に保育や幼児教育を位置づけることもある。
職業教育
職業教育とは、直接的に特定の商業・工業に結び付く訓練志向の教育である。職業教育は職業高等学校や職業大学、専門学校といった学校教育に加え、徒弟制度やインターンシップの体系も取り、大工、農業、工学者、医師、建築家、芸術家などの分野がある。
特別支援教育
特別支援教育(Special education)は、障害のために公教育を受ける能力がない者に対しての教育である。
オルタナティブ教育
オルタナティブ教育とは、「オルタナティブ」つまり「代わりに用いられる」教育のことで、フォーマルな教育以外の教育のことを指し、フリースクール、サポート校、ホームスクーリング(自宅ベース教育)、シュタイナー教育、などがこれに含まれる。
ノン・フォーマル教育
社会教育とは、家庭教育と学校教育以外の[7]、広く社会において行われる教育のことである。学校や家庭以外の社会のさまざまな場において行われている多様な教育活動が該当する。例えば、公民館(=文部科学省所管の国民のための生涯教育のための施設)、図書館、博物館、「文化センター」などの場である。
イン・フォーマル教育
家庭教育とは、家庭において行われる教育のこと。家庭というのは家族という社会集団が生活をする場であるが、多機能であるので、教育も行われ得る[7]。学校という制度ができてからは、その教育機能の一部が学校へと分離することになったが、家庭は学校と連携を持ちつつその教育機能を持ちつづけている[7]。「家庭教育」と言っても、家庭という場とともに、ひとりひとりの家族との人間関係が重要な意味をもっていると言える[7]。基礎的な価値観・徳をこどもに示すことはしつけと呼ばれている[註 2][7]。
自己教育
教育の対象は他者であるとは限らず、自分自身であることもあり、その場合には自己教育(英: self-education, autodidacticism)と言うことがある。
オープン教育
離れた場所に居る者に対して行われる教育は、遠隔教育(遠隔地教育)・通信教育という。最近では、世界の一流大学の一流の教授の講義がインターネット経由で公開され、国境を越え各地で受けることができるようになってきている。(MOOC)
註釈
- ^ 聖書では子を教えるのは親の責任とされている(申命記(口語訳)#6:4-7)
- ^ a b 家庭教育のうち人間社会において基礎的な価値観・態度・徳をこどもに示すことは特にしつけと呼ばれる。
- ^ 例えば、昭和50年代の日本の製造業において、教育水準の高まりが1%ポイントほど経済成長の高まりに寄与した。参照、労働省 『昭和59年 労働経済の分析(労働白書)』第II部1(1)1)
- ^ 経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第十三条 1 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。
- ^ 例えば、男性標準労働者の生涯賃金(2004年)は、中卒2億2千万円、高卒2億6千万円、大卒・大学院卒2億9千万円。(独立行政法人労働政策研究・研修機構 『ユースフル労働統計―労働統計加工資料集―2007年版』 2007年 ISBN 978-4-538-49031-1 p. 254)
出典
- ^ a b c d e f ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- ^ 分析哲学の影響を受けたリチャード・ピーターズによる。Peters, R. S. Ethics and Education London, Allen and Unwin, 1966.
- ^ アリストテレス 『ニコマコス倫理学』・『政治学』
- ^ J・デューイ 『民主主義と教育』など
- ^ I・カント 『教育学講義』
- ^ プラトン 『国家』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 川本亨二『教育原理』日本文化科学社、1995年。
- ^ “Enhancing Education”. 2016年2月1日閲覧。
- ^ “Perspectives Competence Centre, Lifeling Learning Programme”. 2014年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月1日閲覧。
- ^ E・デュルケーム 『教育と社会学』 佐々木交賢訳 誠信書房 1922=1976年 (新装版 1982年 ISBN 978-4-414-51703-3)
- ^ M・フーコー 『監獄の誕生――監視と処罰』 田村俶訳 1975=1977年
- ^ L・アルチュセール 『国家とイデオロギー』
- ^ 藤原郁郎 「民主化指標の考察と検証―識字率との相関分析を通じて―」『国際関係論集』(立命館大学) 第4号(2003年度) 2004年4月 pp.67-95.
- ^ a b ダニエル・ゴールマン『EQ こころの知能指数』講談社 1996年
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- ^ 国際協力開発事業団 国際協力総合研修所 『開発課題に対する効果的アプローチ』2002年5月 p.23.
- ^ フランス政府の公式ページ
- ^ a b 中島さおり『なぜフランスでは子どもが増えるのか -フランス女性のライフスタイル』講談社 2010[要ページ番号]
- ^ ドイツ教育費無料ってほんと?
- ^ a b c 1年間の授業料「900万円」でも入学希望殺到…超富裕層向け「全寮制スクール」の実態
- ^ 勝間和代 『自分をデフレ化しない方法』 文藝春秋〈文春新書〉、2010年、180頁。
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- ^ 大場淳「日本における高等教育の市場化」 日本教育学会『教育学研究』第 76 巻第 2 号(平成 21 年 6 月)185-196,堀谷有史「高等教育における商業化についての考察― アカデミック・キャピタリズムと知識の公共性―」早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊19号2,2012.
- ^ 「国立大学法人化は失敗だった」 有馬朗人元東大総長・文相の悔恨
- ^ 林寛平「グローバル教育政策市場を通じた「教育のヘゲモニー」の形成 ──教育研究所の対外戦略をめぐる構造的問題の分析─」『日本教育行政学会年報』第42巻、2016年、147–163頁。
- ^ 林寛平「比較教育学における「政策移転」を再考する ―Partnership Schools for Liberia を事例に―」『教育学研究』第86巻第2号、2019年、213–224頁。
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