オイルショック後(高度経済成長期終焉後)
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「名古屋鉄道」の記事における「オイルショック後(高度経済成長期終焉後)」の解説
1974年(昭和49年)9月17日 - 白紙ダイヤ改正。点輸送(拠点駅間の速達輸送重視)から線輸送(中間駅を含む相互駅間輸送重視)への転換を図り、特急を格下げして急行を増発。 1975年(昭和50年)8月24日 - 中央自動車道・中津川 - 駒ヶ根間開通を機に、一般道経由で運行していた「名飯急行バス」を高速経由に改めた「中央道特急バス(現・中央道高速バス)」として開業。名飯線同様、信南交通と共同運行で、直営では初の高速バス路線(事業)となる。 1976年(昭和51年)6月28日 - 名鉄バス名古屋・津島線、岐阜市内線に冷房車を投入。 12月 - 名鉄初の本格的な3扉通勤車6000系登場。第1次オイルショック後に急増した通勤客輸送で威力を発揮し、名鉄における「通勤車」の地位を確立。M式自動解結装置(自動電気・空気連結器)運用開始。 1977年(昭和52年)3月20日 - ダイヤ改正。座席指定特急のみを「特急」とし、料金不要の特急を「高速」に種別変更(1度目の特急料金政策変更)。 1978年(昭和53年)8月20日 - 瀬戸線東大手 - 栄町間の地下新線(栄町地下トンネル)が開通。長年の悲願であった名鉄線の栄地区への乗り入れが実現。また、栄町開業に先立つ3月には1,500Vへの昇圧も実施される。新たに設置された栄町・東大手の両駅には名鉄の駅では初めて磁気券方式の自動改札機を導入、これらにより瀬戸線の近代化が成る。 1979年(昭和54年)7月29日 - 豊田新線が開通。名古屋市営地下鉄鶴舞線との間で名鉄初の都市型相互直通運転を開始。 1982年(昭和57年)3月21日 - ダイヤ改正。7000系5編成を名鉄初の線内特急の専用車(通称白帯車)に改造・運用開始。以降、特急運用の専用車化を進め、1988年(昭和63年)に特急専用車1000系「パノラマSuper」を新造・登場させるきっかけとなる。 1983年(昭和58年)6月10日 - 特急列車に女性乗客係(正式な乗務員としては戦後国内初)が乗務を開始。以降、順次増員を進めて早朝・深夜を除く全特急列車(指定席)に乗務となる。 11月24日 - 特急座席管理システム完成、座席指定券のオンライン発売(前売)を開始。12月1日の全列車から機械発券に切り替え。 1984年(昭和59年)1月1日 - 貨物営業を廃止。ただしその後も鉄道車両の輸送が行われている(後述)。 3月20日 - ダイヤ改正。全線を網羅した「名鉄電車・バス時刻表」(現・「名鉄時刻表」)を初刊行。以後、2011年12月17日改正までダイヤ改正ごとに刊行。 12月15日 - 8800系「パノラマDX」運行開始。日本初の先頭部ハイデッカー展望室はのちに登場するジョイフルトレイン群にも影響を与えた。 1985年(昭和60年)3月14日 - ダイヤ改正。前年に八百津線へ導入した軽量気動車「LEカー」を、広見線(新可児 - 御嵩間)・三河線(猿投 - 西中金間)にも導入・本格運用を開始し、ワンマン運転を実施。 3月21日 - 名古屋国際展示場でワールドインポートフェア開幕。 円滑な経済関係の増進に寄与するとともに各国の技術、文化、生活などを広く紹介し、国際交流の推進を図ることを目的に当時、名古屋商工会議所会頭でもあった名鉄会長竹田弘太郎の提唱により開催。名鉄もベルギーのバンホールより中型ワンステップバスのAU138Jを導入し、シャトルバスとして運行。 4月30日 - 名鉄バス本地ヶ原線を基幹バス化。大津通 - 引山間を中央走行方式バスレーンとし、名古屋市交通局との共同運行を実施。 1987年(昭和62年)2月12日 - 白紙ダイヤ改正。支線直通列車を増発。 3月23日 - 新名古屋駅(現・名鉄名古屋)全面改装工事完成。これにより、普通乗車券を含めた自動改札機の本格使用を開始(以降、主要駅の自動改札化を進める)。 1988年(昭和63年)5月12日 - 全日本空輸・名鉄グループ各社の共同出資で中日本エアラインサービス (NAL) を設立。コミューター路線の開拓に着手。 1989年(平成元年)7月9日 - 金山総合駅完成。東西連絡線開業時からの金山橋駅を移転し、駅名も「金山」に改称し全列車停車駅に昇格。新名古屋駅乗り入れ列車に限り100%冷房化。 9月1日 - 名鉄初となる夜行高速バス、名古屋・長崎線「グラバー号」運行開始。長崎自動車と隔日での共同運行。開設当時、日本最長のバス路線であった。 1990年(平成2年)4月1日 - 名鉄初のプリペイドカード「パノラマカード」を発売開始、名古屋本線金山 - 神宮前間の複々線化完成。 6月8日 - サンライズバス設立。同年10月1日に名鉄バス蒲郡営業所(名古屋鉄道蒲郡自動車営業所)を移管し、採算(存続)の難しいバス路線を分社化する嚆矢となる。 8月 - 特急専用車(1000系)増備により、名古屋本線特急の、最高速度120km/h運転を開始。 10月29日 - ダイヤ改正。本線特急を指定席車と自由席車併結(一部指定席化)とし、自由席特急の性格を持っていた「高速」を統合(2度目の特急料金政策変更)。また、瀬戸線以外の準急を急行へ統合し、停車駅の見直し(特別停車駅による停車駅調整)を行う。またこの改正より民鉄で初めて前照灯の昼間点灯を開始。
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