3線化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:26 UTC 版)
新線は最急勾配が上り線で10‰に緩和されたが、第2次大戦中の輸送力増強により京都 - 膳所間で上り2線下り1線の3線とすることとなった。この工事は1941年8月に着工され1944年12月1日に完成。これにより東山トンネルでは現在の下り内側線が新たに掘削され旧下り線を上り内側線に転用、新逢坂山トンネルでは上り内側線が新たに掘削されたと推察できる。
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