国鉄での停滞と都市交通の変容
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「日本の電車史」の記事における「国鉄での停滞と都市交通の変容」の解説
国鉄における技術革新は、世界でも珍しい寝台・座席車兼用の581系・583系電車が1967年に開発され、1973年に自然振り子式車両の381系電車が出来た辺りを最後に、停滞するようになっていく。その背景には、労使関係の悪化もあって、新形式の投入に対して国鉄労働組合(国労)や国鉄動力車労働組合(動労)が反発したこと、試運転の実施もこれらの労組の非協力的姿勢や反発で困難だったことがあり、なお、国鉄財政悪化のなかで通勤五方面作戦などの混雑緩和に追われ、新形式投入よりも既存車両と同一の車両を大量増備した方が安定的と見られた部分があるとされる。そのため、国鉄の電化区間においてはその末期辺りまで、昭和30年代に開発された103系電車・113系電車などの車両が20年前後の長きにわたり投入され続け、東海道・山陽新幹線でも、開業以来1980年代半ばまで0系電車が長年にわたり増備され続けるという、技術的に停滞する結果を招いた。 その一方で、私鉄では徐々に技術革新が進んでいった。帝都高速度交通営団(現在は別組織の東京地下鉄)で、それまでの制御方式である抵抗制御に代わって、電機子チョッパ制御(熱放出量が少ない・消費電力を軽減できるシステムである回生ブレーキの使用が可能)並びにアルミ合金車体(メンテナンスの軽減や軽量化の利点がある)を採用した6000系電車が1968年に開発された。また、東京急行電鉄は1950年代後半からステンレス車体(アルミ合金に同じ)を積極的に採用していたが、やはり回生ブレーキが使用できる界磁チョッパ制御方式の導入に至った。高度経済成長期の最盛期からオイルショック後の時代にかけ、質より量に傾きがちであった国鉄に代わり、車両・重電メーカー各社との協力で、日本の電車の技術革新を実効的に推進した、という点で、この時期の大手私鉄企業・地下鉄事業者の功績は大きい。 しかし私鉄についても会社によって方針は様々であり、抵抗制御・鋼製車体の車両を維持する会社もまだまだ多かった。なお、地下鉄各社が新技術の導入に積極的なのは、抵抗器の廃熱によるトンネル内の気温上昇・勾配区間の連続等、地上路線よりも運転条件が厳しかったことによる。また、国鉄で前述の技術を採用した電車が製造されるには、オイルショックに伴い省エネが叫ばれるようになった、1979年の201系電車(電機子チョッパ制御・鋼製車体)まで待つ必要があった。 また、都市交通として使命を長く負っていた路面電車も、自動車社会の発達(モータリゼーション)の影響で、大都市を中心に広島市などの例外を残して、次々と廃止されていった。大都市近郊においては、路面電車の代わりに地下鉄の建設(1927年の東京地下鉄道が都市交通としては初)が盛んになっていく。 通勤形・近郊形車両への冷房導入や、都市発達による編成の長大化、緊密ダイヤ化なども、この頃推し進められるようになっていった。ロングシート通勤車両の冷房化は京王帝都電鉄(現・京王電鉄)初代5000系電車に端を発しているが、地下区間において前述のトンネル内気温上昇の問題があり、抵抗制御の車両に限らず地下鉄車両には冷房機を設置することが躊躇され(冷房機もまた車外に熱を排出する為)、サービス向上の足枷となった。 1983年には、熊本市交通局でインバータ技術を活用した可変電圧可変周波数制御(VVVF制御)を用いた8200形電車が製造された。この方式は現在に至って、電車・電気機関車の主流方式として広く採用されている。 国鉄末期には、211系電車や205系電車で直巻電動機を使用し、簡便な回路構成を用いて回生制動を使用できる界磁添加励磁制御方式が開発・採用される一方、1986年に1編成のみが試作された207系電車のように、実用化まもないVVVF制御をいち早く導入しようという気運も見られた。これらは、国鉄分割民営化に伴うJR各社発足後、本格的に進展する事になる。なお、211系・205系電車では合金製車体の他、機構を簡略化し軽量化を図った、ボルスタレス台車も採用されている。
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