国鉄「集約臨」の沿革とは? わかりやすく解説

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国鉄「集約臨」の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 05:14 UTC 版)

修学旅行列車」の記事における「国鉄「集約臨」の沿革」の解説

1950年昭和25年日本ツーリスト運行開始していた修学旅行専用列車はほかの旅行社協賛して共同運行となり、次第時刻車両固定されていって「修学旅行集約輸送臨時列車」の起源となる。なお、このエピソードは、城山三郎著「臨3311に乗れ」(集英社文庫)に詳しく描かれている。 1958年昭和33年6月1 - 29日 「湘南電車」と呼ばれた80系電車使って品川 - 京都に「集約臨」を運転。下り品川8時40分発で京都15時40分着、上り京都1950分で品川5時20分着と上りでも当時夜行急行列車なみの速度下り至って当時特急列車「つばめ」・「はと」に匹敵する速度走った。なおこの実績が、のちの155系電車生み出す契機ともなる。 1959年昭和34年4月20日 新製された日本初修学旅行専用電車である155系電車使用して品川 - 京都関東地区修学旅行列車として「ひので」が、品川 - 京都・大阪・神戸に関西地区修学旅行列車とした「きぼう」が「集約臨」として運転を開始した。また「ひので」は下り昼行上り夜行、「きぼう」は下り夜行上り昼行時刻運転された。また、これら修学旅行列車時刻荷物列車などとともに市販時刻表にも掲載されていた。 1960年昭和35年4月20日 品川 - 大垣中京地区修学旅行列車こまどり」が、153系急行形電車運転開始。「こまどり」は、運行距離が短かったことから上下とも昼行列車となった。「こまどり」の運転されない時期には、同列車のダイヤ臨時準急列車「ながら」が設定された。 6月東京へ来たのであるから東京駅見て帰るべきだ」という意見出た事により、下り「きぼう」の始発駅東京変更1961年昭和36年3月こまどり」用の159系電車落成し153系に代わって投入された。同系列は、のちに東海地方 - 関西地方山陽地方間に設定され修学旅行列車わかあゆ」にも投入される1962年昭和37年4月9日 非電化地区からの修学旅行列車用に気動車キハ58系800番台登場。この日から東北地区 - 上野「おもいで」が運転を開始1963年昭和38年4月10日 キハ58系800番台使用して北九州地区 - 京都修学旅行列車とびうめ」が運転を開始。また「きぼう」は兵庫県中部地域からの利便を図るため、明石発着となる。 1965年昭和40年10月1日 混雑する「ひので」・「きぼう」の混雑緩和を図るため関東地区用の「わかくさ」が品川 - 京都に、関西地区用の「わかば」が東京下り)・品川上り) - 明石に1往復ずつ設定された。 1966年昭和41年4月9日 東京 - 下関165系急行形電車修学旅行用に設計変更した167系電車が「わかくさ」「わこうど」で運転開始それまで修学旅行列車普通列車扱いであったのに対し、「わこうど」は長距離往復とも夜行となるため急行列車扱いとなる。「わこうど」は山陽地方からの高校生東京へ修学旅行列車として設定されたが関西地方からほどの需要見込めないため下関 - 京都中学生用の列車友情」、下関 - 広島小学生用の列車なかよし」としてもそれぞれ運用された。さらに3列車ともが運転されない時期には、「わこうど」のダイヤ臨時急行列車長州」として運転されていたが、同ダイヤでも運転区間一部区間場合は「山陽51号」(岡山 - 下関)、「わこうど」(広島 - 下関)など異な列車名となった。また一部年度の帰省シーズンは、運転日限定して全車指定席勤労青少年帰省列車種別急行扱い)「わこうど長州」として運転された。 1966年昭和41年11月 中部地区から広島山口方面へ「わかあゆ」(豊橋 - 下関)を田町区の167系電車運転開始1967年秋期からは159系電車で運転。 1967年昭和42年10月1日 「ひので」・「きぼう」・「わかくさ」・「わかば」も、急行列車扱いとなる。 1970年昭和45年3月16日 東海道新幹線修学旅行列車を初設定1971年昭和46年3月1日 新幹線に「集約臨」が設定される事となり前年から新幹線特急料金に関しても「学生5割引引率教職員2割引」の割引適用される事となったため、以後新幹線使用できる地域修学旅行列車1972年昭和47年)春ごろまでをめどに順次移行10月16日 この日の大阪をもって「きぼう」廃止総計約180万人利用があったとされる10月26日 この日の品川をもって「ひので」廃止総計240万人利用があったとされる1973年昭和48年4月 「おもいで」廃止以後は、特急など定期列車利用する随時臨時列車設定する方式変更東京まで879往復し、約535000人の利用があったとされる6月23日わかくさ」・「わかば」を臨時列車格下げ10月1日こまどり」、臨時列車格下げここまで総計152万人輸送したとされる1974年昭和49年4月21日 この日の記念行事をもって、「とびうめ廃止関西へ約224000人、九州内相互間で約147000人、総約371000人の利用があったとされる1975年昭和50年3月10日 山陽新幹線博多駅までの全線開業をもって、「わこうど」・「友情」・「なかよし廃止市販時刻表掲載されていた修学旅行列車消滅。「こまどり」は臨時列車ながら、1975年以降使用車両159系から153系165系使用変化しつつも存続したが、1994年春の運転をもって消滅した。。おもに新幹線駅利用不便な大垣 - 尾張一宮大府 - 岡崎中学生利用されたが、東海道新幹線三河安城開業西三河地区中学生修学旅行新幹線急速に転移したことから平成初期消滅したまた、この1970年代後半行われた東海道新幹線午前運休日には、上りのみ「こまどり」のダイヤ設定そのまま使って臨時急行列車東海」が運転された。

※この「国鉄「集約臨」の沿革」の解説は、「修学旅行列車」の解説の一部です。
「国鉄「集約臨」の沿革」を含む「修学旅行列車」の記事については、「修学旅行列車」の概要を参照ください。

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