大阪環状線
城東線
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1895年(明治28年)5月28日:大阪鉄道 天王寺駅 - 玉造駅間 (2 M 28 C≒3.78 km) が開業。桃山駅・玉造駅が開業。 10月17日:玉造駅 - 梅田駅間 (4 M 29 C≒7.02 km) が延伸開業。京橋駅・天満駅・梅田駅開業。 1896年(明治29年)12月10日:玉造駅 - 大阪砲兵工廠(後の大阪陸軍造兵廠)間の側線開業。 1898年(明治31年)4月27日:桜ノ宮駅が開業。 1900年(明治33年)6月6日:大阪鉄道が関西鉄道に合併。梅田駅を官営鉄道の大阪駅に統合。 1901年(明治34年)1月25日:天王寺駅 - 大阪駅間改マイルで10 C (≒0.20 km) 短縮。 1902年(明治35年)11月12日:営業距離の単位をマイル・チェーンからマイルのみに簡略化 (6 M 47 C→6.6 M)。 1905年(明治38年)3月1日:桃山駅を桃谷駅に改称。 1907年(明治40年)10月1日:関西鉄道が国有化。 1908年(明治41年)3月30日:寺田町駅 - 玉造駅間が複線化。 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定により、天王寺駅 - 大阪駅間が城東線となる。 1913年(大正2年)6月30日:天満駅 - 大阪駅間が複線化。 11月15日:桃谷駅 - 玉造駅間に鶴橋仮聯絡所、京橋駅 - 桜ノ宮駅間に中野町信号所が開設。 1914年(大正3年)2月14日:鶴橋仮聯絡所が廃止。 3月10日:玉造駅 - 天満駅間が複線化。 1922年(大正11年)4月1日:中野町信号所が中野町信号場に改称。 1927年(昭和2年)12月10日:中野町信号場が廃止。 1930年(昭和5年)4月1日:京橋駅 - 大阪駅間の貨物営業が廃止。営業距離の単位をマイルからメートルに変更 (6.6 M→10.7 km)。 1931年(昭和6年)6月1日:玉造駅 - 京橋駅間に猫間信号場が開設。 1932年(昭和7年)3月29日:桃谷駅 - 猫間信号場間が高架化。玉造駅 - 猫間信号場間に貨物用別線を敷設し3線化。 4月21日:森ノ宮駅が開業。 7月16日:寺田町駅が開業。 9月21日:鶴橋駅が開業。 1933年(昭和8年)2月16日:天王寺駅 - 大阪駅間が電化。桜ノ宮駅 - 大阪駅間が高架化。電車運転開始。 1943年(昭和18年)10月1日:西成線と城東線の直通運転開始。 1945年(昭和20年)8月14日:太平洋戦争下、京橋駅 - 森ノ宮駅付近で空襲。線路や橋脚が破壊されたため桜ノ宮駅 - 鶴橋駅間が運休。 8月23日:空襲で被害を受けた区間が復旧。 1947年(昭和22年):猫間信号場 - 大阪陸軍造兵廠間の側線が廃止。 1953年(昭和28年)2月1日:土曜、休日ダイヤが設定される。 1954年(昭和29年)4月1日:天王寺駅 - 寺田町駅間が複線化。 1955年(昭和30年)6月12日:日曜、祝日ダイヤが設定される。 1957年(昭和32年)4月1日:天王寺駅 - 玉造駅間の貨物営業が廃止。 1958年(昭和33年)7月15日:全列車の6両運転開始。 1960年(昭和35年)10月1日:101系電車運転開始。 1961年(昭和36年)4月20日:猫間信号場が廃止。玉造駅 - 猫間信号場間の貨物用別線が廃止。玉造駅 - 京橋駅間の貨物営業が廃止。
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