人の利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 04:50 UTC 版)
小渋川流域のうち、とくに鹿塩川、小渋川中流、青木川は中央構造線に沿って直線上に並んでおり、諏訪地方と太平洋岸の最短ルートである秋葉街道が通じていた。とくに塩川に産する塩によって古くから知られており、鎌倉時代の『吾妻鏡』でも言及があるほか、南北朝時代には宗良親王による南朝方の東国の拠点となっていた。近世には、山深い小渋川一帯には年貢として木材の拠出が課されており、これを「榑木」と称した。 榑木の伐採は、小渋川源流の赤石岳や荒川岳の裾野で行われたほか、青木川や鹿塩川の流域でも広く行われており、伐採した木材は小渋川の水運で天竜川へと送られていた。もとからの脆弱な地盤に加えて、こうした伐採が土砂災害の遠因になったという見方もあるが、一度地すべりが起きた場所(地すべり地形)は次の地すべりまで数百年は安定し、耕作や定住の適地になるという見方もある。 青木川などでは明治時代も木材の伐採が続けられたが、昭和に入ると天竜川の土砂災害対策の観点から砂防対策が重視されるようになった。太平洋戦争後はもっぱらこの観点から小渋川総合開発事業が策定され、小渋ダムをはじめ数々の砂防ダムの建設・整備が行われている。2000年代にはこれらの砂防施設で土砂の堆積能力の7割ほどを使い果たしているとみられており、貯まった土砂の搬出(砂利の採取)、土砂をバイパスする水路トンネルの建設なども行われている。 流域は平地に乏しい地勢のため本格的な稲作は困難だったが、小渋川と青木川の合流地点である島川原だけは例外的に水田が広がっている。これは江戸中期の文化年間に開墾が始まったもので、幕末、明治、大正、昭和と水田開拓事業が続けられてきた。新田は1961年(昭和36年)までに30町歩(約30ヘクタール)まで広がったが、三六災害で大変な被害を被った。 小渋ダムより下流では、天竜川沿いの農地の灌漑用水として利用されている。特に小渋ダムから取水する小渋川一貫水路は、ダムでの発電に用いたあと、分水してトンネル、暗渠、送水管で約20km先まで運ばれている。その途中の松川町、豊丘村、喬木村、飯田市で灌漑に用いられており、畑作や果樹園を中心に利用されている。このほか発電用のものとして、小渋川と鹿塩川の合流地点の堰(通称:生田ダム)から取水した水が、送水管と暗渠で生田発電所に送られて利用されている。 JR東海が進めている中央リニアは、小渋川を橋梁で横切る予定である。ちょうど鳶ヶ巣崩壊地付近を通過することになるという想定もあり、トンネルや橋梁の建設が技術的に可能かどうかを疑問視する指摘もある。これに対しJR東海では同地を「できる限り回避する」としている。また、赤石山脈付近では過去100年で40cmの隆起が確認されていて、山地ではこれを上回る隆起が今も継続していると推測されており、数多くの活断層の挙動も不明確で、こうした影響がどこまで織り込まれているのかは未知数とされている。経済的な観点からは、トンネル工事などにともなって膨大な量の土砂が排出されると見込まれるが、急斜面ばかりで平地に乏しい現地周辺にはそれらの土砂を堆積する余地はなく、遠方へ運び出すのに相当なコストがかかるはずであり、こうした費用が見込まれていないのではと不安視されている。 このほか、リニア建設による自然破壊、環境悪化、生態系破壊、景観毀損や、それによる観光業への悪影響などを危惧する観点からの反対意見もある。
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人の利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 04:06 UTC 版)
ベダリアテントウの利用方法は、農業環境と気候によって異なる。現在は世界的に分布しており、イセリアカイガラムシの被害地域にベダリアテントウがいない事態は次のいずれかに限られるはずである。 イセリアカイガラムシの害を被る農産物を特定環境で最初に導入した場合。ワタフキカイガラムシは通常柑橘類を攻撃するが、イタリアではトベラ属やエニシダ属(特にレダマ)にもよく付く。捕食者がいないこところにイセリアカイガラムシが最初に入ってくると、被害が容易に広がっていく。 厳冬地帯。ベダリアテントウは冬の低温に適応していないので、そのような環境にさらされると越冬個体が死んでしまう。しかし冬の寒さに耐えられないのは柑橘類も同じなので、柑橘類が栽培されている地域にはベダリアテントウが見られるのが普通である。 殺虫剤の無差別な使用による環境悪化。イセリアカイガラムシの被害は広範囲の殺虫剤にさらされた柑橘類果樹園で頻繁に起きる。そうした方法はベダリアテントウの数を減らしてしまう。 歴史的にベダリアテントウは散布という方法で成功裏に利用されてきた。ひとたび適応に好ましい条件下で導入されれば、この甲虫はそのまま数が増え、再導入は必要ない。本種の増殖力がモデル通りに働いて、イセリアカイガラムシの数を低く保つ。前述の三つのシナリオで言えば、散布法は第一のケースで活用できる。そして柑橘類について言えば、イセリアカイガラムシの攻撃は果樹園内の孤立した木に対してだけ起きるはずである。第二の条件では接種法に頼り、イセリアカイガラムシの繁殖期間ごとにベダリアテントウを放たなければならない。第三の状況での捕食者の接種は、低影響の技術による柑橘栽培再生の例を劇的・決定的な結果で示してくれるだろう。この場合、捕食者の接種は防護手段の全体的見直しの中で投入されるべきである。 放す数は、イセリアカイガラムシの広がりの程度による。通常、低い密度で放しても、ベダリアテントウの繁殖力をもってすれば十分補える。孤立した樹木が被害を受けた場合には、短期間で害虫の数を許容範囲に押さえ込むのに雄雌3匹ずつで足りる。被害が拡散している場合には、被害の程度と地域的分断の程度により、放す数を調整する必要があるだろう。 特に重要なのは、ベダリアテントウを放す時期の選択である。捕食活動は特にカイガラムシの卵と幼虫に対してなされ、獲物の不足は必然的にベダリアテントウの繁殖力の低下をもたらし、共食いを増やす。放すのはイセリアカイガラムシの繁殖期に合わせるべきである。それは地中海地方では春の早い時期と、夏の終わりか秋の初めである。
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