南方熊楠
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評価・顕彰
- 1946年秋に満州より引揚帰国した岡田桑三は、渋沢敬三に南方熊楠顕彰事業開始を働きかけ、およそ1年後の1947年10月、熊楠と親交のあった杉村楚人冠の子息で朝日新聞記者であった杉村武の尽力で、朝日新聞社会議室で渋沢の呼びかけによるミナカタソサエティ準備会が開催され、渋沢が会長に、岡田が代表幹事に指名された。昭和天皇が、1948年に渋沢に熊楠の標本の現状を質したことも、ソサエティによる戦後初期の顕彰活動にはずみをつけた。ソサエティによる活動成果には、乾元社版「南方熊楠全集」の編纂・刊行と「ミナカタ・クマグス展」1951年の開催が挙げられる。
- 1962年(昭和37年)5月、白浜町を行幸した昭和天皇は御宿所の屋上から神島を眺めて御製「雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ」を詠んでいる。これは、昭和天皇が民間人を詠んだ最初の歌であった。この歌碑は、白浜町の南方熊楠記念館のある番所山に建てられている。
- 1965年(昭和40年)4月、白浜町の絶景の地である「番所山」に、熊楠の娘婿である岡本清造(日本大学経済学部教授・水産経済学者)や地元関係者の尽力により「南方熊楠記念館」が開館、主要な遺品、資料が展示されている(運営は公益財団法人南方熊楠記念館)。
- 1980年代に入り南方再評価の動きが生じ、1987年(昭和62年)地元和歌山県田辺市では、熊楠の業績を顕彰し、あわせてその終の栖となった旧邸を保存することを目的として、1987年(昭和62年)6月に「南方熊楠邸保存顕彰会(現・南方熊楠顕彰会)」が発足、1989年(平成元年)から募金活動を展開した。田辺市は、顕彰会が集めた寄附金とふるさと創生資金を基金として積み立て、その利息を財源として邸内の資料の調査研究(南方熊楠邸資料研究会)や整理保存、南方熊楠賞の制定・実施、南方を訪ねての開催、南方邸の公開等、熊楠の業績を顕彰する事業を南方熊楠邸保存顕彰会とともに官民協働で実施した。2000年(平成12年)に長女文枝が亡くなった後、その遺志によって旧邸と蔵書・資料はすべて田辺市に遺贈された。これを契機として、熊楠の遺産を恒久的に保存し、その思想および学問活動に関する調査・研究を行うとともに、その成果を発信するための拠点として旧邸の隣地に南方熊楠顕彰館を建設、旧邸を熊楠存命時のすがたに改修した。その建設・改修資金には基金が充てられた。なお、熊楠没後邸内に残されていた資料は、遺族の段階で、一部が南方熊楠記念館に、高等植物標本を除く植物標本は国立科学博物館植物研究部に移管されたが、高等植物標本とほとんどの蔵書・資料は南方熊楠顕彰館が引き継いでいる。
- 出生地和歌山市では、橋丁の生誕の地に南方熊楠の胸像を建てている。
- 1990年に週刊少年漫画誌である『週刊少年ジャンプ』において、岸大武郎により『てんぎゃん -南方熊楠伝-』というタイトルで、熊楠の半生がその奇行・暴れぶりから研究現場での苦闘まで鮮やかに漫画化されたが、雑誌の購買層には合わず、短命漫画となった。なお、当作品は一部完(熊楠がイギリス留学に旅立つ)という形で連載を終えているため、岸大武郎は留学してからのプロットも構想済みである。しかし、現在は版権の関係で連載を再開することはできないため、未完のままとなっている。
- 2017年は南方熊楠生誕150年となり、田辺市は熊楠の功績をたたえ名誉市民の称号を贈ることとなった[45][46]。
注釈
- ^ 熊楠の生まれた時、父弥兵衛は39歳、母住が30歳であった。ちなみに、この二人の間には、長男藤吉、長女くま、次男熊楠、三男常楠、次女藤枝、四男楠次郎の6人が生まれている。生誕地は橋丁二十二番地、その跡地に当たる駐車場の角に、和歌山市によって熊楠の胸像が1994年に建てられている[7]。
- ^ 速成中学校(旧制の高等小学校と同じ)で希望者のみ入学した。
- ^ 中国明代の辞書『正字通』にある「落斯馬」という動物がイッカクであると書いたシュレーゲルに対し、熊楠はセイウチであると主張した論争。熊楠が勝利。
- ^ 発見場所は、稲荷村(現・田辺市)の糸田にある猿神祠(古くは山王権現社と呼ばれていた)で、高山寺のある台地の会津川に臨む見晴らしの良い場所にあった[13]。
- ^ 当時の『ネイチャー』誌における投稿論文は、現在の査読を行わない読者投稿欄のようなものであった[要出典]。
- ^ 写真多数の図版本。長谷川興蔵(1924-1992)は、編集者として生涯かけ平凡社・八坂書房で著作資料の校訂を担当した。
- ^ 同じ谷川健一編で、熊楠を柳田国男・折口信夫と比較論考した『南方熊楠、その他』(思潮社、1991年)がある。
- ^ 著者没後に刊、編者ほか3名による共著。
出典
- ^ 松居竜五・岩崎仁編『南方熊楠の森』(方丈堂出版、2005年)4〜13頁
- ^ a b c d e f g h i j k 南方熊楠大辞典. 勉誠出版. (2012年1月30日)
- ^ a b 田村義也「語学力」(『南方熊楠大事典』129-133頁)
- ^ 飯倉照平「熊楠伝説」、『南方熊楠大事典』(勉誠出版、2012年)124〜129頁などを参照。
- ^ a b c d e f 唐澤太輔「南方熊楠 日本人の可能性の極限」. 中央公論新社〈中公新書〉. (2015年4月)
- ^ a b c d 『読売新聞』よみほっと(日曜別刷り)2021年10月24日1面【ニッポン絵ものがたり】南方熊楠「菌類図譜」F.4198
- ^ 飯倉 2006, p. 2.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk 南方熊楠大事典(第六部 年譜). 勉誠出版. (2012年1月30日)
- ^ a b c d e f g h i 漱石と熊楠 同時代を生きた二人の巨人. 鳥影社. (2019年4月3日)
- ^ Collectors of the UNC Herbarium(英語) - ノースカロライナ大学チャペルヒル校植物標本館(ノースカロライナ植物園の一部門でもある。)
- ^ William Wirt Calkins - ウェイバックマシン(2019年3月13日アーカイブ分)(英語) - イリノイ州自然史調査所
- ^ 松居竜五「ジャクソンヴィルにおける南方熊楠」『龍谷大学国際社会文化研究所紀要』第11号、龍谷大学、2009年6月30日、210-228頁、NAID 110008739278。
- ^ 飯倉 2006, p. 206.
