国鉄と投資銀行へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/29 04:13 UTC 版)
「北部鉄道 (フランス)」の記事における「国鉄と投資銀行へ」の解説
1914年8月3日、軍事省第4局は、フランス全土の鉄道を支配下におさめ、鉄道会社は戦中商業輸送を停止し、補給輸送を開始した。特に北部地方の路線は、英仏ベルギー各国の補給輸送が集中した。北部会社は労使関係と財務状態を変えた。労使関係については、政府が戦中鉄道労組に協力を求めた代償として、1917年両社の協議により、戦後労働者が経営に参加することと、生活費の高騰に関する対策をとらせることを約束しており、1918年からは両者で日常業務のため定期連絡会を開くようになった。財務状態は戦中のインフレにより悪化した。これは輸送量の増加にともなっており、1919年2.18億フランだった赤字は翌年5.73億フランとなった。1921年、大規模な投資がフランスの鉄道を再建した。北部会社もテルニール(Tergnier)など北部地方各地へ社宅都市を造成したり、電話を拡大して整備したりした。北部会社は世界恐慌がおこるまで順調な経営をつづけた。レオン・ブルム政権下で、1937年8月31日法により、既に国有化されていた鉄道、北部会社などの私鉄、パリ環状線をふくむ諸会社は一挙に国有化された(フランス国鉄)。政府持分は51%であった。北部会社は国内経営を断念し、ベルギー路線の経営を1940年まで継続した。国有化で交付された補償金は投資銀行に化け、1.8億フランのポートフォリオとなった。北部会社は現在もロチルドグループの中核事業である。 1954年2月、ジョルジュ・ポンピドゥーが北部会社重役となった。 1967年、ロチルド・フレール合資会社は株式会社に改組されてロチルド銀行(現バークレイズ)となった。ここで北部会社がロチルド銀行の株式過半数を取得し、同行傘下のル・ニッケルとペナロヤ、およびその他グループ企業の株式も譲り受け持株会社となった。ル・ニッケルとペナロヤの二大鉱業は、現在グループ・ブリュッセル・ランバートの傘下である。
※この「国鉄と投資銀行へ」の解説は、「北部鉄道 (フランス)」の解説の一部です。
「国鉄と投資銀行へ」を含む「北部鉄道 (フランス)」の記事については、「北部鉄道 (フランス)」の概要を参照ください。
- 国鉄と投資銀行へのページへのリンク