国鉄→JR西日本
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「国鉄413系・717系電車」の記事における「国鉄→JR西日本」の解説
北陸本線米原 - 直江津間、富山港線富山 - 岩瀬浜間および湖西線近江今津 - 近江塩津間で運用されたが、新快速の敦賀駅乗り入れや富山港線の廃止により2006年以降は滋賀県内乗り入れおよび富山港線、2010年以降は521系追加投入により金沢駅 - 小松駅間の系統を除いて定期運用が終了した。また七尾線が直流電化された1991年(平成3年)9月1日以降は、予備車が少ない415系800番台の代走運用に充当された。 5編成があいの風とやま鉄道へ譲渡された2015年3月14日ダイヤ改正以降、B04 - 06・08・09・11の6編成がIRいしかわ鉄道経由の七尾線運用へ415系800番台の一部(C01編成・C04編成)を置換える形で定期充当となったことにより、北陸本線での運用は金沢駅 - 松任駅・小松駅間でそれぞれ1往復のみとなった。 2020年(令和2年)10月以降、本系列及び415系800番台の代替を目的として521系100番台が投入され、2021年(令和3年)3月13日のダイヤ改正で全ての運用が置換えられた。これに伴い、本系列は415系800番台と共にダイヤ改正前日の3月12日をもって運用を終了した。
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国鉄→JR西日本
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1895年(明治28年)8月22日 - 浪速鉄道の駅として四条畷駅 - 当駅間の開業と同時に開業。 1897年(明治30年)2月9日 - 浪速鉄道を関西鉄道に譲渡。 1898年(明治31年)11月18日 - 旅客営業廃止。 1905年(明治38年)1月1日 - 旅客営業再開。 1907年(明治40年)10月1日 - 鉄道国有法により国有化、帝国鉄道庁の駅になる。 1912年(明治45年)4月21日 - 城東線京橋駅との乗り換え駅の便を図るため、京橋口乗降場を開設。 1913年(大正2年)11月15日 - 京橋口乗降場を格上げし、城東線乗り換え駅となる京橋駅として分離。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。 1991年(平成3年)春頃 - JR東西線の工事開始に伴い旧駅舎と旧ホーム撤去、仮駅舎に移行。 1997年(平成9年)3月8日 - JR東西線の開業に伴い廃止。線路切替工事の為、前日(3月7日)21時30分をもって営業終了。
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国鉄→JR西日本
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「北近畿タンゴ鉄道宮津線」の記事における「国鉄→JR西日本」の解説
1924年(大正13年)4月12日:鉄道省 宮津線の舞鶴(現在の西舞鶴駅) - 宮津間(15.5M≒24.94km)が開業。四所駅、東雲駅、丹後由良駅、栗田駅、宮津駅が開業。 1925年(大正14年)7月31日:宮津線の宮津 - 丹後山田間(6.8M≒10.94km)が開業。天橋立駅、岩滝口駅、丹後山田駅(現在の与謝野駅)が開業。 11月3日:宮津線の丹後山田 - 峰山間(7.8M≒12.55km)が開業。口大野駅(現在の京丹後大宮駅)、峰山駅が開業。 1926年(昭和元年)12月25日:宮津線の峰山 - 網野間(4.5M≒7.24km)が開業。網野駅が開業。 1927年(昭和2年)3月7日:18時27分に発生した北丹後地震(M7.3。峰山・網野を中心に死者2925人)で舞鶴 - 網野間が不通となったが、早期に復旧し、復旧復興の物資・人員輸送を担う。8日には天橋立駅まで、9日には丹後山田駅まで、14日には網野 - 口大野間が復旧。21日に全面復旧。 1929年(昭和4年)12月15日:峰豊線の豊岡 - 久美浜間(7.4M≒11.91km)が開業。但馬三江駅(現在のコウノトリの郷駅)、久美浜駅が開業。 1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(舞鶴 - 網野間 34.6M→55.7km、豊岡 - 久美浜間 7.4M→11.9km)。 1931年(昭和6年)5月25日:宮津線の網野 - 丹後木津間 (5.6km) が開業。丹後木津駅(現在の夕日ヶ浦木津温泉駅)が開業。 1932年(昭和7年)8月10日:峰豊線の丹後木津 - 久美浜間 (10.8km) が開業し、峰豊線が全通。峰山線と峰豊線を合わせた舞鶴 - 豊岡間が宮津線となる。丹後神野駅(現在の小天橋駅)が開業。 1944年(昭和19年)1月20日:舞鶴 - 四所間に高野信号場を開設。 4月1日:舞鶴駅を西舞鶴駅に改称。 1946年(昭和21年)11月21日:高野信号場廃止。 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に移管。 1957年(昭和32年)6月22日:丹後神崎駅が開業。 1962年(昭和37年)3月1日:甲山駅(現在のかぶと山駅)が開業。 1963年(昭和38年)5月25日:口大野駅を丹後大宮駅に改称。 1972年(昭和47年)10月1日:山陰本線綾部(舞鶴線経由)・西舞鶴 - 網野間で京都府内の国鉄線で最後の蒸気機関車運転、西舞鶴機関区(現・北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区)所属の9600形蒸気機関車を使用。 1980年(昭和55年)12月27日:「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(国鉄再建法)公布、施行。 1985年(昭和60年)3月14日:貨物営業廃止。 1986年(昭和61年)4月7日:国鉄、宮津線を含む第3次特定地方交通線12線の選定承認申請。 1987年(昭和62年)1月19日:京都府知事、運輸大臣などに意見書を提出。 2月3日:運輸大臣、国鉄宮津線を含む第3次特定地方交通線8線の選定承認。宮津線廃止承認(特定地方交通線第3次最終指定廃止対象)。 4月1日:国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)に移管。 9月22日:宮津線特定地方交通線対策協議会第1回会議開催。 12月21日:宮津線特定地方交通線対策協議会第2回会議開催。 1988年(昭和63年)3月26日:宮津線問題対策協議会臨時総会開催。第三セクター鉄道としての存続を決議。 4月7日:宮津線特定地方交通線対策協議会第3回会議開催。第三セクター鉄道として存続を全会一致で合意決定。 4月28日:宮福鉄道(現在の北近畿タンゴ鉄道)第14回取締役会開催。宮津線の運営引き受けを決議。 6月22日:宮福鉄道第6回定時株主総会開催。この中で、「転換計画」合意決定時には宮津線の運営を引き受けることを決議。同日、宮津線特定地方交通線対策協議会第4回会議開催。この中で、宮津線の代替輸送事業者として、宮福鉄道が運営を引き継ぐこと等を内容とする「転換計画」を全会一致で合意決定。 1989年(平成元年)8月1日:宮福鉄道が北近畿タンゴ鉄道に商号変更。 9月29日:運輸大臣、北近畿タンゴ鉄道が9月5日に申請した宮津線の第一種鉄道事業免許を認可。
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