- ^ 飯倉 2006, p. 200.
- ^ 松居竜五「南方熊楠宛スウィングル書簡について」『龍谷大学国際社会文化研究所紀要』第7号、龍谷大学、2005年3月25日、149-156頁、NAID 110004628956。
- ^ a b 南方熊楠顕彰会>ゆかりの地
- ^ 変形菌分類学研究者 - 日本変形菌研究会
- ^ Minakatella longifila G. Lister -- Discover Life
- ^ Minakatella longifila G.Lister, 1921 - Checklist View
- ^ Gulielma Lister - Wanstead's Wildlife(英語)
- ^ 変形菌分類学研究者の紹介(国外) - 日本変形菌研究会
- ^ 雲藤等「『南方熊楠全集』(平凡社)と書翰原本との異同 : 上松蓊宛・平沼大三郎宛書翰を中心に」『社学研論集』第20巻、早稲田大学大学院社会科学研究科、2012年9月、139-155頁、ISSN 1348-0790、NAID 120005300994。(18)の異同を参照。
- ^ 紀田順一郎「南方熊楠─学問は活物で書籍は糟粕だ─」においては、ブレサドラの『菌誌』とも。
- ^ 南方熊楠顕彰館所蔵資料・蔵書一覧(南方熊楠顕彰館2012) 5.関連p.14の"関連0958"に資料名として『ブレサドラ菌図譜』とあわせて「名誉賛助名簿」とある。
- ^ a b c d e f g h 南方熊楠大事典(第二部 生涯). 勉誠出版. (2012年1月)
- ^ 南方熊楠大事典(第三部 人名録). 勉誠出版. (2012年1月)
- ^ 飯倉 2006, p. 36.
- ^ 飯倉 2006, p. 277.
- ^ 飯倉 2006, p. 279.
- ^ 飯倉 2006, p. 273.
- ^ 萩原(1999)、p.244
- ^ a b 南方熊楠大事典. 勉誠出版. (2012年1月)
- ^ 和歌山県神社庁公式サイト 鬪鷄神社
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 南方文枝「父 南方熊楠を語る」、付神社合祀反対運動未公刊史料. 日本エディタースクール出版部. (1981年・昭和56年7月)
- ^ 唐澤太輔「〈研究論文 ワーキングペーパー 報告書〉「南方曼陀羅」と『華厳経』の接点」『2015年度 研究活動報告書』、龍谷大学世界仏教文化研究センター、2016年3月、191頁、NAID 120005969550。
- ^ 『日本学者フレデリック・ヴィクター・ディキンズ』秋山勇造 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇
- ^ 飯倉 1974, p. 290.
- ^ 「平家蟹の話」
- ^ 紀田(1994)
- ^ “資料” (PDF). 和歌山県教育センター学びの丘. 2018年4月28日閲覧。
- ^ 大本泉『作家のごちそう帖』(平凡社新書 2014年)pp.33-42
- ^ 世界的植物学者、奇行の巨人死去『東京日日新聞』(昭和16年12月30日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p747 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 飯倉 2006, pp. 334–335.
- ^ 英国科学誌での熊楠の研究に、志村真幸『南方熊楠のロンドン 国際学術雑誌と近代科学の進歩』慶應義塾大学出版会、2020年 がある。
- ^ “知の巨人に和歌山・田辺市が名誉市民章授与 10月22日、紀南文化会館で南方熊楠生誕150周年記念式典 - 産経WEST”. 産経新聞. (2017年9月27日) 2018年10月16日閲覧。
- ^ “「熊楠は日本人の夢」 生誕150周年で中沢新一さんら”. 紀伊民報. (2017年2月22日) 2017年2月24日閲覧。
- ^ 清酒 世界一統-知られざる巨人-南方熊楠-南方熊楠と世界一統の歩み
- ^ a b c II 南方熊楠をめぐる人名目録南方熊楠を知る辞典
- ^ 縛られた巨人、南方熊楠 -何によって縛られていたか『天皇と日本国憲法(毎日新聞出版): 反戦と抵抗のための文化論』なかにし礼、PHP研究所, Mar 7, 2014
- ^ a b 南方熊楠 履歴書(口語訳5)ロンドンに渡るMikumano.net
- ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳13)母と兄Mikumano.net
- ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳15)帰国Mikumano.net
- ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳16)和歌山Mikumano.net
- ^ 熊楠を支えた弟/和歌山『毎日新聞』2017年3月20日
- ^ 南方熊楠の家族と日常南方熊楠記念館
- ^ 飯倉 2006, p. 359.
- ^ 飯倉 2006, p. 337,360.
- ^ 遺著に『長谷川興蔵集 南方熊楠が撃つもの』南方熊楠資料研究会
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